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rrbのブログ - 2010/03のエントリ

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天を仰いで思うこと かかる 2010/03/29 12:00 am

かる
合格する。「山田はんのぼん、有名大学にカカラはったんやて、よろしおすな」「引っ掛かる」意味の「かかる」から。合格するをウカル(受かる)というようになり、カカルは老年層しか使わなくなった。カカルには「扶養してもらう、世話になる」の意味もある。「あそこのおじいちゃんはしっかりしといやすし、子どもにカカルなんて思うたらしまへんのやろ」 跡取りの子をカカリ・カカリゴと言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)





1兆5千億円の巨費を投じ、アジアのハブ(拠点)空港を目指して関西国際空港がオープンしたのは約15年前。成長著しいアジアの観光客を期待し、関西政財界はこぞって歓迎した。ところが、景気低迷と巨額の負債がたたり、関空会社は経営難。3年前の神戸空港開港で、伊丹を含め関西圏に空港が三つとなり、利用低迷に拍車をかける。2006年度の国内の空港利用者数を比べると、羽田がダントツの6688万人で、成田の3201万人が次ぐ。伊丹1684万人、関空1644万人、神戸274万人で、三つ合わせても羽田の半分だ。この状況に、「もし、びわこ空港が出来ていたら…」と思わずにいられない。道州制や首都機能移転の議論がにぎやかだった1991年、びわこは神戸と並んで第6次空港整備5カ年計画に盛り込まれたが、反対運動もあり事実上中止。



一方、市民の反対を押し切って開港した神戸は減便で苦戦が続く。一体、どういう見通しで空港を作ったのか。建設中止となった新幹線の栗東新駅でも過大な需要予測が問題になった。「建設ありき」で都合の良いソロバンをはじいていたのではと疑いたくなる。関西3空港懇談会で関空、伊丹、神戸の一元管理をめざすことになったが、関空への機能集中を訴える大阪と3空港併存を求める兵庫の溝は埋まらない。空港は国際観光都市・京都の玄関口。持続可能な解決策を見いだしてほしいものだ。
そんな中、国内98番目となる茨城空港(茨城県小美玉市)が今月の11日に開港した。初日から飛んだ定期便は、韓国・アシアナ航空のソウル1往復のみ。国内線はスカイマークが神戸と1往復運航するが、就航決定の遅れから実際の定期運航は4月16日からで、開港時に「国内定期便なし」という異例の事態。



全日空や日航は、「茨城空港の需要は見込めない」と当面は国内定期便は就航しない見通しだという。「赤字空港」となるのは確実で、地方空港の乱立を招いた航空政策の在り方があらためて問われそうだ。国土交通省によると、離島空港や、2012年度に軍民共用化再開予定の米軍岩国基地を除けば、全国で最後の空港開港となるということだが…。茨城県と国は開港前、札幌、大阪、福岡、那覇と結んだ場合、年間約81万人の利用が見込まれると説明していたが、4路線とも実現しなかった。アシアナ、スカイマークの定期便計2往復が毎日満席になったとしても、20万人余りにとどまる。茨城空港は、航空自衛隊百里基地を共用する形で、自衛隊用の滑走路に平行し2700mの滑走路を新設した。事業費は約220億円。県がターミナルビルを管理するということだ。もし、人間が道具を使わずに空を飛べることができたら、こんな問題にはならなかったのだろうか。空を巡っての問題に、鳥たちはどう見ているのだろう…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと けんけん 2010/03/26 12:00 am

んけん
片足跳び。「ケンケンして遊ぼう」 「蹴る」に基づく。片足で跳び、頭に響く音感による命名。昔は成年による武芸の一種。敏捷と身のこなしが求められた。数人で行い、殿と呼ばれる武者が最後にした。武芸としての必要がなくなってからは子どもの遊びとして普及した。戦場で追いくる敵を最後尾でふせぐ「しんがり(殿)」は片足跳びの技に優れた者であり、身のこなしのよい殿御・勇者であった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)


「暑さ寒さも彼岸まで…と言いますが、今週は全体に寒の戻りのような寒さどすな。まぁ、この時季は三寒四温とも言いますんで、仕方ないことかもおへん」などと、ちょっと小噺の出だし調にしてみた。春の彼岸が過ぎたのに、今週は気温が低い。気温が低いだけではなく、ちょっとしたことがあってテンションも下がり気味。



さて、「暑さ寒さも彼岸まで」とは「冬の寒さは春分の頃まで、夏の暑さは秋分の頃までには和らぎ、凌ぎやすくなる」という意味の日本の慣用句。実際、気象庁などの観測データによれば、この慣用句の意味するところが概ね的を射ていることは推測可能だ。北日本と南日本では差はあり、年によって異なるが、概ね春分前までは降雪・積雪・凍結の恐れと真冬日・冬日になることもあり、また秋分前までは真夏日・夏日・熱帯夜になりうる。春の彼岸は概ね11月下旬から12月はじめごろの気温、秋の彼岸は概ね6月上旬から半ばごろの気温とほぼ同じであり、それぞれ秋から冬への過渡期、春から夏への過渡期の平均気温と等しくなる。



