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rrbのブログ - 2010/03のエントリ

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おやかまっさん おねくる 2010/03/31 12:00 am

ねくる
口の中の食物をあちこち動かす。口中でむにゃむにゃする。「飴玉をオネクッテるあいだに溶けてしもた」 歯でがりがり噛まないで口中でオネオネするところから。オネオネのオネを動詞化した。オネオネは別に言いごもるさまにもいう。「何をオネオネ言うてんのや。はっきりせんかい」 逆に、おもいきって言いたいことを遠慮なく言うのも京都人には好まれない。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

度末
一昨日の29日(月)に雪が降った。市街地では積もることはなかったが、山間部や北のほうは積もっていた。降り続く雪を見ていて、先日、かぐや姫のメンバー伊勢正三氏がテレビに出ていた。のを思い出した。イルカ氏も出ていた。名曲「なごり雪」の誕生秘話というか裏話というか、そんな内容だった。「落ちては溶ける雪を見ていた…」という歌詞のとおり、まさに落ちては溶ける雪を見ていた状況に少しホンノリとした。



さて、今日で年度末。平成21年度も今日で終わりだ。学年暦制度を取り入れた4月を年度の始まりとするところは結構多いのだろうか、それとも、京都は学生の街ならではことなのだろうか、詳しくはわからない。私事であるが、明日から少し職場環境が変わる。良いことか悪いことかは別として、少し複雑な心境である。落ち着くまでは暫く時間を要するだろうなぁ。何せ環境が変わるのが最も苦手な性格なので。環境に慣れて自分のペースで仕事ができるようになるまでは、ブログ更新もままならぬ状況となるかもしれない…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


 

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今京都 おもる 2010/03/30 12:00 am

もる
食物を振る舞う。「試合に負けた者がオモルようにしよう」 供与するの意味のモルに接頭語オをつけた。「薬をモル」というときのモルは供与することである。もとは人に食わせるのがモルで、目上の人と飲食をともにするのがモルであった。「酒もり」のモリと同系。御馳走を盛り上げる意味ではなかった。「コーヒをオモル」というオモルが本来の語法で「奢る」からではない。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

関政治
平安時代、左大臣藤原冬嗣の次男良房(804〜872)は、嵯峨天皇に愛され11歳の時に皇女潔姫(きよひめ)を降嫁された。長じて842(承和9)年には有力貴族の伴健岑(とものこわみね)、橘逸勢らを謀反の容疑で流罪にし、皇太子恒貞親王をも廃した(承和の変)。良房の妹順子(じゅんし)が産んだ道康親王(のち文徳天皇)を新たに皇太子に擁立し、娘明子(めいし)をその妃とした。さらに文徳天皇と明子の間に生まれた清和天皇が即位すると人臣で最初の摂政になった。また、養子の基経は関白に上り、ここに摂関政治が幕を開けた。
藤原氏最盛期の道長を例にとれば、妹たちは二天皇を生み、娘たちは三天皇を生んだ。外威として確固たる地歩を占め、天皇以上の絶大な権力を握った。自らの権勢を満月にたとえて、「この世をば我が世とぞ思う望月」の心境にもなろう。藤原一族のなかでも摂関かは藤氏長者として一族を代表し、荘園や氏社、氏寺を一手に掌握した。その強固な基盤から、生まれながらに栄進を約束されたのである。



藤原氏の勢力が増大するにつれ、藤原氏内部でも主流・傍流で地位や収入の格差が広がっていった。興味深いことに藤原氏の系図を見てみると、主流(氏長者)=長男の家系という図式は当てはまらない。一例として藤原実頼は摂政・関白・太政大臣をつとめ、氏長者になり小野宮殿と呼ばれた。子や孫にも恵まれた(この家系を小野宮流という)にも関わらず、主流は弟の師輔(九条殿)の家系(九条流)へと移っていった。以後、摂政・関白は師輔の家系が相承し、摂関家の祖といわれる。
なぜそうなったかというと、実頼の子女は皇子を生まず、師輔の子女が皇子を生んだからである。天皇の姻戚になってこそ氏長者の資格ありと認められたのは、藤原氏の政治的特徴を示している。政治の表舞台で活動したのは男性であったが、裏舞台では常に女性が鍵を握った。



また、藤原氏躍進の時代は、わが国文化史上においても大きなターニングポイントとなった。唐が衰退し、遣唐使が廃止されると、中国文化の影響力は弱まっていった。仮名文字の広まり、国文学の発達、女流文学者の出現、浄土教の発達、美術・工芸・建築などで日本独自の発展を見せ、豊麗優雅な造形を生み出した。漢字の音を借りて日本語を表記する万葉仮名は、藤原時代に平仮名へと発展した。どちらも漢字を基礎としているが、万葉仮名は楷書体、平仮名は草書体をさらにくずした音節文字。女性が書き手の主体であったため、平仮名のことを「女手(おんなで)」ともいい、繊細な情趣を表す上で大きな役目を果たした。
いずれにしても、藤原氏は、皇室と姻戚関係を結び影響力を増大し、政権を握ったということか…今京都。(『京都のふしぎ発見』より)


 

