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rrbのブログ - 2009/11のエントリ

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今京都 しがんだ 2009/11/05 12:00 am

がんだ
しけた様子の子ども。「なんぼ悲しいから言うてシガンダみたいな顔しんとけ」 やせて貧相な子どもにも言う。シガム(嚙みしめる)から。「スルメをシガム」「鉛筆シガンデ勉強してる」のように、噛み切りにくいものを繰り返して嚙さま。江戸時代中ごろから使用。「袖をしがんで泣く」のように、じっと噛みしめる形容であった。ものを噛んで残る筋がシガンタ・シガンダである。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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王神社/夫婦岩 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月18日掲載)
子どもの誕生を望む夫婦の願いを、長年受け止め続けてきた岩が、山王神社にある。本殿前に寄り添うように並んでいる。しめ縄で飾られた二つの岩。名前を「夫婦(めおと)岩」という。神社には、二つの岩の由来が何とも不思議な話で伝わっている。



約千年前、天台座主の良真がこの地を訪れた際、良真の後を追って、比叡山から一緒に飛んできたというのだ。同神社がある山ノ内地域はかつて、比叡山延暦寺の領地だった。同神社は、延暦寺の守護神でもある日吉大社(大津市)から分霊し、創建されたとされる。岩はいつしか夫婦岩と呼ばれ、子授けや安産の信仰を集めるようになった。岩が男性と女性らしい形をしていたからかもしれない。向かって左の女岩は高さ約1m、幅約2.5mで、中央部分がへこんでいる。男岩は高さ約1.5m、幅約1.3mで、ややずんぐりした形だ。男岩と言うには少し物足りない気がするが、実はこの岩、地中深く埋まっている。約15年前、本殿の改修に合わせて、離れていた岩を現在の場所に移すために掘り出した際、大きさが5mほどであることが分かったという。



神社の言い伝えでは、二つの岩の周囲を、三周回った後、岩をなでて願うと子を授かるという。また、子どもが生まれて初めての宮参りでは、酒や米、梅干しを小皿に入れて女岩のくぼみに供えて感謝し長生きなどを祈願。梅干しの皮で鼻をつまんで出世を祈り、種をくぼみに入れて、子孫繁栄を願う言い伝えも残っているという。



今でも願を掛けるために夫婦や女性が訪れ、また、深夜に一人で祈る女性もいるという。「跡継ぎができました」「二人目が生まれました」などの喜びの連絡があったりするという。現在は虐待など子どもをめぐる悲しい出来事が多い世の中。子どもが欲しいと一心に願う親の姿を想像すると、やりきれないものがある。「『子が宝』という思いは時を超えても変わらないはずなのに」と二つの岩を見て思った>



また、この神社は樹齢700年といわれるクスノキが境内を覆っている。親鸞が座ったり、足跡が残ると伝わる岩もある。あいにく非公開なので直接見ることはできなかったが水琴窟もある。樹齢700年といわれる数本のクスノキで覆われている境内は決して広くないけれど、内容は盛りだくさん山王神社…今京都。


 

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天を仰いで思うこと うれこい 2009/11/04 12:00 am

れこい
うれしい。「あしたは運動会や、ウレコイな」「うれしい」よりは強調されるが、少し俗っぽい感じがする。「コイ」はヒヤコイ(冷たい)、マルコイ(丸い)、コマコイ(細かい)のコイと同じ接続語である。ウレコイことがあると、ワラケル(笑いこける)という。他動詞はワラカス。「あほなことして、ほんまにワラケテくるやんか」 ワラクから。乱れ散るの意。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(83)
読書週間に思うこと



静かな夜のひととき、一人で楽しむ読書を兼好法師は、「見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる」(「徒然草」第13段)と記した。賢人らが書き残した書籍に触れれば、心にしみることが多いと説いている。先月の27日から読書週間が始まっている。「すべての世代の人たちに本と親しむきっかけを…」との願いをこめた取り組みは、大正末期の1924年にさかのぼる。戦中の一時期を除き、連綿と続いてきた。ところが、読書離れが指摘されて久しい若者にも増して、昨今、中高年層でも活字が敬遠され始めているという。



文化庁が今春行った国語世論調査で、月に1冊の本さえ読まない人が60歳以上で55.5%を占めたという。ネット世代とみられる10代の47.2%をも上回っているのには驚く。読書量が減った高齢者の多くが「視力など健康上の理由」と回答。加齢とともに活字が見にくく、読書がしんどくなるのだという。それでも、兼好法師が「あはれなる事多かり」と説くように、本には感動がいっぱい詰まっている。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

今年の読書週間標語は「思わず夢中になりました」ということだ。「しんどい」と言わず、読書を続けてほしいし、続けたいものだ。「万巻の書を読み、千里の道を行く」という。中国・宋代の儒学者朱子の言葉に由来して、多くの書物を読み、旅をして経験を積んでこそ人生が豊かになるとの意。秋の夜長、兼好法師の勧めに従い、琴線に触れる一冊と出合いたい。しかし、手に入れるのは専ら仕事に関する本ばかり。まぁ、ある意味読書から離れていないからいいか…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 ずいき 2009/11/03 12:00 am

いき
里芋の茎。赤ズイキが市場に出回るが、白ズイキも食用になる。ゴマ味噌酢で和えたズイキや、しょうが汁とズイキの炊いたのは美味。10月はじめの北野天満宮の祭りを「ずいき祭」という。農作物の豊作を感謝する祭りで、ズイキなどを神輿に飾る。京都府北部では里芋をズイキイモ、ズイキモという。茎の赤い里芋はトーノイモとも。ズイキの中でも葉柄の青いのエグイ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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生の寺子屋 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月16日掲載)
浄瑠璃「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」のヤマ場となる「寺子屋」。その寺子屋の跡と伝わる場所が京都市右京区京北の芹生(せりょう)にある。市内から貴船神社のある貴船の北側標高700mの芹生峠を越えようやくたどり着く。松竹演劇部によると「往来が容易でない京都郊外の隠れ里が寺子屋というストーリーに最適だ」というが、実際に行ってみて「確かに!」と思う。





