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rrbのブログ - 2009/11のエントリ

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天を仰いで思うこと きょうへいく 2009/11/25 12:00 am

ょうへいく
京都市内の中心部へ行く。昭和4(1926)年以前の京都市は上京区と下京区の二区だけであった。同年に中京区ができ、もと愛宕郡であったところに左京区と東山区が編入された。6年には右京区と伏見区が加わる。そのころ「京へ行く」と言えば、市内の中心部へ行くことであった。京ことばの範囲は旧京都市内で使用されることばであり、「上ル・下ル」「東入ル・西入ル」の表示の地域であった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話92
ちょっとかわいいお話に思うこと



「クリスマスは中止されないと誓うよ」と、子どもに向けたこんな約束を、フィンランドの国営放送がサンタクロースの伝言として放送したという記事を目にした。内容は、サンタが新型インフルエンザにかかるのではないか、と多くの子どもたちが心配しているためで、それに答えることにしたということだ。



同放送は、サンタ本人も助手をつとめる妖精も、妻が注意しているため病気にならない、とした上で、放送で「君たちもインフルエンザには気を付けるんだよ」と話しかけ、もしも新型インフルにかかってしまった場合は親や医師の言うことに従うように呼びかけているという。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

なんでも、フィンランドの伝説では、ラップランド地方のコルバトゥントゥリ山にサンタが住んでいるとされるらしい。サンタクロースのおかげで、子どもたちのウガイや手洗いの励行になれば、なんともかわいいお話だ…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 べんちゃら 2009/11/24 12:00 am

んちゃら
お世辞。口先だけでうまく言い、誠実でないこと。「あいつはベンチャラ使うので、信用ならんわ」「オベンチャラ言うてんのか」とオを付けると、相手にいくらか親愛感をもつ。ベンは弁の意味で、弁舌巧みなチャラということ。チャラは擬態語で、デタラメ、冗談の意。うそだったことにするから、帳消しの意味になった。「こんだけ返すさかいチャラにしといてんか」と。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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塚/浄禅寺・恋塚寺 (旧フォトヴィレッジ 2007年11月9日掲載)
浄瑠璃「鳥羽恋塚物語」(近松門左衛門)、小説「袈裟と盛遠」(芥川龍之介)、映画「地獄門」(黒澤明)などでも取り上げられたことがある袈裟御前(けさごぜん)の物語。袈裟の骨を納めた「恋塚」が、京都市南部の鴨川をはさむ上鳥羽と下鳥羽にある二つのお寺に伝えられている。





お寺は、それぞれ国道1号の西の旧道に面している。歴史愛好家や物語を演じる役者、小説などで袈裟御前を知った観光客たちが訪れ「恋塚」の前で静かに手をあわせるという。



上鳥羽の恋塚は「六地蔵めぐり」の鳥羽地蔵で知られる浄禅寺にある。通りに面して、袈裟にちなむ「激揚貞風」の大きな石碑が立つ。その奥で、五輪塔と風雨をさけるためにガラスケースに入れられた石碑が木々に囲まれている。浄禅寺は寺伝より1182(寿永元)年に文覚が開いたとされる。冥土から帰った小野篁が刻んだという6体の地蔵の1体が地蔵堂に納められている。



下鳥羽の「恋塚」は恋塚寺にある。このお寺は「1144(天養元)年に文覚が開いた」と縁起石碑に記されている。かやぶきの山門を入ると正面に本堂があり、そこには文覚、袈裟、渡の木像が置かれていると聞く。境内には「恋塚」や石碑があり、今でも「袈裟御前の心」を伝えている。平安時代末期、母への「孝」と夫への「義」、それぞれを貫くため己の命を犠牲にした女性、袈裟御前(けさごぜん)の物語は、「源平盛衰記」(鎌倉時代)など、時を超えて人々の心を引きつけてきた。鳥羽の若い武士・遠藤盛遠は、渡辺渡の妻袈裟に横恋慕し、袈裟の母衣川に袈裟との密会を求める。袈裟は母も夫も裏切ることはできず、「濡れた髪を探って殺したまえ」と盛遠を騙して夜討ちに招き入れ、自らが濡れた髪で首をはねられる。盛遠は自らの罪業を悔い、出家して文覚となって全国を回る。神護寺の再興に奔走し、伊豆で出会った頼朝に挙兵をうながす。



袈裟御前の物語は古くから庶民に親しまれていて、江戸時代から寺を訪れる人も多く、絵地図にも記されている。明治の文人たちは袈裟を『貞女の鑑(かがみ)』として寺で句会や歌会もしたという。下鳥羽の恋塚寺の「恋塚」の塔は、文覚が眠る高雄を向いているという。鳥羽伏見の戦(1868年)で焼失した寺を再建する際、地域の人々が北西に向けたということだ。



「こいづかさん」と呼ばれるほど、地域の人たちから塚は大切にされている。袈裟が身をもって示した決して変えてはいけない心。文覚の生涯からわかる「やり直す」ことの大切さ。それぞれの生き方に時代を超えて訴えるものがあるように感じた…今京都。


 

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天を仰いで思うこと みずや 2009/11/23 12:00 am

