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天を仰いで思うこと 〜よし 2009/11/20 12:00 am


〜なさい。「もっときれいに書きヨシ」「ハヨ(早く)シ(せよ)」のシをていねいにオシというから、「ハヨシオシ」と強め、オシをヨシと変えて、読みヨシ、書きヨシなどと言った。戦後の一時期、女性たちが愛用した。ヨウ(よく)ミ(見よ)、シャツをキ(着よ)のように言うほか、「ゆっくりシャベリ(話せ)」「ギョウサン(たくさん)タべ(食べよ)」のような表現は多い。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(90)
人生教訓に思うこと



最近、自分の中で繰り返す言葉に「アカンもんはアカン」もある。たとえば、人の物を盗むや人の命を奪うなどは、理屈や理論ではなく「アカンもんはアカン」のである。しかし、今の世の中、自分の欲求・要望を満たす為なら「仕方ない」という言葉とともに「アカンもんはアカン」という倫理も置き去りにしてしまうことが蔓延している。社会のルールを破ることは「アカンもんはアカン」であるが、「自分にはそぐわない」とか「自分には関係ない」とか「知ったことか」とかで、ルールを無視し、そのことによって社会通念が麻痺している人物が多いという。



島根の女子大生バラバラ遺体遺棄の犯人も、逃亡のあげく逮捕された犯人も、なんらかの理由で社会通念が、自己の中でゆがんでしまっているのだろう。その背景には家庭教育があるのではないかとも聞く。教育に関する本を読むと、「学校教育の低下」という文字を見るが、「家庭教育」「地域教育」という文字も見る。「家庭での教育が正常な状態ではない」というようなことが記載されていた。簡単に言うと「アカンもんはアカン」という教育ができていないということか。これは核家族化が進む社会現象のひとつのようだとも書かれている。親が我子の顔色を伺い、子は親の存在をウザイという。そういう家庭が増えているということだ。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

この問題は地球が抱えている「地球温暖化」よりも重要な問題かも知れない。だからこそ、「今、お気に入りの写真」に掲載している『子供しかるな来た道だ 年寄り笑うな行く道だ』という言葉がとても好きだ。この写真は写りがよいということで掲載しているわけではない。自分の中では、この言葉と「アカンもんはアカン」は、人生の教訓にできる言葉のひとつだろう。平成の今、地球はドンドン温暖化していき問題となっているが、反面、人の心は益々冷血化していっているように感じる。こんな世の中に誰がしたのたろう。民主党の政権交代で色々な見直しも重要だろうが、人の心を正常にする措置も講じて欲しい…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 かってくる 2009/11/19 12:00 am

ってくる
借りてくる。「友達に本カッテクル」 東京などではカッテクルは買ってくるの意味。京都などではコーテクルである。丹後ではカレテ(借りて)クル。京都府西北部から但馬にかけて「買った」はカータと言い、京ことばのコータと対立する。「舞った・這った」が京ことばでモータ・ホータであるのに、久美浜などで浜―タ・ハータとなる。京都のアロータ(洗った)は、上記の地方ではアラッタ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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徳寺/世継地蔵 (旧フォトヴィレッジ 2007年11月6日掲載)
下京区富小路五条下ったところに浄土宗・上徳寺がある。山号は塩竃山(えんそうざん)。平安時代、この辺りで嵯峨天皇の皇子・源融が池に潮を30石ほど入れ、陸奥・塩竃の千賀の浦の風景を模したという故事に由来している。1603(慶長8)年に徳川家康が建立した。このお寺に子授けを願い祈る「世継地蔵(よつぎじぞう)」があり、「よつぎんさん」として親しまれている。



「世継地蔵」は本堂の横にある小さなお堂に安置されている。厨子(ずし)の扉から、北向きのお地蔵さまの大きな顔だけが見えた。薄暗い堂内では確認できないが、ちゃんと全身があり石像で2m近くあるという。顔だけしか見えないので、こっそりと世の中を見つめているようだ。



