rrbのブログ - 2010/03/02のエントリ
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今京都 つぶれ 2010/03/02 12:00 am
つぶれ
釣瓶(つるべ)。井戸のある家は少なくなった。「昔はツブレで水汲んだもんや」 ツルベの訛りと教えられてきたが、ツブレは「ツブラな瞳」というように、ツブラ(丸い)と同形の語であった。いかにも釣瓶は丸い格好をしている。戸棚をトナダというような音の転置と同じだと錯覚したために、ツブレはツルベの音の転置と考えたのであった。兎をオサギ、狸をタノキ、後ろをオシロなどは母音の転化。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
ひなまつり
明日は3月3日、ひなまつり。女の子の健やかな成長を祈るひな祭りは、桃の花が咲く頃の行事のため、桃の節句とも呼ばれる。古代中国で三月上巳(じょうし)の日に、水辺で禊(みそぎ)を行ったことに由来するという。この禊は今日でも、紙でできた形代(かたしろ・人形(ひとがた))に、自分の穢れをうつして川に流す「流し雛」にその片鱗をみることができる。現在のような雛人形を飾って祝うようになったのは、江戸時代の徳川五代将軍綱吉(在位1680〜1709)の頃で、庶民のあいだにもひろがり、人形のしつらえもダンダン派手になって、何度も幕府から華美を禁じる命令が出されたほどだったという。

京都では、雛人形は、向かって右が男雛、左が女雛と、他の地方とは反対に飾る。これは、南向きの御所では左方向(日が昇る方向)が上位とされるため、天皇から見て左を上位とする伝統による。下鴨神社では、桟俵(さんだわら)にのせた紙製の雛人形を、境内を流れる御手洗川に流す神事を行っている。上賀茂神社でも、本殿の神前に桃の花、辛夷(こぶし)の花、草餅などを供えて無病息災を祈る桃花神事ののち、午後から四月から小学校へあがる氏子町の幼稚園児、保育園児が、渉渓園(しょうけいえん)で流し雛をする。また、下京区の市比責(いちひめ)神社では、平安装束をまとった「人雛」が披露され、三人官女が雛を奉納する行事が行われる。

時間があれば、桃の花が咲く頃の、はんなりとした雰囲気にあふれる行事を楽しみたいのだが、今回もニュースで垣間見るだけにおわるのだろうなぁ…今京都。
★関連記事はこことここ(←クリック)

釣瓶(つるべ)。井戸のある家は少なくなった。「昔はツブレで水汲んだもんや」 ツルベの訛りと教えられてきたが、ツブレは「ツブラな瞳」というように、ツブラ(丸い)と同形の語であった。いかにも釣瓶は丸い格好をしている。戸棚をトナダというような音の転置と同じだと錯覚したために、ツブレはツルベの音の転置と考えたのであった。兎をオサギ、狸をタノキ、後ろをオシロなどは母音の転化。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
ひなまつり
明日は3月3日、ひなまつり。女の子の健やかな成長を祈るひな祭りは、桃の花が咲く頃の行事のため、桃の節句とも呼ばれる。古代中国で三月上巳(じょうし)の日に、水辺で禊(みそぎ)を行ったことに由来するという。この禊は今日でも、紙でできた形代(かたしろ・人形(ひとがた))に、自分の穢れをうつして川に流す「流し雛」にその片鱗をみることができる。現在のような雛人形を飾って祝うようになったのは、江戸時代の徳川五代将軍綱吉(在位1680〜1709)の頃で、庶民のあいだにもひろがり、人形のしつらえもダンダン派手になって、何度も幕府から華美を禁じる命令が出されたほどだったという。

京都では、雛人形は、向かって右が男雛、左が女雛と、他の地方とは反対に飾る。これは、南向きの御所では左方向(日が昇る方向)が上位とされるため、天皇から見て左を上位とする伝統による。下鴨神社では、桟俵(さんだわら)にのせた紙製の雛人形を、境内を流れる御手洗川に流す神事を行っている。上賀茂神社でも、本殿の神前に桃の花、辛夷(こぶし)の花、草餅などを供えて無病息災を祈る桃花神事ののち、午後から四月から小学校へあがる氏子町の幼稚園児、保育園児が、渉渓園(しょうけいえん)で流し雛をする。また、下京区の市比責(いちひめ)神社では、平安装束をまとった「人雛」が披露され、三人官女が雛を奉納する行事が行われる。

時間があれば、桃の花が咲く頃の、はんなりとした雰囲気にあふれる行事を楽しみたいのだが、今回もニュースで垣間見るだけにおわるのだろうなぁ…今京都。
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