rrbのブログ - 2009/06のエントリ
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今京都 おすわりやす 2009/06/07 12:00 am
おすわりやす
どうぞ座ってください。「オ〜ヤス」の敬語形式は京都ではよく用いる。「オ座りヤス」「オあがりヤス」「お座りやす、いすどっせ あんまり乗ったらこけまっせ」は京の童歌。床几や腰掛に座った子どもが、椅子の代わりになる。その子どものひざの上に他の子が一人、二人と腰をおろしていく遊戯で、椅子の代わりになった子どもが歌った。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
羅漢



地蔵物語(264)


どうぞ座ってください。「オ〜ヤス」の敬語形式は京都ではよく用いる。「オ座りヤス」「オあがりヤス」「お座りやす、いすどっせ あんまり乗ったらこけまっせ」は京の童歌。床几や腰掛に座った子どもが、椅子の代わりになる。その子どものひざの上に他の子が一人、二人と腰をおろしていく遊戯で、椅子の代わりになった子どもが歌った。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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地蔵物語(264)



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今京都 なむなむ 2009/06/06 12:00 am
なむなむ
まずまず。まあまあ。「お母さんお元気ですか」と言われて、「ナムナムやってます」と答える。「今日はしんどいし、ナムナムしてよか」など、働きの鈍いさまにも使う。高齢の人は用いるが、若者は使用しなくなった。「田んぼに水がナムナムは入っている」のように満ちたさまにも。大阪商人の「もうかりまっか」と聞かれて、
「まぁ、ボチボチだすな」のような表現は京都ではあまり使わない。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
マニア・オタク (旧フォトヴィレッジ 2007年7月27日掲載)
世の中には色々なマニアがいる。最も多いのが「鉄道マニアかも…」と思っている。誰しも自分のお友達の中にひとりやふたりは必ず「鉄道マニア」がいるような気がする。今日は、鉄道マニアのお友達に教えてもらった、というより半強制的に聞かされた、お話をひとつ。

JRには、東京・大阪・福岡の各近郊区間だけに通用する「大都市近郊区間内の乗車券」という運賃規定があるそうだ。どういうことかというと、例えば、JRで京都から大阪までの行き方としては、
(1)東海道線の下りを利用して新快速で27分
という行き方だけでなく、
(2)京都から奈良線で木津、木津から片町線で京橋、京橋から環状線で大阪駅
と、ぐるっと遠回りして、たどり着くこともできるというもの。しかも、この二つルートは同じ金額で行けるというから驚き。

このカラクリは、JRの「運賃計算の特例−大都市近郊区間内の乗車券」にあるという。この乗車券は、大阪近郊区間でみれば、西は赤穂線の播州赤穂、北は山陰線の園部、湖西線なら近江塩津、東は東海道線の米原、さらにその先、北陸線で近江塩津までも、南は関西線の柘植から奈良を経て阪和線・和歌山線の和歌山までという広範囲。この範囲内の乗車経路を重複したり二度同じ駅を通らない限り、運賃は「最も安くなる経路を使って計算できる」となっているという。つまり、大阪近郊区間内の路線をどのように遠回りしても、最短ルートで行くのと同一運賃であるということ。こういうのを目ざとく見つけるのが「鉄道マニア」のマニアたるゆえんなんだろうなぁ…と少し感心。