さらに、春分や秋分は二十四節気のひとつで、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる。秋は秋分の日(=彼岸の中日)を境に日が短くなっていき、秋の夜長に向かう。つまり、太陽の出番がどんどん短くなるので、暑さも和らいでいくというわけだ。春はこの逆。しかし、昼と夜の長さが同じだからといって、春分と秋分の気候が同じになるわけではない。暑さの名残で秋分のほうが10度以上も気温が高い。いずれにしても、厳しい暑さや寒さも目処がつく頃なので、「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるようになったというわけ。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

さらに、「暑さ寒さも彼岸まで」の彼岸にはお墓参りに行く風習があるが、これは、春分と秋分の太陽に関係がある。仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を彼岸といい、その反対側の我々がいる世界を此岸(しがん)という。そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養をするようになったということだ。迷い、悩み、煩悩に惑わされている人間が、悟りの世界と通じるときだから、暑さ寒さやそれに伴う様々なつらさも、彼岸のころには和らいで楽になると考え、励まされていたのはないか…と、天を仰いで思うこと。
★関連記事はここ(←クリック)


 

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天を仰いで思うこと ぼったくり 2010/03/17 12:00 am

ったくり
無理やりに奪い取ること。価格以上の値段でふんだくること。「こんな売り方してほんまにボッタクリやんか」 動詞はボッタクル。「うまいこと言うてボッタクラレてしもた」 ブッタクル(打っ手繰る)から。タクルは引ったくる、荒々しく奪い取る。「やらずボッタクリ」というのは、人に遣る(与える)ことをしないで他人から物を奪い取り上げるだけのこと。ブッ・ボッは強意の接頭語。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

わせる



昨年末のことだけれど、テレビの深夜番組で聴いた歌が忘れられない。元オフコースの小田和正さんの呼びかけで集まった総勢21組34人だったか、による合唱だ。財津和夫さんや一青窈さん、スキマスイッチら一流ミュージシャンが勢ぞろい。歌は出演者の代表曲をメドレーでつなぐ大作で、演奏時間「22分50秒」がタイトルだったと記憶している。いずれも所属プロダクションの看板アーティスト。若手からベテランまで一家言ありそうな面々ばかり。話によると、企画段階で意見が衝突したという。番組は難航した実現までの数カ月も映し出す。舞台が幕を開けた。全員が力の限り歌った。ソロの後ろで懸命に声を合わせた。徐々に通い合う心が画面にあふれてくる。



考えてみれば、万葉の歌垣、キリスト教の賛美歌、仏教の声明など、人は歌を通して心を合わせてきた。太古には、音が言葉より早くコミュニケーションの手段となり、社会を形づくってきたと聞く。いま、遠く早く伝える道具を手にした私たちは、面と向かって伝えるのが苦手な状況となっているともいえる。触れ合い、助け合い、譲り合い。口にはしても照れや疑心が先に立ち、ついつい及び腰になってしまう。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

逆に憎み合い、ののしり合う事件は後を絶たない。「22分50秒」を歌い切った34人は、高揚した表情で何度も抱き合っていた。万雷の拍手は数分間、鳴りやまない。小田さんは「一生の中で一番長い拍手だと思います」と語るのが精いっぱいだったという。この瞬間、忘れかけていた「合わせる」喜びが十分に伝わったのではないか…と、天を仰いで思うこと。
★関連記事はここ(←クリック)


 

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天を仰いで思うこと しなこい 2010/03/13 12:00 am

なこい
柔軟な。しなやかな。弾力性があり、やわらかな形容。「竹を薄う割ってシナコイし、竹細工しやすおすわ」「ヤラコイ」は「柔らかい」で「今日のご飯はちょっとヤラコイな」 ヤラカイとも。「ややさん(赤ちゃん)の手はヤラコおすな」 ヤニコイは壊れやすい。「この椅子ヤニコイなあ、座っただけでぐらぐらする」「ひ弱い」の意味でも使う。「あの子はヤニコイな、すぐ泣かはる」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

陽の塔・芸術は爆発だ



あの人なら、この時代をどう語るだろう。岡本太郎さんが逝って14年。大阪万博で「太陽の塔」が6400万人もの目をくぎ付けにしてから、今年で40年になる。時は高度成長の絶頂、万博は勤勉な労働力に向け「人類の進歩と調和」をうたう格好の機会だった。「お上のお先棒を担ぐなんて」と周囲は猛反対。そこが太郎さんらしい。そんなに言うならやってやろうと引き受けた。「とにかくベラボーなものを作ってやる」とひたすら構想を練った。進歩を誇るべく、地上30mに大屋根を造る計画が固まっていた。模型を見るうちに、それを突き破る「ベラボーなもの」、70mの人間像が浮かぶ。紆余曲折を経て出来あがった前衛的で巨大なシンボルタワー「太陽の塔」は、当時の一部の知識人などから「牛乳瓶のお化け」「日本の恥辱」などと痛烈な批判を浴びた。



