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rrbのブログ - 2009/11のエントリ

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今京都 ちゃり 2009/11/12 12:00 am

ゃり
おどけ。「チャリばっかりせんと、まじめにしなはい」 滑稽なことをする人にも使う。動詞はチャル。江戸時代の宝永年間ごろから使用。「戯る」に基づく。「なんでそんなにチャッテルのや」 チャリスルとも。鬼ごっこやかくれんぼの遊びで、仮に仲間に入れておく小さい子どもをチャリンボと言った。チャリに坊をつけた。「あの子にチャリンボで入ってもらおうよ」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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賀茂神社/あふい(葵)伝承 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月26日掲載)
平成6年12月に世界遺産に登録されており、葵祭とかでも有名な京都・上賀茂神社へ行ってきた。「今京都」では観光所・有名所を取り上げるのが目的ではないのだけれど、あえてここを訪れたのはある目的がある。その目的とは「葵が母子の縁結ぶ」というお話を訪ねてみたくなったからだ。





賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)を祭神とする上賀茂神社。正式な名前は「賀茂別雷神社」なのだが「上賀茂神社」のほうが有名。この境内には、神事に赴く神職が本殿に入る前に必ず一礼していく場所があるという。





大神の母・玉依比売命(たまよりひめのみこと)をまつる片山御子神社(片岡社)だ。山城国風土記逸文などの古文書には、上賀茂神社のシンボルになっている葵(あおい)が、母子の縁を結んだ植物として登場する。玉依比売命は、上賀茂一帯を治めていた賀茂県主(あがたぬし)族の祖神、賀茂建角身命(たけつのみのみこと)の娘に当たる。ある日、玉依比売が賀茂川で川遊びをしていると、朱塗りの矢が流れてきた。拾い上げて持ち帰ると、矢に神の力を感得して身ごもり、男の子を産んだ。建角身命はあらゆる神々を招いて宴を開いた席上、「父親と思う者にこの酒を飲ましめよ」と男子に杯を渡す。すると、男子は「われは天神の御子なり」と叫んで杯を上に向かって投げ、そのまま天に昇って賀茂別雷命となったという。





天に昇って賀茂別雷命となってしまった男子へ玉依比売(たまよりひめ)は嘆き悲しみ思いを募らせる。ある夜、夢の中に男子が立ち「葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)をつくり、飾って待てば現れる」と告げる。その通りに祭事を営むと、社殿の北北西にある神山に賀茂別雷命が降臨したという。葵の語源の「あふひ」は、わが子に会いたいと願い、葵を飾った玉依比売命の神話に由来している。毎年5月15日の葵祭(賀茂祭)に参加する人々が、カツラの枝にフタバアオイを差した飾りを身につけているのも、この神話に基づいているという。





かつては、境内を緑豊かに覆っていたフタバアオイも、時代とともに数が激減。この「母子の縁を結んだフタバアオイ」の緑をもう一度取り戻そうと、地元の小学生や地域住民たちが「葵プロジェクト」と名付け、フタバアオイの株を増やす取り組みを始めた。文化や伝統の継承は、先人たちの大変な努力で守られてきたのはいうまでもない。今の時代こそ、母が子、子が母を大切にする思いを伝えていきたいという思いを込めて「葵プロジェクト」は進められていくことを願いたい…今京都。


 

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今京都 さいた 2009/11/10 12:00 am

いた
指した。差した。子どもが人当て遊び歌で、「誰さんの隣に誰がいる」と囃すと、目隠しした鬼が人の名前を当てる。当たれば「ようサイタ(指した)」と一同が答えた。当て外れると、「つるっと滑って橋の下」とまた囃す。「傘をサイテ行きなはい」のように「差して」をサイテとも言う。「お礼をサイダス(差し出す)」というところもある。かつては「傘サイセ行け」と、サイテをサイセとも言った。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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薬師 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月25日掲載)
買い物客や修学旅行生が行きかう京都の繁華街、新京極通の蛸薬師に蛸薬師堂がある。若者向け洋品店やゲームセンター、土産物店にまぎれるように、ひっそりとたたずんでいる。蛸薬師堂はもともと、今の約1km北西の二条室町(にじょうむろまち)の辺りにあった。寺の名前は永福寺。後深草天皇の建長年間(1249〜1256)の初め、善光という僧が住んでいた。



