rrbのブログ - 2009/11/10のエントリ
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今京都 さいた 2009/11/10 12:00 am
さいた
指した。差した。子どもが人当て遊び歌で、「誰さんの隣に誰がいる」と囃すと、目隠しした鬼が人の名前を当てる。当たれば「ようサイタ(指した)」と一同が答えた。当て外れると、「つるっと滑って橋の下」とまた囃す。「傘をサイテ行きなはい」のように「差して」をサイテとも言う。「お礼をサイダス(差し出す)」というところもある。かつては「傘サイセ行け」と、サイテをサイセとも言った。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
蛸薬師 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月25日掲載)
買い物客や修学旅行生が行きかう京都の繁華街、新京極通の蛸薬師に蛸薬師堂がある。若者向け洋品店やゲームセンター、土産物店にまぎれるように、ひっそりとたたずんでいる。蛸薬師堂はもともと、今の約1km北西の二条室町(にじょうむろまち)の辺りにあった。寺の名前は永福寺。後深草天皇の建長年間(1249〜1256)の初め、善光という僧が住んでいた。
寺で看病していた母親にある日、「子どもの頃から好きだったタコを食べると病気が治るかもしれない」と懇願される。善光は困り果てる。と、いうのは僧侶は生き物を殺したり、食べてはいけないからだ。だが善光はタコを買い、経本を入れる箱に隠す。僧侶が生魚を買ったことに不審を抱いた人々は、寺の門前で箱の中を見せるように迫る。
「母の病気を治すためです。薬師如来様、どうかお助けください」。善光は一心に祈りながら、箱を開ける。するとタコは八軸の経巻になり、四方に光を放つ。経巻は再びタコに姿を変えて池に飛び込むと、今度は薬師如来に変じて善光の母を照らし病気を治す。それから、永福寺は蛸薬師堂と呼ばれるようになったという。
当時は、僧侶は生き物を食べないということが人々に浸透していた。だから魚屋の前にいた善光の姿が珍しく、現在のように誰もが当たり前に魚介類を食べる世の中では、この逸話はなかったと思う。蛸薬師堂は、豊臣秀吉の時代に現在の地へ移る。病気を治した蛸薬師様に病気平癒を祈る人々の参拝が絶えず、寺に通じる坊門通は、蛸薬師通と名を変えた。
新京極通から数歩入った境内は、とても狭いが驚くほどに静か。母を思って買ってはならないタコを買い、一生懸命に祈った善光さんの気持ちと、今の人々が大切な人を思って手を合わせる気持ちは時代が違ってもなんら変わりないと信じたい…今京都。
指した。差した。子どもが人当て遊び歌で、「誰さんの隣に誰がいる」と囃すと、目隠しした鬼が人の名前を当てる。当たれば「ようサイタ(指した)」と一同が答えた。当て外れると、「つるっと滑って橋の下」とまた囃す。「傘をサイテ行きなはい」のように「差して」をサイテとも言う。「お礼をサイダス(差し出す)」というところもある。かつては「傘サイセ行け」と、サイテをサイセとも言った。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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蛸薬師 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月25日掲載)
買い物客や修学旅行生が行きかう京都の繁華街、新京極通の蛸薬師に蛸薬師堂がある。若者向け洋品店やゲームセンター、土産物店にまぎれるように、ひっそりとたたずんでいる。蛸薬師堂はもともと、今の約1km北西の二条室町(にじょうむろまち)の辺りにあった。寺の名前は永福寺。後深草天皇の建長年間(1249〜1256)の初め、善光という僧が住んでいた。
寺で看病していた母親にある日、「子どもの頃から好きだったタコを食べると病気が治るかもしれない」と懇願される。善光は困り果てる。と、いうのは僧侶は生き物を殺したり、食べてはいけないからだ。だが善光はタコを買い、経本を入れる箱に隠す。僧侶が生魚を買ったことに不審を抱いた人々は、寺の門前で箱の中を見せるように迫る。
「母の病気を治すためです。薬師如来様、どうかお助けください」。善光は一心に祈りながら、箱を開ける。するとタコは八軸の経巻になり、四方に光を放つ。経巻は再びタコに姿を変えて池に飛び込むと、今度は薬師如来に変じて善光の母を照らし病気を治す。それから、永福寺は蛸薬師堂と呼ばれるようになったという。
当時は、僧侶は生き物を食べないということが人々に浸透していた。だから魚屋の前にいた善光の姿が珍しく、現在のように誰もが当たり前に魚介類を食べる世の中では、この逸話はなかったと思う。蛸薬師堂は、豊臣秀吉の時代に現在の地へ移る。病気を治した蛸薬師様に病気平癒を祈る人々の参拝が絶えず、寺に通じる坊門通は、蛸薬師通と名を変えた。
新京極通から数歩入った境内は、とても狭いが驚くほどに静か。母を思って買ってはならないタコを買い、一生懸命に祈った善光さんの気持ちと、今の人々が大切な人を思って手を合わせる気持ちは時代が違ってもなんら変わりないと信じたい…今京都。