rrbのブログ - 2008/11のエントリ
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今京都 出藍之誉 2008/11/30 12:00 am
しゅつらんのほまれ…弟子がその師よりも優れていること。子が親より優秀なこと。
◇ちょっと予備知識 → 荀子の「青は藍より出でて藍より青し」から出た語。
藍はタデ科の一年草で、青の染料に用いる。
浅葱(あさぎ)、縹(はなだ)、藍、紺の順に濃い。
類義語に出藍之青(しゅつらんのせい)・青藍氷水(せいらんひょうすい)がある。
町並み




地蔵物語(223)


◇ちょっと予備知識 → 荀子の「青は藍より出でて藍より青し」から出た語。
藍はタデ科の一年草で、青の染料に用いる。
浅葱(あさぎ)、縹(はなだ)、藍、紺の順に濃い。
類義語に出藍之青(しゅつらんのせい)・青藍氷水(せいらんひょうすい)がある。
町並み




地蔵物語(223)



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今京都 因循姑息 2008/11/29 12:00 am
いんじゅんこそく…古くからのやり方にこだわって、根本的な改善をしないでごまかすこと。一時的な策しかとらないこと。また、消極的でぐずぐずしていること。
◇ちょっと予備知識 → 「因循」はこれまでのものによりかかること、とらわれること。「姑息」は間に合わせ、
一時しのぎのこと。
類義語に因循苟且(いんじゅんこうしょ)がある。
野仏





「野仏」といっていいのかどうかわからないけれど、街中にポツリポツリと置かれている…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 「因循」はこれまでのものによりかかること、とらわれること。「姑息」は間に合わせ、
一時しのぎのこと。
類義語に因循苟且(いんじゅんこうしょ)がある。
野仏





「野仏」といっていいのかどうかわからないけれど、街中にポツリポツリと置かれている…今京都。


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今京都 出処進退 2008/11/28 12:00 am
しゅっしょしんたい…現在の職や地位にとどまるか、辞めてしまうかということ。身の処し方。
◇ちょっと予備知識 → 「出処」は世に出て役人になることと、官につかず下野すること。「出所」とのは誤り。
類義語に用行舎蔵(ようこうしゃぞう)がある。
羅漢






◇ちょっと予備知識 → 「出処」は世に出て役人になることと、官につかず下野すること。「出所」とのは誤り。
類義語に用行舎蔵(ようこうしゃぞう)がある。
羅漢







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今京都 慇懃無礼 2008/11/27 12:00 am
いんぎんぶれい…あまりに丁寧すぎて、かえって失礼な感じがすること。うわべは礼儀正しく丁寧だが、心の中では尊大で、相手を見下げていること。
◇ちょっと予備知識 → 「慇懃」は極めて礼儀正しいこと。
類義語に慇懃尾籠(いんぎんびろう)がある。
三宅八幡宮 vol.5(最終回) vol.4はここ
その他に、この三宅八幡宮には狛犬ならぬ「狛鳩」が置かれている。

境内にも鳩がいて参拝者はエサをあげることができる。

又、拝殿の幕にも「鳩」が描かれ、石燈籠や瓦にも「鳩」の模様があり、絵馬にも「鳩」が描かれている。

この鳩であるが、一説には、宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ八幡神を勧請した際に、白い鳩が道案内をしたと伝えられ、以来、八幡宮の 「鳩」 は 「神様の使い」 として大切にされてきたという言い伝えがあるらしい。

お宮参りの際に、「神鳩(しんばと)」という、土製のつがいの鳩を授けてもらい、子供が無事成長した折にお礼にお返しにくるというならわしがある。

「神鳩」は素焼きに色をつけたつがいの鳩の人形です。金色の首の輪があるほうがオス、ないほうがメス。

さらに、鳩笛や鈴鳩、鳩餅など、鳩にちなんだグッズもたくさん売られている。

中でも鳩をかたどった「鳩餅」は、三宅八幡宮でしか頂くことができない隠れた人気商品だそうだ。

米の粉を蒸したもので、白、ニッキ、抹茶の三種類。むっちりとした口さわりの、素朴な味のするお菓子。

鳩は八幡神の使いとして武士などに信仰されたそうだ。これだけ「鳩」グッズがあるのに、三宅八幡宮と鳩との関係が、これほど深いものとなったのはいつ頃か、又その理由など、詳細は全く不明だそうだ。