お話は江戸時代の前期にさかのぼる。清水という人がいた。子を亡くし、悲嘆に暮れる日々を送っていた。再び子どもに恵まれるように念じて本堂にこもり、阿弥陀如来に祈り続けた。七日目の夜。お地蔵さまが夢に現れ、「私の姿を石に刻んで祈りなさい」という。早速その姿を写し、石に刻んで境内にお堂を建てて安置。日参して祈念すると、立派な世継ぎを授かった。以来「世継地蔵」の名で人々の信仰を集めるようになった。



衆生を救済するといわれるお地蔵さまはそれから70年後、また本堂に現れる。「我が欲するところの誓願は、世に子なきものには子を授け、子孫相続し、その家の血縁絶えやらず、家運長久ならしめ、幸福薄きものには福を与うべし」というお地蔵さまの声を、夜のお勤めの最中の僧侶が聞く。それ以来、ますます信仰を集めるようになったという。



子授けや安産とともに、事情で出産したくない女性が自然流産を祈る「お預け」も戦前まであったという。「お預け」は時代背景なのか。しかし、地蔵堂の後ろには水子供養のお堂もあった。この日、参拝のおじさんと出会った。孫(子ども)のことを言うと、お嫁さんにプレッシャーになってはいけないので、こっそりと代わりにお祈りに来たという。「若夫婦はまだまだお子はいらないと考えているかも…」とも思ったが、それは余計なお世話だと反省。



子宝に恵まれず泣きながらすがるように祈る夫婦。気遣って代理でお参りするおじさん・おばさん。大きな悩みを深く祈ることで晴らそうとする人々の叫びを、お地蔵さまはじっと聞いているに違いない。毎月功徳日があるが、特に2月8日の大祭にお参りすると一億日分の功徳を授かるといわれる「世継地蔵」…今京都。


 

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天を仰いで思うこと のつこつ 2009/11/18 12:00 am

つこつ
持て余すさま。どうやらこうやら。やっとのことで。「ようけ料理出されて食べるのにノツコツしましたわ」「年寄りになってしもて、何するのもノツコツやってます」「伸ばしつ凝りつ」に由来。筋肉を伸ばしたり堅くしたりするさま。ノッツコッツとなり、京都でノツコツ、大阪はノツノツ。口の中のものをあちこち動かすのはオネクル。言いごもるさまはオネオネで擬態語表現。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(89)
仕分けに思うこと



時に、「仕分け」をすることがある。仕事でも何でも「仕分け」をする。最近では、冬物衣類の「仕分け」が記憶に新しい。「この服は今年は無理か…。この服は自転車に乗るときに着よう…」など、「仕分け」は身の回りにたくさんある。ブログの記事やブログに掲載する写真も「仕分け」する。写真をする人なら、撮った写真の「仕分け」は、つきものだ。そろそろ年賀はがきの時季である。郵便局は「仕分け」に、さらに忙しくなるだろう。



さて、11日から「事業仕分け」がスタートした。大勢の傍聴者が詰め掛けた体育館で、民主党議員や識者の務める仕分け人たちが、「効果が見えない…」「国がやる必要はない…」などと、対象事業の担当者を問い詰める。来年度の予算編成に向けて、省庁が提出した概算要求の無駄を洗い出すため、行政刷新会議が始めた。「仕分け」をして事業費を削らないと、公約を実行に移せない。前の長期政権でたまった垢も、落とさねばならないという勢いもある。
けれども、歳出を圧縮したい財務省が主導する展開に、省庁側からは「もっと話も聞いて」「これでは公開処刑だ」との声も上がっているという。「1時間の議論で何が分かる」と怒りだす政務官もいたという。オバマ米大統領が13日に初来日したが、在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)も「仕分け」の対象となっている。いわくがあり、削れば同盟のパートナーがまたもや不快感を示すのではないだろうか、と危惧する。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