ずや
水屋。一般家庭では食器などを収納するタンス風の家具。京の町家には台所に設置した。「洗うたお茶わんはミズヤの決まったとこにしまうのやで」 水屋のある家は少なくなった。もとは、社寺に鉢を据え、水をたたえ屋根を設けて参詣人が手や顔を洗った場所。茶室の隣に設けて茶の湯を用意する所もミズヤ(水谷とも書く)であった。茶箪笥は幕末から戸棚式になった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(91)
新型インフルエンザに思うこと



弱いとされた高温多湿の夏もなんなく乗り越えた。留学や観光での来日なら大歓迎で、応援したくなるが、新型インフルエンザとなると話は別。流行の勢いは一向に衰えず京都府と京都市は、警報を発令している。全国の累計患者数は約430万人にのぼるが、ここへきて目立つのは、急性脳症など子どもが重症化するケースで14歳以下が入院患者の8割強を占めるという。



とはいえ子どものワクチン接種は来月以降の見通しとあって府内の病院は、より効果的な治療のためベッドの空き状態や重症度に応じた治療ができるか情報交換を始めた。容体が急変する場合もあり、油断は禁物だという。当初いわれたのとは反対に、季節性インフルエンザ並みの「弱毒性」という印象が定着し、何となく気が緩んだのは確かだし、そこに「大きな落とし穴」があったのだろう。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

ウイルスが活動しにくい時季なのに患者は増え、死亡者も40人を超えた。やはり異常事態ということだろう。そのうえ「アジアかぜ」や「香港かぜ」と似た経過をたどっているというのは、冬場の爆発的な大流行が待ち受けていることにほかならないのではないかという意見もある。さらに怖いのは従来の季節性インフルエンザを駆逐し、新型だけが流行する恐れもあることだという。医療態勢の強化はいうまでもなく必要だ。何よりも、「罹患しない」といわれる年代拡大のために、、うがいや手洗いなど日常の予防励行が肝心だ…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 わりかし 2009/11/22 12:00 am

りかし
わりに。わりあいに。「ワリカシましな品物どすな」 カシは「さぞかし」のカシのように念を押すときの助詞。平安時代には「笑はれ給ひけむかし」のように用いた。カシは、詠嘆の助詞カと強調の助詞シとの複合形。比較的、思いのほかの意味で用い、「昨日よりもワリカシぬくおす(暖かいです)な」と言う。ワリニのくだけた言い方で、ワリトとも。「ワリトよう勉強できるのや」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(284)





 

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今京都 であいもん 2009/11/21 12:00 am

あいもん
取り合わせの良い食品。「サンショウ(山椒)と昆布はデアイモンや」 タケノコとワカメのように釣り合いの取れたもの。デアイモンはそれぞれの食品の味が引き立ち、栄養のバランスも取れている。ニシンにはナス、コロには水菜がよく合う。コロは、クジラの脂身の油をしぼったかすを干したもの。イリガラとも。水菜と煮て食べるハリハリ鍋は夜寒(よざむ)にはうってつけだ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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成社 (旧フォトヴィレッジ 2007年11月8日掲載)
烏丸通松原の角にわずか2m四方ほどの敷地に、高さ1mほどの木の祠が鎮座する。平安時代末期の歌人、藤原俊成をまつる俊成社(しゅんぜいしゃ)だ。8階建てビルのすぐ北側にあり、真夏でも日陰で涼風が吹き抜ける。近くの人は「俊成(しゅんぜい)さん」と呼び親しんでいる。



藤原俊成は、勅撰集の千載和歌集の選者として知られる。邸宅が五条通(現在の松原通)にあったことから「五条三位」と呼ばれた。一帯には今も町名に俊成の名が残り、ゆかりの神社が建つなど平安歌人とのかかわりが深い。



平家物語には、西国へ都落ちする薩摩守忠度(ただのり)が和歌の師として仰いでいた五条の俊成邸を訪れるくだりがある。一度は京を出発した忠度一行がとって返し、「勅撰集に一首でも入れてくだされば、遠いあの世からお守りします」と、百余りの自作の和歌を鎧のすき間から取り出して俊成に託すというもの。



忠度は平清盛の末弟。とがめを受けた身だった。俊成はあえて読み人知らずとし、「さざなみや 志賀の都は あれにしを むかしながらの 山ざくらかな」を選び入れた。俊成はまた、祭神が和歌の神という紀伊国・玉津島明神を邸内に勧請した。これが俊成社近くにある新玉津島神社の起源とされる。



俊成邸の場所は諸説あるものの、現在の烏丸通松原一帯にあったといわれる。俊成社は後世の人により、俊成邸跡のしるしとして、民家の裏庭に建てられた。烏丸通松原から東の一帯は江戸後期に、名前も俊成町と改められた。当時の因幡堂前町の人々が奉行所へ願い出て認められたのだ。これを喜ぶ当時の書面が今でも保存されているという。太平洋戦争中に、疎開で住人が激減したため、俊成町は、同じ事情の南隣の吉成町と合併し、吉成俊成町となった。



平家物語をもとに後年、謡曲「俊成忠度」が誕生し、現在も能の演目となっている。俊成の息子は、小倉百人一首を編さんした藤原定家。俊成と定家の子孫が歌道の宗家、冷泉家で、和歌の伝統を現代に受け継ぐ。俊成社は俊成町の数軒の人々が輪番で掃除し、現代にしっかり守り伝えてられている…今京都。


 

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