かんの虫封じを調べに行って、ここまで話題があるとは思わなかった。三宅八幡宮にはその他にも話題が潜んでいるかもしれないと鳥居の下にいる鳩を見て思った…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 「慇懃」は極めて礼儀正しいこと。
類義語に慇懃尾籠(いんぎんびろう)がある。
三宅八幡宮 vol.5(最終回) vol.4はここ
その他に、この三宅八幡宮には狛犬ならぬ「狛鳩」が置かれている。

境内にも鳩がいて参拝者はエサをあげることができる。

又、拝殿の幕にも「鳩」が描かれ、石燈籠や瓦にも「鳩」の模様があり、絵馬にも「鳩」が描かれている。

この鳩であるが、一説には、宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ八幡神を勧請した際に、白い鳩が道案内をしたと伝えられ、以来、八幡宮の 「鳩」 は 「神様の使い」 として大切にされてきたという言い伝えがあるらしい。

お宮参りの際に、「神鳩(しんばと)」という、土製のつがいの鳩を授けてもらい、子供が無事成長した折にお礼にお返しにくるというならわしがある。

「神鳩」は素焼きに色をつけたつがいの鳩の人形です。金色の首の輪があるほうがオス、ないほうがメス。

さらに、鳩笛や鈴鳩、鳩餅など、鳩にちなんだグッズもたくさん売られている。

中でも鳩をかたどった「鳩餅」は、三宅八幡宮でしか頂くことができない隠れた人気商品だそうだ。

米の粉を蒸したもので、白、ニッキ、抹茶の三種類。むっちりとした口さわりの、素朴な味のするお菓子。

鳩は八幡神の使いとして武士などに信仰されたそうだ。これだけ「鳩」グッズがあるのに、三宅八幡宮と鳩との関係が、これほど深いものとなったのはいつ頃か、又その理由など、詳細は全く不明だそうだ。

かんの虫封じを調べに行って、ここまで話題があるとは思わなかった。三宅八幡宮にはその他にも話題が潜んでいるかもしれないと鳥居の下にいる鳩を見て思った…今京都。


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今京都 酒池肉林 2008/11/26 12:00 am
しゅちにくりん…贅沢をきわめた盛大な酒宴。いかがわしい宴会。
◇ちょっと予備知識 → 「酒池」は酒をたたえた池。「肉林」は木に干肉をかけて林のようにしたもの。
殷の紂王(ちゅうおう)が池に酒を満たし、木に肉をかけ、その間を裸の男女に走り回らせて
酒宴を開いたという故事から。
類義語に肉山脯林(にくざんほりん)がある。
三宅八幡宮 vol.4 vol.3はここ
さて、この宮家八幡宮には「かんの虫封じ」以外にも意外のものがある。「韓国合併奉告祭碑」である。大阪生まれの李明博氏が韓国大統領に就任し、今後、冷え切った日韓関係がどう改善するかが注目されている。現在に至る日韓の歴史認識問題は、1910(明治43)年8月の韓国併合が最大の要因だ。

韓国側から見れば「汚辱」である、この出来事を、日本の「盛事」として記念した「韓国合併奉告祭碑」が三宅八幡宮に残る。参道の東側に堂々とそびえ立ち、高さ3mもある。題字は、京都府知事を務め、琵琶湖疏水の建設を推進した北垣国道によるものだという。

昔から境内にあるが、いつ、どのような経緯で建てられたのか、くわしく分からず、当時の様子を伝える文書や記録も一切残っていないという。漢文でつづられた石碑の文書を書き下し文に改めると、「…按(あん)るに、わが帝国の韓土に事あるは、遠く神世にはじまれり。その後、日槍帰化し、任那(みまなょ来朝す。神后ここに征するに、三韓風靡(ふうび)して、わが内府となれり…」などと記される。