仕分け人は、「廃止」「見直し」と判定するのが役目だ。集団で追及するので、穏健な人たちが普段より極端な意思決定をする「リスキーシフト」が起きかねない。賀詞に添えられる一言のように「まごころ」「思いやり」が、もっとあってもいいのではないか…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 やつし 2009/11/17 12:00 am

つし
おめかしをする人。「ええ着物着てヤツシやな」 ヤツスという動詞から。ヤツスはめかす、おしゃれをする、化粧する。「そないにヤツシテ誰に会いにいくのや」 ヤツレルと同じ語源。もとは姿をみすぼらしく変えることだった。目立たないように変装することが、歌舞伎で美しく化粧するの意味になり一般に広まった。メカシとも。「めかす」からで、もとは「色めかす」のメカスのように接尾辞に基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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町六角の鯉山 (旧フォトヴィレッジ 2007年11月2日掲載)
呉服問屋が並ぶ京都市中京区の室町通。六角通〜蛸薬師通に挟まれた鯉山町は、名工の左甚五郎が彫刻を手がけた祇園祭の鯉山で知られる。鯉山の由来は中国の故事「登竜門」にちなむ。「黄河の激流でコイが滝を上り、竜になった」との伝えから、出世開運を願っているという。だが、他にも地元住民が好んで口にする昔話がある。その昔話とは…。



昔、室町六角に正直な男と曲がったことが大嫌いな大家がいた。ある日、大家が用事で大津へ行っての帰り、小判三枚を懐に琵琶湖の渡し船に乗ったが、過って小判を湖に落としてしまう。京に戻った大家は一部始終を正直者の男に打ち明ける。数日後、大津から川魚屋がやって来て、男はコイを買い求め、包丁を入れると、なんと腹から小判三枚が出てきた。男はすぐに大家の元へ。しかし、大家は「小判はコイを買うた者のものや」と受け取らない。男も「落とした小判に違いない」と譲らない。困り果てた二人がお役人に相談すると、お役人は「その小判でコイを彫ってもらい、祇園祭の山にしたら」と提案。二人は喜び、近くに住む左甚五郎に依頼。左甚五郎が見事なコイをこしらえたという。



20年ほど前から和装の不振などで鯉山町の人口は急減。子どもの姿は消え、この昔話が語られることもなくなった。しかし、今から10年程前に状況が変わる。大型マンションが完成し、人口増加とともに再び子どもの笑い声が町内に響き始めたのである。



町の人々は祇園祭や地蔵盆で子どもたちにこの昔話を語り聞かせる。鯉山にまつわる物語に、小さな瞳は輝き、親たちも「町内にそんな昔話があるなんて」と驚いているという。そんな家族たちが今では新しい町衆として祇園祭の担い手になり、春には町内で祇園祭の縁起物「茅(ち)の輪」作りが始まる。「人の絆の深さも鯉山も町内の誇り。両方を伝える昔話を途絶えることなく将来に語り継ぎたい」と新旧の町内人は口にする。この町はかつて「常楽寺一丁目」と呼ばれていたが、毎年祇園祭で鯉山を出す町として定着し、16世紀末期に正式に鯉山町となった。



鯉山を飾るタペストリーは「トロイ戦争」をモチーフにしたベルギー産で重要文化財に指定されているという。大型マンションが次々に建築されていく京都。「景観が変わる」と悲鳴に近い反対の声も多いが、その大型マンションに移り住む人々が町内の昔話を救ったというお話。この現象には言い表せない複雑なものがあるが、新旧の町内人が仲良く昔話を語り継いでいくことを強く願いたい…今京都。


 

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天を仰いで思うこと やどがえ 2009/11/16 12:00 am