寺で看病していた母親にある日、「子どもの頃から好きだったタコを食べると病気が治るかもしれない」と懇願される。善光は困り果てる。と、いうのは僧侶は生き物を殺したり、食べてはいけないからだ。だが善光はタコを買い、経本を入れる箱に隠す。僧侶が生魚を買ったことに不審を抱いた人々は、寺の門前で箱の中を見せるように迫る。



「母の病気を治すためです。薬師如来様、どうかお助けください」。善光は一心に祈りながら、箱を開ける。するとタコは八軸の経巻になり、四方に光を放つ。経巻は再びタコに姿を変えて池に飛び込むと、今度は薬師如来に変じて善光の母を照らし病気を治す。それから、永福寺は蛸薬師堂と呼ばれるようになったという。



当時は、僧侶は生き物を食べないということが人々に浸透していた。だから魚屋の前にいた善光の姿が珍しく、現在のように誰もが当たり前に魚介類を食べる世の中では、この逸話はなかったと思う。蛸薬師堂は、豊臣秀吉の時代に現在の地へ移る。病気を治した蛸薬師様に病気平癒を祈る人々の参拝が絶えず、寺に通じる坊門通は、蛸薬師通と名を変えた。



新京極通から数歩入った境内は、とても狭いが驚くほどに静か。母を思って買ってはならないタコを買い、一生懸命に祈った善光さんの気持ちと、今の人々が大切な人を思って手を合わせる気持ちは時代が違ってもなんら変わりないと信じたい…今京都。


 

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今京都 しっぽく 2009/11/08 12:00 am

っぽく
かやくうどん。シイタケ、カマボコ、ユバ、ホウレン草などを入れる。シップクとも。卓袱(しっぽく)はもとは食卓の覆いのことで、中国風の食卓の意味になった。丸型の飯台で、真ん中に丸く切れ込みがある。鍋物には切り込みを外し、コンロをはめて使う。シッポクダイと言う。なお、タヌキうどんはキツネうどんの汁をあんかけにしたもの。あんかけの色からタヌキを連想する。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(282)




 

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今京都 めーぼ 2009/11/07 12:00 am

ーぼ
ものもらい。目の縁にできる小さい腫れ物。「メーボやと思うたら小豆粒やった」と唱えて、井戸に小豆を三つ後ろ向きに投げ入れるとメーボが治るなどという言い伝えがある。人から物をもらうと治るという民間信仰からモノモライというほか、全国各地の方言は多い。京都府北部や南山城ではメボ、メバチコとも言う。熊本でオヒメサン、仙台でバカなど麦粒腫の命名の動機をさぐるのも面白い。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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雲寺/菊野大明神 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月23日掲載)
寺社仏閣、色々なご利益があるのは当然のこと。家内安全、無病息災、学業成就、良縁…などなど。その中でも「少し恐いな」と思うのが「縁切り」のご利益。「良縁を結び、悪縁を断つ」という大明神があると知り、早速でかけてみた。念のために断っておくけれど、願掛けに行ったのではない。



河原町二条の交差点を少し北に行った東側にある法雲寺のお堂内に「菊野大明神」の祠がひっそりとたたずむ。この「菊野大明神」が「どうしても別れたいのに、恋人が別れてくれない」「何とかして夫の浮気をやめさせたい」そんな縁切りの願いをかなえてくれるという。



言い伝えはこうだ。昔、三条東洞院に婚礼の儀で近くを通ると、その後に必ず夫婦が別れてしまう石があった。法雲寺が1788(天明8)年の大火で全焼し、15年後に再建する際、山伏が現れて「霊石があるのを知っているか。祭らなあかんぞ」と言った。当時の住職が霊石を探したところ、この「縁切り石」が出てきたという。また、別の伝承では、小野小町に恋焦がれて百夜通いをしていた深草少将が、腰掛けて休んだ石ともされている。少将はあと一夜を残して亡くなり、その石に無念の思いがこもって、男女を別れさせるというのだ。以前はうす暗いお堂の中の祠に、恨みのこもった願書が重なるように張られたり、ぐるぐるに巻いた女性の髪や五寸くぎを刺したわら人形が置かれるなど、不気味な雰囲気だったという。



