rrbのブログ - 2010/11のエントリ
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天を仰いで思うこと 心理学 2010/11/21 12:00 am
心理学
相変わらずブログの更新がなかなか進まない状況だ。しばらくは休息宣言をしなければならないかな…とも考えている。
さて、心理学に触れる機会が多いこのごろだ。特に、アーネスト・L・ロッシの『精神生物学』に苦しめられている。と、いっても、拒絶するほど嫌がっている訳ではない。「実におもしろい!」という感想もあるが、脳とホルモンに関することなので、苦手なのだ。要約すると、心が疾病の治療に大きな変化を与えうるとする説と、この説が真剣な考慮に値し、多くのケースに実際にあてはまるという医師たちの臨床報告とを結びつけるものである。つまり、肉体の病気を、心や精神的な方法を用いて治療することが本当に可能なのかという問題であり、心身相関的な療法について、なのである。

催眠療法で、特定された意識だけを退行させることにより、その症状は消えた。
催眠療法で、クライエントが自分の心身の問題に気づき、それを克服することができた。
などなどが報告されている。
その方法は決して難しいものではない。試しに、自己暗示で退化させてみた。何度かチャレンジしている間に、なんと、煩わしい現象がひとつ消えたではないか。所要時間は20分くらいだ。カウンセラーも必要ない。コツさえ掴めば、自分でもできる。まぁ、たまたまかも知れないが…。生物学的なしくみが分かれば、「なるほど!」という発見でもある。この自己暗示は便利なものだ。

例えば、人前でしゃべるのが苦手な人も、ホンの数分で、どんな人数の前であっても、ちゃんとしゃべれるようになる。ただし、しゃべる内容をしっかり持っており、人前では「緊張したり」「あがったり」する人への対処なので、しゃべりネタまでがつくられるわけではない。このいわば「自己暗示」な方法は、なかなか有効な手段だ。
「ちょっと苦手」とか「無理」とか「できない」とか思っている場合は、自分には事実だと思えても、統計によると、技術的なものでない限り、90%は精神的な(無意識な)思い込みによるブレーキがかかっているという状況であるのが実際なのである。簡単に言うと、自分で無意識のうちにブレーキをかけてしまっているということだ。「無理」と考えているその思考が意識的にあるいは無意識にブレーキをかけてしまっているということだ。ややこしい話だが、「無理」と考える、あるいは「しんどいと考える」ことが、既にブレーキをかけてしまっている状態なのだ…とロッシはいう。
その呪縛から紐解くのは、とても簡単な方法だという発見は自分にとっては嬉しい限りであった。そもそも自己分析によると、この理論・方法を知る前に既になんとかなく実行していたようなのだが…。

さて、その方法は、簡単なことであるが、文章で書くとヤヤコシイ内容となる。
誰しも初めから「無理」ではない。何かが原因で「無理だ」とか「できない」とか記憶してしまっている。その記憶する前の段階に意識の一部を退行させることなのである。
目を閉じて自分と向き合う。どの時に「それが無理」と感じたかを、呼吸を整えて記憶をさかのぼっていく。一回では無理でも、何回かしていくと「その時」が鮮明に見つかる。見つかれば、次に、その時の少し前(平気であった時)の記憶を意識する。意識がしっかり持てたら、そのことをしばらく考えつづける。それが定着できたら、克服できるということだ。
ヤヤコシイ話だが、日本にはいい言葉があった。「病は気から」という言葉だ。この言葉の意味をしっかりと理解すると感覚的にわかるはずである。さぁ、目を閉じて、記憶の退行をしよう。そして平気になったら、次の行動はおのずと見えて、できるはず。あっ…「信じるものは騙される」ということもあったっけ…と、天を仰いで思うこと。