で、ついでに説明してくれた(何度もいうけれど半強制的に聞かされた)のであるが、京都から一つ目の西大路駅までの切符120円を買う。これで、西大路駅まで行く最大遠回りのルートは、
京都→山科→近江塩津→米原→草津→柘植→木津→奈良→天理→高田→五条→高野口→和歌山→天王寺→西九条→大阪→西大路
となり、このルートを120円で乗り回せるという。このルートは湖西から琵琶湖をぐるりと一周したのち、草津線で三重県の柘植へ、それから関西本線、桜井線で大和路を縦貫、和歌山線で和歌山に出て、阪和線、環状線で大阪経由、西大路到着というものらしい。これはもう立派な大旅行だ。なにせ、このルート、所要時間約12時間。乗車距離465.3km。これは京都から東海道線で神奈川県の藤沢あたりに相当するらしい。さらに、このルートの途中で検札があれば、三重県にいようが和歌山県にいようが堂々と京都からの120円切符を見せればよい。なんのお咎めもないということだ。この長旅が120円というのがステキだ。ただし、切符は当日限りで、途中下車前途無効。つまり最終駅の西大路駅まで改札の外に出られないということ。スゴイ世界だと思った。

「お弁当持参で一日かけてどう?」
「京都→西大路は一駅で5分もかかんないよ。マニアとかオタクでないと行かないでしょ?」
「あのね、マニア・オタクでも滅多行かないよ。時刻表の上で見つけたらそれで満足。誰が12時間もかけて行くかいなぁ。あたしゃそんなに暇じゃない!」
「自分が行かないんだったら勧めなさんなよ。これだからマニア・オタクは理解できひん。」
「ふ〜ん、マニア・オタクは理解できひん…ね。いつも写真の話でしゃべりまくるのは、どこのどなただっけかなぁ?」
「…。」
お互いが理解しがたい「マニア・オタク」かも知れないけど、楽しくお酒を呑める間柄だということを改めて認識。こういうやり取りが続き、ワインのフルボトルが何本あくのやら…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。

まずまず。まあまあ。「お母さんお元気ですか」と言われて、「ナムナムやってます」と答える。「今日はしんどいし、ナムナムしてよか」など、働きの鈍いさまにも使う。高齢の人は用いるが、若者は使用しなくなった。「田んぼに水がナムナムは入っている」のように満ちたさまにも。大阪商人の「もうかりまっか」と聞かれて、
「まぁ、ボチボチだすな」のような表現は京都ではあまり使わない。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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マニア・オタク (旧フォトヴィレッジ 2007年7月27日掲載)
世の中には色々なマニアがいる。最も多いのが「鉄道マニアかも…」と思っている。誰しも自分のお友達の中にひとりやふたりは必ず「鉄道マニア」がいるような気がする。今日は、鉄道マニアのお友達に教えてもらった、というより半強制的に聞かされた、お話をひとつ。

JRには、東京・大阪・福岡の各近郊区間だけに通用する「大都市近郊区間内の乗車券」という運賃規定があるそうだ。どういうことかというと、例えば、JRで京都から大阪までの行き方としては、
(1)東海道線の下りを利用して新快速で27分
という行き方だけでなく、
(2)京都から奈良線で木津、木津から片町線で京橋、京橋から環状線で大阪駅
と、ぐるっと遠回りして、たどり着くこともできるというもの。しかも、この二つルートは同じ金額で行けるというから驚き。

このカラクリは、JRの「運賃計算の特例−大都市近郊区間内の乗車券」にあるという。この乗車券は、大阪近郊区間でみれば、西は赤穂線の播州赤穂、北は山陰線の園部、湖西線なら近江塩津、東は東海道線の米原、さらにその先、北陸線で近江塩津までも、南は関西線の柘植から奈良を経て阪和線・和歌山線の和歌山までという広範囲。この範囲内の乗車経路を重複したり二度同じ駅を通らない限り、運賃は「最も安くなる経路を使って計算できる」となっているという。つまり、大阪近郊区間内の路線をどのように遠回りしても、最短ルートで行くのと同一運賃であるということ。こういうのを目ざとく見つけるのが「鉄道マニア」のマニアたるゆえんなんだろうなぁ…と少し感心。