この祠は、1988(昭和63)年に改装し、「良縁を結び悪縁だけを断ち切る神様」として信仰されているという。現実に訪れるのは「悪縁を切りたい人ばかり」で、しかも、その参拝者の9割は女性だということだ。最も多いのは「夫や恋人が浮気相手と別れてほしい」という願いだそうだ。他には「子どもの縁談が気に入らないから壊れてほしい」とか「ストーカーから逃れたい」などもあるというからある意味で時代を反映しているのかも知れない。



大明神に向かって「男の本性を教えて」などと悩みを打ち明けながらお参りする女性もいるという。男と女は心の根っこが違うから色々な意味での行き違いがあっても当たり前だと思うけれど、この祠で大明神を見つめていると参拝者たちの姿が目に浮かんでくる。現実は小説よりもドラマチックで、ドロドロしているということか…。



菊野大明神にお参りをした何ヶ月か後に「別れられました」とすっきりした顔で御礼参りに来る人も多いという。いつの世も一番の喜びも一番の苦しみも恋愛によってもたらされるのはひとつの事実だけれど、「男女の仲は難しい」としみじみと思い、いつしか手を合わせている自分がいた…今京都。


 

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今京都 しがんだ 2009/11/05 12:00 am

がんだ
しけた様子の子ども。「なんぼ悲しいから言うてシガンダみたいな顔しんとけ」 やせて貧相な子どもにも言う。シガム(嚙みしめる)から。「スルメをシガム」「鉛筆シガンデ勉強してる」のように、噛み切りにくいものを繰り返して嚙さま。江戸時代中ごろから使用。「袖をしがんで泣く」のように、じっと噛みしめる形容であった。ものを噛んで残る筋がシガンタ・シガンダである。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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王神社/夫婦岩 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月18日掲載)
子どもの誕生を望む夫婦の願いを、長年受け止め続けてきた岩が、山王神社にある。本殿前に寄り添うように並んでいる。しめ縄で飾られた二つの岩。名前を「夫婦(めおと)岩」という。神社には、二つの岩の由来が何とも不思議な話で伝わっている。



約千年前、天台座主の良真がこの地を訪れた際、良真の後を追って、比叡山から一緒に飛んできたというのだ。同神社がある山ノ内地域はかつて、比叡山延暦寺の領地だった。同神社は、延暦寺の守護神でもある日吉大社(大津市)から分霊し、創建されたとされる。岩はいつしか夫婦岩と呼ばれ、子授けや安産の信仰を集めるようになった。岩が男性と女性らしい形をしていたからかもしれない。向かって左の女岩は高さ約1m、幅約2.5mで、中央部分がへこんでいる。男岩は高さ約1.5m、幅約1.3mで、ややずんぐりした形だ。男岩と言うには少し物足りない気がするが、実はこの岩、地中深く埋まっている。約15年前、本殿の改修に合わせて、離れていた岩を現在の場所に移すために掘り出した際、大きさが5mほどであることが分かったという。



神社の言い伝えでは、二つの岩の周囲を、三周回った後、岩をなでて願うと子を授かるという。また、子どもが生まれて初めての宮参りでは、酒や米、梅干しを小皿に入れて女岩のくぼみに供えて感謝し長生きなどを祈願。梅干しの皮で鼻をつまんで出世を祈り、種をくぼみに入れて、子孫繁栄を願う言い伝えも残っているという。



今でも願を掛けるために夫婦や女性が訪れ、また、深夜に一人で祈る女性もいるという。「跡継ぎができました」「二人目が生まれました」などの喜びの連絡があったりするという。現在は虐待など子どもをめぐる悲しい出来事が多い世の中。子どもが欲しいと一心に願う親の姿を想像すると、やりきれないものがある。「『子が宝』という思いは時を超えても変わらないはずなのに」と二つの岩を見て思った>



また、この神社は樹齢700年といわれるクスノキが境内を覆っている。親鸞が座ったり、足跡が残ると伝わる岩もある。あいにく非公開なので直接見ることはできなかったが水琴窟もある。樹齢700年といわれる数本のクスノキで覆われている境内は決して広くないけれど、内容は盛りだくさん山王神社…今京都。


 

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