しかし、岡本太郎さんがこの前衛的な塔に込めたのは、文明の発達や進歩の中で、人々の生活も豊かになるのに反比例し、システムに組み込まれ、心がどんどん不自由になり貧しくなっていく全体性を失った当時の現代人への彼なりのアンチテーゼであった。また、主催者側が「人類の進歩と調和」というテーマに基づき、塔の地下に人類の発展に寄与した偉人の写真を並べるつもりだったのに対し、「世界を支えているのは、無名の人たち」と、世界中の人々の写真や民具を並べるように進言したという。
人類は進歩などしていない。太郎さんが、ど真ん中で万博に突きつけた「ノー」に、観客は共鳴する。「命を質に置いても来てよかったねぇ」との、あるおばあさんのつぶやきは岡本太郎さんを喜ばせたという。空間メディアプロデューサーなどの話によると、太陽の塔は「万博史に刻まれた唯一の異物」だそうだ。皮肉にもそれだけが残っている。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

今月15日で開幕40年を迎える日本万国博覧会(大阪万博)を記念して、万博の際にパビリオンとして使われた鉄鋼館が当時の資料を集めた「EXPO’70パビリオン」としてリニューアルされ、今日から公開される。パビリオンでは高度経済成長期の日本や万博期間中の華やかな様子を映像や写真パネルを使って紹介。万博の象徴で当時はモニュメントが展示されていた太陽の塔内部も再現され、岡本太郎さんの未公開映像の肉声も公開されるという。さらに音楽堂も40年ぶりの公開となり、レーザーを用いた光のショーが見られるという。太陽の塔は何を見つめているか。流れる雲か降り注ぐ雨か。誕生した時代とは両極の不況の時代か。知る由もないが、今日も変わらず、何かを見つめているには違いない。「平気で己を開き、野放図にふくらむ精神が現れてきたら、私の万国博への賭けは大成功だ」と、全存在をぶつけた岡本太郎さん。その覚悟に時代はまだ追いつけていないのではないか…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと なんにもおへんけど 2010/03/10 12:00 am

んにもおへんけど
直接の意味は「何もありませんが」。食事を客にすすめるときの慣用句。謙遜してへりくだっていうのが京ことばの特徴で、贈り物をするとき「あらあらしいもんどすが」などという。「ほんまにアラアラシイモンドスガ どうぞおひとつおあがりやしとくれやす」 あらあらしいはもとは粗野で繊細さがないこと。アラクタイは荒っぽい。「そんなアラクタイ積み方して砕けるよ」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

人28号



確かにでっかい。想像以上にでっかい。神戸市長田区のJR新長田駅に昨年秋完成した「鉄人28号」を見上げた。大地に踏ん張り、こぶしを突き出す姿は、嬉しい時は「やったな!」、悲しい時には「元気出せ!」。そんな声が聞こえてきそうな雰囲気だ。近くにいたおじさんが「元気のない時はここへ来る、元気のある時もここへ来る」と言っていたが、その気持ち、なんとなく理解できる。



原作者の故横山光輝さんは神戸市出身。古里を焦土にしたB29爆撃機の強烈な記憶から着想し、22歳の時、雑誌「少年」に、鉄人28号を描いた。この鉄人、登場時は「破壊王」だったが、人気に応えて、金田正太郎少年が操る正義のロボットになっていったという。4年ほど前、鉄人誕生50年を知った新長田駅南の商店主らは、「これだと思った」という。がれきから立ち上がる姿がいい、原作者も身近な存在だ。そうして「KOBE鉄人プロジェクト」が発進した。



阪神大震災で長田区は約7割が被災した。人情自慢の商店街も多くが倒壊、焼失した。時間とともに、復興は進み、新しい再開発ビルに店と人は収まり、長田は整然ときれいになった。
しかし、買う人と商う人が混然とにぎわった下町の熱気が戻らない。賃貸料に悩み廃業する店も多く、得意客だった地場産業の職人も減ったということだ。



「鉄人を起爆剤に」と商店主らは、地域の説得や1億円近い寄付集めに歩いた。完成から3カ月めに100万人が訪れた。スタンプラリー、そばめし地図など見物客を商店街に呼び込む努力が今も続いている。震災から15年たった今、行政支援は年々減り、「これからが復興本番や」と商店主らはいう。「鉄人〜」と正太郎少年さながらに駆け寄る子どもたちもいた。平成の時代に新たに始まった鉄人とこの町の二人三脚を京都からも応援したい…と、天を仰いで思うこと。


 

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