で、ついでに説明してくれた(何度もいうけれど半強制的に聞かされた)のであるが、京都から一つ目の西大路駅までの切符120円を買う。これで、西大路駅まで行く最大遠回りのルートは、
京都→山科→近江塩津→米原→草津→柘植→木津→奈良→天理→高田→五条→高野口→和歌山→天王寺→西九条→大阪→西大路
となり、このルートを120円で乗り回せるという。このルートは湖西から琵琶湖をぐるりと一周したのち、草津線で三重県の柘植へ、それから関西本線、桜井線で大和路を縦貫、和歌山線で和歌山に出て、阪和線、環状線で大阪経由、西大路到着というものらしい。これはもう立派な大旅行だ。なにせ、このルート、所要時間約12時間。乗車距離465.3km。これは京都から東海道線で神奈川県の藤沢あたりに相当するらしい。さらに、このルートの途中で検札があれば、三重県にいようが和歌山県にいようが堂々と京都からの120円切符を見せればよい。なんのお咎めもないということだ。この長旅が120円というのがステキだ。ただし、切符は当日限りで、途中下車前途無効。つまり最終駅の西大路駅まで改札の外に出られないということ。スゴイ世界だと思った。

「お弁当持参で一日かけてどう?」
「京都→西大路は一駅で5分もかかんないよ。マニアとかオタクでないと行かないでしょ?」
「あのね、マニア・オタクでも滅多行かないよ。時刻表の上で見つけたらそれで満足。誰が12時間もかけて行くかいなぁ。あたしゃそんなに暇じゃない!」
「自分が行かないんだったら勧めなさんなよ。これだからマニア・オタクは理解できひん。」
「ふ〜ん、マニア・オタクは理解できひん…ね。いつも写真の話でしゃべりまくるのは、どこのどなただっけかなぁ?」
「…。」
お互いが理解しがたい「マニア・オタク」かも知れないけど、楽しくお酒を呑める間柄だということを改めて認識。こういうやり取りが続き、ワインのフルボトルが何本あくのやら…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 そやさかい 2009/06/04 12:00 am
そやさかい
そうだから。ソヤはソーヤとも。中世にはソーダ、江戸時代にソージャ、幕末ごろソーヤになった。ソヤナー(そうだな)、ソヤテナ(そうだってね)、ソーカテ・ソヤカテ(それでも)、ソヤガナ(そのとおりだ)、ソヤナイ(そうではない)のように言う。サカイのもとはサケニ。サケニは理由を示す「けに」に「さ」をつけたもの。シケー、スケーなどとも用い、「さ」は故に、の意。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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賀茂川と鴨川と加茂川 (旧フォトブィレッジ 2007年6月27・28日掲載)
「北大路から鴨川の上流を…」と書くと「鴨川は間違い、正しくは賀茂川では?」とよく知っている人から指摘されそうだ。京都盆地に美しくYの字を描いて流れる川は、東に高野川、西に賀茂川。その二つの川が下鴨神社の南の三角州で合流すると、その後は鴨川と漢字を変えて、三条、四条へと流れていく。

(写真左手が賀茂川、右手が高野川。ここが合流地点となり、鴨川となる。)
川は京のまちと水のシンボル。それだけに賀茂川も鴨川も頻繁に使用されるからややこしい。ところが、ここに意外に事実がある。京都府の土木建築部河川課によると、川を管理する国も京都府も京都市もすべて「鴨川」で統一しており、「賀茂川」の字は一切使わないという。京都府の河川標識は、なるほど、表記は「一級河川 鴨川(加茂川)」。ご丁寧にカッコ付きで記載されている。橋の欄干には「賀茂川」の文字が…。裏側はひらがなで「かもがわ」と書いてある。


しかし、「鴨川」に統一するという漢字表記はあくまでも河川管理上のこと。鴨川と賀茂川を使い分けることで便利に暮らしているのも事実である。全て「鴨川」と表記するより、鴨川と賀茂川のほうが味わいがあるように思う。四季のある日本では使い分けをしたほうがいいような気がする。
実は、さらにもうひとつ気になることがある。それは「加茂川」という第3の表記。現在も京都バスに「加茂大橋」というバス停の名称が残っている。「加茂街道」があれば、「加茂川中学校」もある。「加茂川」という表記はいつどのようにして生まれ消えていったのか、この謎はこの先の課題としておきたい。ただ、先の「加茂大橋」というバス停の実際の橋の名は「賀茂大橋」となっている。