相変わらずブログの更新がなかなか進まない状況だ。しばらくは休息宣言をしなければならないかな…とも考えている。
さて、心理学に触れる機会が多いこのごろだ。特に、アーネスト・L・ロッシの『精神生物学』に苦しめられている。と、いっても、拒絶するほど嫌がっている訳ではない。「実におもしろい!」という感想もあるが、脳とホルモンに関することなので、苦手なのだ。要約すると、心が疾病の治療に大きな変化を与えうるとする説と、この説が真剣な考慮に値し、多くのケースに実際にあてはまるという医師たちの臨床報告とを結びつけるものである。つまり、肉体の病気を、心や精神的な方法を用いて治療することが本当に可能なのかという問題であり、心身相関的な療法について、なのである。

催眠療法で、特定された意識だけを退行させることにより、その症状は消えた。
催眠療法で、クライエントが自分の心身の問題に気づき、それを克服することができた。
などなどが報告されている。
その方法は決して難しいものではない。試しに、自己暗示で退化させてみた。何度かチャレンジしている間に、なんと、煩わしい現象がひとつ消えたではないか。所要時間は20分くらいだ。カウンセラーも必要ない。コツさえ掴めば、自分でもできる。まぁ、たまたまかも知れないが…。生物学的なしくみが分かれば、「なるほど!」という発見でもある。この自己暗示は便利なものだ。

例えば、人前でしゃべるのが苦手な人も、ホンの数分で、どんな人数の前であっても、ちゃんとしゃべれるようになる。ただし、しゃべる内容をしっかり持っており、人前では「緊張したり」「あがったり」する人への対処なので、しゃべりネタまでがつくられるわけではない。このいわば「自己暗示」な方法は、なかなか有効な手段だ。
「ちょっと苦手」とか「無理」とか「できない」とか思っている場合は、自分には事実だと思えても、統計によると、技術的なものでない限り、90%は精神的な(無意識な)思い込みによるブレーキがかかっているという状況であるのが実際なのである。簡単に言うと、自分で無意識のうちにブレーキをかけてしまっているということだ。「無理」と考えているその思考が意識的にあるいは無意識にブレーキをかけてしまっているということだ。ややこしい話だが、「無理」と考える、あるいは「しんどいと考える」ことが、既にブレーキをかけてしまっている状態なのだ…とロッシはいう。
その呪縛から紐解くのは、とても簡単な方法だという発見は自分にとっては嬉しい限りであった。そもそも自己分析によると、この理論・方法を知る前に既になんとかなく実行していたようなのだが…。

さて、その方法は、簡単なことであるが、文章で書くとヤヤコシイ内容となる。
誰しも初めから「無理」ではない。何かが原因で「無理だ」とか「できない」とか記憶してしまっている。その記憶する前の段階に意識の一部を退行させることなのである。
目を閉じて自分と向き合う。どの時に「それが無理」と感じたかを、呼吸を整えて記憶をさかのぼっていく。一回では無理でも、何回かしていくと「その時」が鮮明に見つかる。見つかれば、次に、その時の少し前(平気であった時)の記憶を意識する。意識がしっかり持てたら、そのことをしばらく考えつづける。それが定着できたら、克服できるということだ。
ヤヤコシイ話だが、日本にはいい言葉があった。「病は気から」という言葉だ。この言葉の意味をしっかりと理解すると感覚的にわかるはずである。さぁ、目を閉じて、記憶の退行をしよう。そして平気になったら、次の行動はおのずと見えて、できるはず。あっ…「信じるものは騙される」ということもあったっけ…と、天を仰いで思うこと。


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天を仰いで思うこと 心がけ 2010/11/03 12:00 am
心がけ
本屋さんを覗くと『マネジメント』に関する本も結構並んでいる。ドラッガーがひとつのブームのようになっている。立ち読みをしている人や買っていく人を見ると、管理職ぽい人が多い。「読んでためになるのか…」と気になる。当然、読まないよりは読む方がいい。しかし、「やったつもりになる」ということである。つまり、読んで「できる気」になってしまい、実践は「できていない」ということに気づかないことだ。そういう心配はある。