どがえ
引っ越し。転宅。「向かいのおうちカドガエしやはった」 宿を代えるの意味から。戦前の京都ではヒッコシと言うことは少なかった。明治時代にはヤウツリ(家移り)とも言った。ヤドはもと家のあるところ、すみかのこと。井戸の水を汲み上げて掃除することはイドガエで、季節により衣服を着替えることはコロモガエ。夜に乗じて抜け出し引っ越すことはヨヌケ(夜逃げ)であった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(88) ちょっと気になる「ことば」の話
バイト語(続)



先日に続いてのバイト語。前回と同様にチャレンジしてみよう。

【想定】
予約当日、田中さん一家はレストランへ行きました。藤田さんが接客してくれました。

【会話】
藤田 「いらっしゃいませ。こちらお席のほうへご案内します。」
<メニューを出して>
藤田 「本日お薦めさしていただいてますおメニューは、チキンの香草焼です。」
田中 「チキンって産地はどこ?」
藤田 「えっ、ちょっと、わかりかねてしまいます。」
田中 「ちょっと聞いてきてくれます?」
<しばらくして>
藤田 「あの〜 いちおう、秋田産の鶏だそうです。」
田中 「そう、だったらAコースを二つ、Bコースを二つお願いします。」
藤田 「はい。ご注文を確認します。Aコースをお二つ、Bコースをお二つ、以上でよろしかったですか。」
<そろそろ閉店時間になった>
藤田 「お会計のほう、お願いします。8000円になります。」
田中 「クレジットカードでもいい?」
藤田 「はい。ご利用になってもかまいません。では、クレジットカードで、お支払回数は?」
田中 「1回です。」
藤田 「1回きりですね。では、こちらにお客様のお名前とお電話のお番号をお書きください。」



【会話】 ※下線部がおかしい箇所。
藤田 「いらっしゃいませ。こちらお席のほうへご案内します。
<メニューを出して>
藤田 「本日お薦めさしていただいてます おメニューは、チキンの香草焼です。」
田中 「チキンって産地はどこ?」
藤田 「えっ、ちょっとわかりかねてしまいます。」
田中 「ちょっと聞いてきてくれます?」
<しばらくして>
藤田 「あの〜 いちおう、秋田産の鶏だそうです。」
田中 「そう、だったらAコースを二つ、Bコースを二つお願いします。」
藤田 「はい。ご注文を確認します。Aコースをお二つ、Bコースをお二つ以上でよろしかったですか。」
<そろそろ閉店時間になった>
藤田 「お会計のほう、お願いします。8000円になります。」
田中 「クレジットカードでもいい?」
藤田 「はい。ご利用になってもかまいません。では、クレジットカードで、お支払回数は?」
田中 「1回です。」
藤田 「1回きりですね。ではこちらにお客様のお名前とお電話のお番号をお書きください。」


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

【解答例】
藤田 「いらっしゃいませ。お席へご案内します。」
<メニューを出して>
藤田 「本日、お薦めのメニューは、チキンの香草焼です。」
田中 「チキンって産地はどこ?」
藤田 「申し訳ございませんが、はっきりしませんので調べてまいります。」
田中 「ちょっと聞いてきてくれます?」
<しばらくして>
藤田 「秋田産の鶏でございます。」
田中 「そう、だったらAコースを二つ、Bコースを二つお願いします。」
藤田 「はい。ご注文を確認します。Aコースを二つ、Bコースを二つ、以上でよろしいですか。」
<そろそろ閉店時間になった>
藤田 「会計をお願いします。8000円になります。」
田中 「クレジットカードでもいい?」
藤田 「はい。ご利用いただけます。では、クレジットカードでお支払いですね。お支払回数は何回ですか?」
田中 「1回です。」
藤田 「1回でございますね。ではこちらにお客様の名前、電話番号をお書きいただけますか。」

これは解答の一例で、他にも答えはある。言葉遣いにちょっと気を使うだけで、随分と印象がかわるものだ…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)


 

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