どの地域でも主となる川沿いには見られることだと思うが、この鴨・賀茂・加茂川においても、様々な光景が見られる。自転車で通り過ぎる人、散歩する人、ジョギングをする人、語らう人…様々な光景が目に飛び込んでくる。三味線を練習する人、尺八を練習する人、バイオリンを練習する人…川の水音に混じり、様々な楽器の音や人の歓喜の声が聞こえてくる。この川沿いから、世界に通用するカリスマが誕生するかも知れない。だから「かも」川。なんて寒いことを言うつもりは全く無い。(って、言ってる…アホや)



♪ やさしい雨の 祇園町(ギオンマチ)
加茂の流れに写る あなたの姿
あれは初めての恋
見詰め合う 見詰め合う瞳
あなたとふたり
と、南こうせつとかぐや姫の歌では「加茂」が使われている。「鴨」の一文字で統一表記をするのではなく、その場に応じた使い分けのほうが情緒があると思う「かもがわ」のお話。

それにしてもこの川沿いは、夜のトバリが降りる頃からカップルが等間隔で座る。誰が整理するわけでもないのに等間隔。それぞれの組が主役で、ふたりの世界へ。いつの日か、その主役になる日が来るのか…今京都。

そうだから。ソヤはソーヤとも。中世にはソーダ、江戸時代にソージャ、幕末ごろソーヤになった。ソヤナー(そうだな)、ソヤテナ(そうだってね)、ソーカテ・ソヤカテ(それでも)、ソヤガナ(そのとおりだ)、ソヤナイ(そうではない)のように言う。サカイのもとはサケニ。サケニは理由を示す「けに」に「さ」をつけたもの。シケー、スケーなどとも用い、「さ」は故に、の意。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
賀茂川と鴨川と加茂川 (旧フォトブィレッジ 2007年6月27・28日掲載)
「北大路から鴨川の上流を…」と書くと「鴨川は間違い、正しくは賀茂川では?」とよく知っている人から指摘されそうだ。京都盆地に美しくYの字を描いて流れる川は、東に高野川、西に賀茂川。その二つの川が下鴨神社の南の三角州で合流すると、その後は鴨川と漢字を変えて、三条、四条へと流れていく。

(写真左手が賀茂川、右手が高野川。ここが合流地点となり、鴨川となる。)
川は京のまちと水のシンボル。それだけに賀茂川も鴨川も頻繁に使用されるからややこしい。ところが、ここに意外に事実がある。京都府の土木建築部河川課によると、川を管理する国も京都府も京都市もすべて「鴨川」で統一しており、「賀茂川」の字は一切使わないという。京都府の河川標識は、なるほど、表記は「一級河川 鴨川(加茂川)」。ご丁寧にカッコ付きで記載されている。橋の欄干には「賀茂川」の文字が…。裏側はひらがなで「かもがわ」と書いてある。


しかし、「鴨川」に統一するという漢字表記はあくまでも河川管理上のこと。鴨川と賀茂川を使い分けることで便利に暮らしているのも事実である。全て「鴨川」と表記するより、鴨川と賀茂川のほうが味わいがあるように思う。四季のある日本では使い分けをしたほうがいいような気がする。
実は、さらにもうひとつ気になることがある。それは「加茂川」という第3の表記。現在も京都バスに「加茂大橋」というバス停の名称が残っている。「加茂街道」があれば、「加茂川中学校」もある。「加茂川」という表記はいつどのようにして生まれ消えていったのか、この謎はこの先の課題としておきたい。ただ、先の「加茂大橋」というバス停の実際の橋の名は「賀茂大橋」となっている。