誰しも、小学生や中学生の頃に夏休みなどの日々の計画表の作成をした記憶があるだろう。その時のことを思い出してみたい。
○時 起床
○時 朝食
○時 午前の勉強
と、就寝を含む24時間を、丁寧に、それも色分けまで作る。そして眺める。で、おかしいところに気がついたり、これでは無理だと気がついたりして、書き直す。ようよう完成したときは、その計画表を眺め、できた気になる。しかし、しばらく日が過ぎると、その計画表どおりに行動しなくなる。そして、夏休みの終わりに慌てて宿題に取り掛かる…誰しもあった経験ではないだろうか。ここでの問題は、計画表をつくりあげたことによる達成感が次のステップ、つまり行動へと移させない心理が無意識に働くからである。また、きっちり作りすぎることにより、守れなくなったことへの諦め心理も手伝って実行できなくなる。この心理が働かないだろうか…と心配になる。

知識をもって理論立てるのは良いことだ。しかし、実践(実行)できてこそ、初めて成果となる。周りを見渡しても、薀蓄ばかりで実践できない輩が多い。これが厄介な存在になる。自分はこうはなりたくない…と思うが、ついつい…元来のめんどくさがり屋の性格が邪魔をして途中で投げ出すこともしばしば。このブログもそうである。プツン…と切れてしまったような感じである。
気がつけば11月だ。色々と考えると今年度はブログを続けるのには、相当無理がありそうだ。つづけるか、やめてしまうか、と色々悩む。そこで気がついたことがある。どちらかに決めなくてもよいではないか、ということだ。書きたいと思えば書けばよい。書けないときでも焦る必要はない。「やらなければならない」ということはないということだ。

自分を縛り付ける「呪縛」から脱却できたとき、自然と物事が進むようになる。「そこそこ感覚」というぐらいが丁度居心地がいいのかも知れない…と、天を仰いで思うこと。

本屋さんを覗くと『マネジメント』に関する本も結構並んでいる。ドラッガーがひとつのブームのようになっている。立ち読みをしている人や買っていく人を見ると、管理職ぽい人が多い。「読んでためになるのか…」と気になる。当然、読まないよりは読む方がいい。しかし、「やったつもりになる」ということである。つまり、読んで「できる気」になってしまい、実践は「できていない」ということに気づかないことだ。そういう心配はある。

誰しも、小学生や中学生の頃に夏休みなどの日々の計画表の作成をした記憶があるだろう。その時のことを思い出してみたい。
○時 起床
○時 朝食
○時 午前の勉強
と、就寝を含む24時間を、丁寧に、それも色分けまで作る。そして眺める。で、おかしいところに気がついたり、これでは無理だと気がついたりして、書き直す。ようよう完成したときは、その計画表を眺め、できた気になる。しかし、しばらく日が過ぎると、その計画表どおりに行動しなくなる。そして、夏休みの終わりに慌てて宿題に取り掛かる…誰しもあった経験ではないだろうか。ここでの問題は、計画表をつくりあげたことによる達成感が次のステップ、つまり行動へと移させない心理が無意識に働くからである。また、きっちり作りすぎることにより、守れなくなったことへの諦め心理も手伝って実行できなくなる。この心理が働かないだろうか…と心配になる。

知識をもって理論立てるのは良いことだ。しかし、実践(実行)できてこそ、初めて成果となる。周りを見渡しても、薀蓄ばかりで実践できない輩が多い。これが厄介な存在になる。自分はこうはなりたくない…と思うが、ついつい…元来のめんどくさがり屋の性格が邪魔をして途中で投げ出すこともしばしば。このブログもそうである。プツン…と切れてしまったような感じである。
気がつけば11月だ。色々と考えると今年度はブログを続けるのには、相当無理がありそうだ。つづけるか、やめてしまうか、と色々悩む。そこで気がついたことがある。どちらかに決めなくてもよいではないか、ということだ。書きたいと思えば書けばよい。書けないときでも焦る必要はない。「やらなければならない」ということはないということだ。

自分を縛り付ける「呪縛」から脱却できたとき、自然と物事が進むようになる。「そこそこ感覚」というぐらいが丁度居心地がいいのかも知れない…と、天を仰いで思うこと。