物語の舞台は平安時代。芹生の寺子屋に地元の子に混じり、高貴な顔立ちの子が一人いる。菅原道真が藤原時平の謀略で太宰府に流された中、道真の子・菅秀才(かんしゅうさい)を忠臣・武部源蔵がかくまっているのだ。ある日、居所を知った時平側が菅秀才の首を要求する。切羽詰まった源蔵は、この日、寺子屋に初めて来た利発そうな子の首を身代わりに打ち、差し出した。その首をじっと見た時平の使者・松王丸は「菅秀才の首に相違ない」と帰って行く。しかし、首を打たれた子は実は松王丸の実の子だった。松王丸は心ならずも時平に仕えているが、心の底では父・白太夫(しらたゆう)らが仕える菅原家に役立つことを望んでいた。そして菅秀才を救うために、わが子を初めから身代わりにする覚悟で寺子屋に預けたという筋書きだという。





浄瑠璃「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の第4段の洛北芹生を舞台とする「寺子屋の段」は有名である。その内容は、わが子を身代わりにするという現代では考えられない物語だが、松王丸が忠義とわが子への情愛の狭間で、こうした選択をせざるを得なかった苦悩を描く。わずか10歳で身代わりになった実子を野辺送りする場面は、悲しみを詩情で包んだ名舞台だ。実はこれらの物語は江戸中期の創作で、菅秀才や源蔵らは実在しないといわれる。





ところが芹生には、いつしか「寺子屋の跡」と伝わる場所があり、そこには天満宮まで建っている。史料を見ると、天満宮は1943(昭和18)年建立とある。芹生にあった分校の教員が尽力し、松竹創業者・白井松次郎や初代中村吉右衛門の協力も得て建てられたという。戦時中だけに忠義を重んじる話がもてはやされ、さらに、天満宮の建立に結びついたのかも知れない。浄瑠璃を聞く会も催され、賑わったという話もあるということだ。





歌舞伎の「寺子屋」は、南座・顔見世興行の明治以降100年の歴史を調べると、「勧進帳」「寿曽我対面」に次いで数多く上演されており、その人気ぶりが伺える。隠れ里が名舞台になった現在の芹生には10軒足らずの民家が残るのみ。いたずら盛りの子が多く登場する物語の舞台が、今や「限界集落」というのは寂しい気がする…今京都。


 

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天を仰いで思うこと きつぎり 2009/11/02 12:00 am

つぎり
思い切り。徹底して。「キツギリ掃除してこの部屋きれいになりましたわ」「言うこと聞かへんならキツギリ叱っとくれやす」 ケツギリとも。ケツは尻で、底のこと。ギリは限りの意味で、徹底的、あくまでの意味になった。ケツギリからキツギリに。ケツアキザルは中途半端の者をいう。尻をあけて締まりのないさまを猿にたとえる。「きちんと戸を閉めんと飛び出してケツアキザルやな」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(82)
鞍馬の火祭に思うこと



先日の時代祭に続いて気になる祭がある。それは、鞍馬の火祭だ。鞍馬寺参道途中にある由岐(ゆき)神社の祭礼「鞍馬の火祭」。平将門の乱や天災で都が騒然としていた940(天慶3)年、朱雀天皇は鎮魂のために、御所から由岐大祭神を鞍馬の地へ遷すことを決める。御所からの遷座の行列は、1kmにもおよび、篝火が焚かれた街道を神道具を先頭に、松明を手に手にもって行路する雄壮な光景であったという。それに感銘を受けた村人が、後世にも伝えようとしたのが祭の起源とされる。油分が多いツツジの柴を藤の根で杉の木に縛りつけた松明は、最大で長さ4m、重さは100kgを超えるという。



子ども用でも長さ1m強、重さは約10kgあり、大小あわせて約500本がつくられる。10月22日の午後6時、「神事にまいらっしゃい」のかけ声を合図に、松明に火が灯される。締め込み姿の若者たちが、「サイレイヤ」「サイリョウ」とかけ声をさかんにあげて町を練り歩く。3時間後に鞍馬寺仁王門前の石段に全員が勢揃いすると、ゴウゴウと燃える松明が、秋も深まった鞍馬の里を熱くする勇壮さだ。そして由岐神社から二基の神輿がおりてきて、御旅所へ向かう。この二基の神輿は、最近160年ぶりに解体修理され、金箔や金メッキの飾り金具が炎に照らされて神々しい光を放っているという。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

残念ながらこの鞍馬の火祭も見たことがない。悲しいかぎりだ。この祭りもやがては行きたい。それにしても、京都の10月22日は時代祭があり、鞍馬の火祭もある。祭りファンにとっては、とても忙しい日となるだろう…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 つかんこと 2009/11/01 12:00 am

かんこと
突然のこと。出し抜けのこと。「ツカンコトおたずねしますけど…」 それまでの話題と結びつかないこと。話の途中で、出し抜けに話題を転換する時に用いた。急に話が変わると、「ウロガクル」とも言った。うろたえる、狼狽するの意。京都府北部ではウロカワスル、ウルーガクルとも。途方もないことをトッケモナイとも言うが、「突飛もない」という意味である。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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月、今日から11月。あと二ヶ月で今年も終わるのかと思うと、早いものだ。短い紅葉・黄葉の秋が過ぎれば、年末・年始の準備に活気づくのだろうなぁ。










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