ID : Pass :  | register
フォトヴィレッジ
(rrbのブログ)
上手い下手は関係なし
感じたままの気ままな
写真と言葉を掲載
*画像は全てリサイズ済*
 
------------------------------
《写真カテゴリ》
*
京都の町の
そぞろ歩きは
今京都
* *
スズメさんで
天を仰いで思うこと
* * *
四方山話は
おやかまっさん
* * * *
京都以外の町で
足の赴くままは
◆◆なう
------------------------------
色々とチャレンジする
rrbのブログ
フォトヴィレッジ




Photographer affectation
Delivered from Kyoto
Since 2006/4/25
Since 2007/12/9
(Renewal Start)
Copyright (C) 2006
www.rrbphotovillage.jp
All Rights Reserved
カレンダー
« « 2009 11月 » »
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 1 2 3 4 5
ご案内
今京都記事一覧
京ことば記事一覧
京が語源記事一覧
天を仰いで記事一覧
・スズメの写真
------------------------------
アクセスカウンタは
不具合のため
運用停止中
2017/9/27
過去ログ
     

rrbのブログ - 2009/11/03のエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

サイト全体のカテゴリーナビゲーション

今京都 ずいき 2009/11/03 12:00 am

いき
里芋の茎。赤ズイキが市場に出回るが、白ズイキも食用になる。ゴマ味噌酢で和えたズイキや、しょうが汁とズイキの炊いたのは美味。10月はじめの北野天満宮の祭りを「ずいき祭」という。農作物の豊作を感謝する祭りで、ズイキなどを神輿に飾る。京都府北部では里芋をズイキイモ、ズイキモという。茎の赤い里芋はトーノイモとも。ズイキの中でも葉柄の青いのエグイ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

生の寺子屋 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月16日掲載)
浄瑠璃「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」のヤマ場となる「寺子屋」。その寺子屋の跡と伝わる場所が京都市右京区京北の芹生(せりょう)にある。市内から貴船神社のある貴船の北側標高700mの芹生峠を越えようやくたどり着く。松竹演劇部によると「往来が容易でない京都郊外の隠れ里が寺子屋というストーリーに最適だ」というが、実際に行ってみて「確かに!」と思う。





物語の舞台は平安時代。芹生の寺子屋に地元の子に混じり、高貴な顔立ちの子が一人いる。菅原道真が藤原時平の謀略で太宰府に流された中、道真の子・菅秀才(かんしゅうさい)を忠臣・武部源蔵がかくまっているのだ。ある日、居所を知った時平側が菅秀才の首を要求する。切羽詰まった源蔵は、この日、寺子屋に初めて来た利発そうな子の首を身代わりに打ち、差し出した。その首をじっと見た時平の使者・松王丸は「菅秀才の首に相違ない」と帰って行く。しかし、首を打たれた子は実は松王丸の実の子だった。松王丸は心ならずも時平に仕えているが、心の底では父・白太夫(しらたゆう)らが仕える菅原家に役立つことを望んでいた。そして菅秀才を救うために、わが子を初めから身代わりにする覚悟で寺子屋に預けたという筋書きだという。





浄瑠璃「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の第4段の洛北芹生を舞台とする「寺子屋の段」は有名である。その内容は、わが子を身代わりにするという現代では考えられない物語だが、松王丸が忠義とわが子への情愛の狭間で、こうした選択をせざるを得なかった苦悩を描く。わずか10歳で身代わりになった実子を野辺送りする場面は、悲しみを詩情で包んだ名舞台だ。実はこれらの物語は江戸中期の創作で、菅秀才や源蔵らは実在しないといわれる。





ところが芹生には、いつしか「寺子屋の跡」と伝わる場所があり、そこには天満宮まで建っている。史料を見ると、天満宮は1943(昭和18)年建立とある。芹生にあった分校の教員が尽力し、松竹創業者・白井松次郎や初代中村吉右衛門の協力も得て建てられたという。戦時中だけに忠義を重んじる話がもてはやされ、さらに、天満宮の建立に結びついたのかも知れない。浄瑠璃を聞く会も催され、賑わったという話もあるということだ。





歌舞伎の「寺子屋」は、南座・顔見世興行の明治以降100年の歴史を調べると、「勧進帳」「寿曽我対面」に次いで数多く上演されており、その人気ぶりが伺える。隠れ里が名舞台になった現在の芹生には10軒足らずの民家が残るのみ。いたずら盛りの子が多く登場する物語の舞台が、今や「限界集落」というのは寂しい気がする…今京都。


 

このエントリーの情報

 
     
お願い
画像等の著作権は、所有者または撮影者に帰属しています
画像等の無断転用は、固くお断りします
------------------------------
← に掲載以外の写真等は
もっと今京都
↓ ↓ ↓

------------------------------
《LINK》


XP canon


photocon

------------------------------
《ポチッとお願い》

にほんブログ村 写真ブログ 京都風景写真へ

にほんブログ村 写真ブログ 野鳥写真へ

にほんブログ村 写真ブログへ



PV Access Ranking
にほんブログ村

------------------------------
copyright Tsuwano
Screen Project

スズメ(rrbphoto)
ランダムスクロール
(表示30枚/全枚)
こんな1枚

シジュウカラ


ヒヨドリ


絵馬に願いを


手水舎


千本鳥居


幸せを感じるとき


哲学の道


影絵

pagetop