どの地域でも主となる川沿いには見られることだと思うが、この鴨・賀茂・加茂川においても、様々な光景が見られる。自転車で通り過ぎる人、散歩する人、ジョギングをする人、語らう人…様々な光景が目に飛び込んでくる。三味線を練習する人、尺八を練習する人、バイオリンを練習する人…川の水音に混じり、様々な楽器の音や人の歓喜の声が聞こえてくる。この川沿いから、世界に通用するカリスマが誕生するかも知れない。だから「かも」川。なんて寒いことを言うつもりは全く無い。(って、言ってる…アホや)



♪ やさしい雨の 祇園町(ギオンマチ)
加茂の流れに写る あなたの姿
あれは初めての恋
見詰め合う 見詰め合う瞳
あなたとふたり
と、南こうせつとかぐや姫の歌では「加茂」が使われている。「鴨」の一文字で統一表記をするのではなく、その場に応じた使い分けのほうが情緒があると思う「かもがわ」のお話。

それにしてもこの川沿いは、夜のトバリが降りる頃からカップルが等間隔で座る。誰が整理するわけでもないのに等間隔。それぞれの組が主役で、ふたりの世界へ。いつの日か、その主役になる日が来るのか…今京都。


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今京都 こうとな 2009/06/02 12:00 am
こうとな
「あそこの奥さんコートナ着物着て、ようお似合いどすな」「ええ柄やけど、あんたにはちょっとコートナ色やと思います」 地味、上品な、の意。ハンナリと対照的。「会社の偉いさんやのにコートニ暮らしてはる」 コートニに質素に。公道に基づく。公道は質素で堅実、派手でないことの意味で、もとは世間一般に通ずる道理。京の庶民は目立ち過ぎる色を避けてコートナ渋い色彩を懐かしみ、親しむ傾向がある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
会席と懐石 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月9日掲載)
「○○名様のご予約ですね。お料理はカイセキ料理になりますが、よろしいでしょうか?」 さて、この場合のカイセキは「会席」? それとも「懐石」?

現実に現在の京都の料亭で「会席料理」と「懐石料理」の区別は殆どないという。京料亭の料理を見ても懐石料理があれば、会席コースもある。昼会席があれば昼懐石もある。懐石のほうが精進料理に近いかといえばそうでもないらしい。調べてみると、この二つはもともとは違った存在のもの。「会席」は「懐石」にはじまり、「懐石」はそのもとは「温石(おんじゃく)」や「薬石(やくせき)」にあったという。

話は、京料理の贅を尽くした世界から、釈迦の時代へと変わる。釈迦の時代の修行僧は一日一食、午前中の食事だけだった。空腹に耐えかねたときは、温めた石、すなわち「温石」や「薬石」を布で包んで腹に当て、飢えや寒さをしのいだという。腹の底から温めることで、体温の低下を防ぐことができるということだ。後に修行僧の食事は朝食と昼食の二食になるが、それ以外にこの「温石」や「薬石」が夜食の粥や簡単な夕食、すなわち点心(てんしん)をさすようになる。

「懐石」という言葉は、懐に入れる石、つまり「温石」や「薬石」で腹を温める程度の軽い食事という意味。11世紀、北宋の詩人・蘇軾(そしょく)が点心を供するのに「懐石」という言葉を最初に用いたともいわれている。これを中国の禅僧が、お茶とともに京の禅寺に伝えたものだという。こうして京での茶の湯の発展とともに、お茶をもてなす前の温石のような食事ということで「茶懐石」という言葉が使われはじめる。

一方、「会席」は「懐石」から派生して、江戸時代には連歌や俳諧の席をさした。これらの席は料亭で行なわれることが多く、またその顔ぶれは茶席も連歌や俳諧の席も、同じ人が多い。料亭が「懐石」あるいは「俳席」と区別して「会席」の看板を上げるようになったとか。その席で、もてなす料理は当初は「懐石」のように簡素を旨としていたものが、しだいに宴席用の上等な料理となって、現在の「会席料理」にいたっているという。