さらに、豊臣秀吉の文禄・慶長の役、明治時代の日清、日露戦争を経て、ついに韓国全土を日本の領土としたとあり、神として祭る応神天皇に「奉告」したかたちとなっている。京都をはじめ、全国的に祝賀ムードが漂っていた。

碑を調べた京都府立大名誉教授によると「神話の時代から悲願であった朝鮮半島を日本の領土とし、植民地支配を正当化した内容だ。明治末期の歴史認識を如実に表しており、その後の歴史展開とも密接につながっている」と指摘している。

ただし、碑には謎が残る。韓国併合に関する「詔書(しょうしょ)」を出し、条約を公表したのは8月29日だが、碑文は9月29日と刻んでいる。また、同じような碑が全国でいくつ建立されたか不明なままだ。
最近では、韓国の研究者やマスメディアに取り上げられる機会が増え、時折、韓国人観光客も見学に来るらしい。

京都府立大名誉教授によると「日韓両国の歴史において、負のシンボルとも言える碑だが、歴史的な事実は否定できない。歪曲せず、どう後世に伝えていくのか、大きな課題として残る」ということだ。先人が残した碑は一世紀近くを経てなお重くのしかかるということか…今京都。(続く)

◇ちょっと予備知識 → 「酒池」は酒をたたえた池。「肉林」は木に干肉をかけて林のようにしたもの。
殷の紂王(ちゅうおう)が池に酒を満たし、木に肉をかけ、その間を裸の男女に走り回らせて
酒宴を開いたという故事から。
類義語に肉山脯林(にくざんほりん)がある。
三宅八幡宮 vol.4 vol.3はここ
さて、この宮家八幡宮には「かんの虫封じ」以外にも意外のものがある。「韓国合併奉告祭碑」である。大阪生まれの李明博氏が韓国大統領に就任し、今後、冷え切った日韓関係がどう改善するかが注目されている。現在に至る日韓の歴史認識問題は、1910(明治43)年8月の韓国併合が最大の要因だ。

韓国側から見れば「汚辱」である、この出来事を、日本の「盛事」として記念した「韓国合併奉告祭碑」が三宅八幡宮に残る。参道の東側に堂々とそびえ立ち、高さ3mもある。題字は、京都府知事を務め、琵琶湖疏水の建設を推進した北垣国道によるものだという。

昔から境内にあるが、いつ、どのような経緯で建てられたのか、くわしく分からず、当時の様子を伝える文書や記録も一切残っていないという。漢文でつづられた石碑の文書を書き下し文に改めると、「…按(あん)るに、わが帝国の韓土に事あるは、遠く神世にはじまれり。その後、日槍帰化し、任那(みまなょ来朝す。神后ここに征するに、三韓風靡(ふうび)して、わが内府となれり…」などと記される。

さらに、豊臣秀吉の文禄・慶長の役、明治時代の日清、日露戦争を経て、ついに韓国全土を日本の領土としたとあり、神として祭る応神天皇に「奉告」したかたちとなっている。京都をはじめ、全国的に祝賀ムードが漂っていた。

碑を調べた京都府立大名誉教授によると「神話の時代から悲願であった朝鮮半島を日本の領土とし、植民地支配を正当化した内容だ。明治末期の歴史認識を如実に表しており、その後の歴史展開とも密接につながっている」と指摘している。

ただし、碑には謎が残る。韓国併合に関する「詔書(しょうしょ)」を出し、条約を公表したのは8月29日だが、碑文は9月29日と刻んでいる。また、同じような碑が全国でいくつ建立されたか不明なままだ。
最近では、韓国の研究者やマスメディアに取り上げられる機会が増え、時折、韓国人観光客も見学に来るらしい。

京都府立大名誉教授によると「日韓両国の歴史において、負のシンボルとも言える碑だが、歴史的な事実は否定できない。歪曲せず、どう後世に伝えていくのか、大きな課題として残る」ということだ。先人が残した碑は一世紀近くを経てなお重くのしかかるということか…今京都。(続く)