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天を仰いで思うこと かかる 2010/03/29 12:00 am

かる
合格する。「山田はんのぼん、有名大学にカカラはったんやて、よろしおすな」「引っ掛かる」意味の「かかる」から。合格するをウカル(受かる)というようになり、カカルは老年層しか使わなくなった。カカルには「扶養してもらう、世話になる」の意味もある。「あそこのおじいちゃんはしっかりしといやすし、子どもにカカルなんて思うたらしまへんのやろ」 跡取りの子をカカリ・カカリゴと言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)





1兆5千億円の巨費を投じ、アジアのハブ(拠点)空港を目指して関西国際空港がオープンしたのは約15年前。成長著しいアジアの観光客を期待し、関西政財界はこぞって歓迎した。ところが、景気低迷と巨額の負債がたたり、関空会社は経営難。3年前の神戸空港開港で、伊丹を含め関西圏に空港が三つとなり、利用低迷に拍車をかける。2006年度の国内の空港利用者数を比べると、羽田がダントツの6688万人で、成田の3201万人が次ぐ。伊丹1684万人、関空1644万人、神戸274万人で、三つ合わせても羽田の半分だ。この状況に、「もし、びわこ空港が出来ていたら…」と思わずにいられない。道州制や首都機能移転の議論がにぎやかだった1991年、びわこは神戸と並んで第6次空港整備5カ年計画に盛り込まれたが、反対運動もあり事実上中止。



一方、市民の反対を押し切って開港した神戸は減便で苦戦が続く。一体、どういう見通しで空港を作ったのか。建設中止となった新幹線の栗東新駅でも過大な需要予測が問題になった。「建設ありき」で都合の良いソロバンをはじいていたのではと疑いたくなる。関西3空港懇談会で関空、伊丹、神戸の一元管理をめざすことになったが、関空への機能集中を訴える大阪と3空港併存を求める兵庫の溝は埋まらない。空港は国際観光都市・京都の玄関口。持続可能な解決策を見いだしてほしいものだ。
そんな中、国内98番目となる茨城空港(茨城県小美玉市)が今月の11日に開港した。初日から飛んだ定期便は、韓国・アシアナ航空のソウル1往復のみ。国内線はスカイマークが神戸と1往復運航するが、就航決定の遅れから実際の定期運航は4月16日からで、開港時に「国内定期便なし」という異例の事態。



全日空や日航は、「茨城空港の需要は見込めない」と当面は国内定期便は就航しない見通しだという。「赤字空港」となるのは確実で、地方空港の乱立を招いた航空政策の在り方があらためて問われそうだ。国土交通省によると、離島空港や、2012年度に軍民共用化再開予定の米軍岩国基地を除けば、全国で最後の空港開港となるということだが…。茨城県と国は開港前、札幌、大阪、福岡、那覇と結んだ場合、年間約81万人の利用が見込まれると説明していたが、4路線とも実現しなかった。アシアナ、スカイマークの定期便計2往復が毎日満席になったとしても、20万人余りにとどまる。茨城空港は、航空自衛隊百里基地を共用する形で、自衛隊用の滑走路に平行し2700mの滑走路を新設した。事業費は約220億円。県がターミナルビルを管理するということだ。もし、人間が道具を使わずに空を飛べることができたら、こんな問題にはならなかったのだろうか。空を巡っての問題に、鳥たちはどう見ているのだろう…と、天を仰いで思うこと。


 

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おやかまっさん みあげ 2010/03/28 12:00 am

あげ
着物の縫い上げ。着物のつまみ縫い。「すぐに大きいなるよって、ちょっとミアゲしとこ」「身上げ」から。子どもの身長が伸びても使えるように肩で袖の長さ、裄に合わせて縫い上げること。ミヤゲとも。丹波ではヌアゲ。腰で縫い上げをして身丈をあわせるのをカラアゲ・カラゲという。カラゲは、歩くとき着物の裾が足にまといつかぬように、掲げることにもいう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

蔵物語(301)と羅漢








 

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おやかまっさん ひきちぎり 2010/03/27 12:00 am

きちぎり
ひな祭りに食べる生菓子。「引き千切り」から。餅を玉杓子のように引きちぎって、餡玉を載せた菓子。ひな祭りに和菓子屋が作る。ひな祭りには来客が多いので、餅をちぎって客に出したことから。近年は餅でなく、コナシ(生菓子の生地・練り切り)を用いる。ひな祭り用の長さ10cm、幅3cmほどの小さい板付きカマボコは、ヒナイタ(雛板)といい、花や鳥の絵をあしらう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

肉の策
「嵐電沿線と嵐山界隈」として特集で写真を掲載したのは、2009年9月20〜30日のこと。その第二弾を検討中である。と、いっても新しく撮ったわけではない。その時に撮った写真の未掲載のものがある。年度末・年度始めでバタバタしそうなので、落ち着くまで(いつになれば落ち着けるのやら)、写真掲載のみでなんとか更新を継続しようかと考えている。苦肉の策だが、自分の中では常套手段となっている。



従来からそうであるが、どうも環境が変わるのは好きではない。四の五の言っても仕方ないとはわかっているが、何かと慌しいのは嫌だ…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


 

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