京都には仕出し専門の料理屋があるのが特徴。それらは本格的な茶懐石を扱うお店、会席料理を専門に扱うお店などと分かれており、目的に応じて使い分けることができる。しかし、一般にお店を構える料亭で、メニューとして掲げられた「会席料理」と「懐石料理」にはそれほどの差は見当たらない。文字が違うのだから違いがはっきりしているほうが気持ちがいいのだけれど。いずれにしても「会席」と「懐石」は京で発展したのだが、現在では区別がないのも事実というお話…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。

「あそこの奥さんコートナ着物着て、ようお似合いどすな」「ええ柄やけど、あんたにはちょっとコートナ色やと思います」 地味、上品な、の意。ハンナリと対照的。「会社の偉いさんやのにコートニ暮らしてはる」 コートニに質素に。公道に基づく。公道は質素で堅実、派手でないことの意味で、もとは世間一般に通ずる道理。京の庶民は目立ち過ぎる色を避けてコートナ渋い色彩を懐かしみ、親しむ傾向がある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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会席と懐石 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月9日掲載)
「○○名様のご予約ですね。お料理はカイセキ料理になりますが、よろしいでしょうか?」 さて、この場合のカイセキは「会席」? それとも「懐石」?

現実に現在の京都の料亭で「会席料理」と「懐石料理」の区別は殆どないという。京料亭の料理を見ても懐石料理があれば、会席コースもある。昼会席があれば昼懐石もある。懐石のほうが精進料理に近いかといえばそうでもないらしい。調べてみると、この二つはもともとは違った存在のもの。「会席」は「懐石」にはじまり、「懐石」はそのもとは「温石(おんじゃく)」や「薬石(やくせき)」にあったという。

話は、京料理の贅を尽くした世界から、釈迦の時代へと変わる。釈迦の時代の修行僧は一日一食、午前中の食事だけだった。空腹に耐えかねたときは、温めた石、すなわち「温石」や「薬石」を布で包んで腹に当て、飢えや寒さをしのいだという。腹の底から温めることで、体温の低下を防ぐことができるということだ。後に修行僧の食事は朝食と昼食の二食になるが、それ以外にこの「温石」や「薬石」が夜食の粥や簡単な夕食、すなわち点心(てんしん)をさすようになる。

「懐石」という言葉は、懐に入れる石、つまり「温石」や「薬石」で腹を温める程度の軽い食事という意味。11世紀、北宋の詩人・蘇軾(そしょく)が点心を供するのに「懐石」という言葉を最初に用いたともいわれている。これを中国の禅僧が、お茶とともに京の禅寺に伝えたものだという。こうして京での茶の湯の発展とともに、お茶をもてなす前の温石のような食事ということで「茶懐石」という言葉が使われはじめる。

一方、「会席」は「懐石」から派生して、江戸時代には連歌や俳諧の席をさした。これらの席は料亭で行なわれることが多く、またその顔ぶれは茶席も連歌や俳諧の席も、同じ人が多い。料亭が「懐石」あるいは「俳席」と区別して「会席」の看板を上げるようになったとか。その席で、もてなす料理は当初は「懐石」のように簡素を旨としていたものが、しだいに宴席用の上等な料理となって、現在の「会席料理」にいたっているという。

京都には仕出し専門の料理屋があるのが特徴。それらは本格的な茶懐石を扱うお店、会席料理を専門に扱うお店などと分かれており、目的に応じて使い分けることができる。しかし、一般にお店を構える料亭で、メニューとして掲げられた「会席料理」と「懐石料理」にはそれほどの差は見当たらない。文字が違うのだから違いがはっきりしているほうが気持ちがいいのだけれど。いずれにしても「会席」と「懐石」は京で発展したのだが、現在では区別がないのも事実というお話…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。

