rrbのブログ - 2008/06のエントリ
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今京都 一望千里 2008/06/30 12:09 am
いちぼうせんり…一目ではるかかなたまで見渡せるほど見晴らしがよいこと。また、そこから見える美しい景色。
◇ちょっと予備知識 → 「一望千里の眺め」などと使う。一里は約3.9km。
類義語に一望千傾(いちぼうせんけい)・一望無限(いちぼうむげん)・
天涯一望(てんがいいちぼう)・眺望絶佳(ちょうぼうぜっか)がある。
町並み






地蔵物語(180)



◇ちょっと予備知識 → 「一望千里の眺め」などと使う。一里は約3.9km。
類義語に一望千傾(いちぼうせんけい)・一望無限(いちぼうむげん)・
天涯一望(てんがいいちぼう)・眺望絶佳(ちょうぼうぜっか)がある。
町並み






地蔵物語(180)





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今京都 半死半生 2008/06/29 12:53 am
はんしはんしょう…生きるか死ぬかの瀬戸際。ほとんど死にそうで、息も絶え絶えの状態。
◇ちょっと予備知識 → 「半生」は「はんじょう」「はんせい」とも読む。
類義語に気息奄奄(きそくえんえん)がある。
町並み






地蔵物語(179)



◇ちょっと予備知識 → 「半生」は「はんじょう」「はんせい」とも読む。
類義語に気息奄奄(きそくえんえん)がある。
町並み






地蔵物語(179)





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今京都 鰥寡孤独 2008/06/28 12:43 am
かんかこどく…身寄りのない独り者。また身寄りのない寂しい暮らし。
◇ちょっと予備知識 → 「鰥」は老いて妻のない夫、「寡」は老いて夫のない妻。
「孤」は幼くして親のない子ども、「独」は子どものない老人のこと。
類義語に鰥寡惸独(かんかけいどく)・天涯孤独(てんがいこどく)がある。
月(つき)
小さい頃の記憶で定かではないが、大祖母は月を見ると必ず「月々に月見る月は多いけれど、月見る月はこの月の月」という歌を詠んで拝んでいた。三日月であろうと、半月であろうと、月がこうこうと輝いていれば、毎晩拝む。満月の時にはいっそう力が入り、表情も歓喜。
拝み方に特別な方法があるわけではないが、縁先から月を見上げ、手をこすり合わせてこの歌を三度詠み、最後に頭を下げて、ひとこと「あん」といっていたように記憶している。

この歌はもともと中秋の名月(陰暦の8月15日)に宮中で女官たちによって詠われたもので、歌の作者は知り得ないが、お芋に箸で穴を開け、その穴から月をのぞいてこの歌を詠むといった「しきたり」が、その昔あったようだ。

京都では、この月の宴のことを「芋名月」ともいい、お芋をお月様にお供えしたり、また、それを食べるという風習があった。また、一方、陰暦の9月13日の宴は「豆名月」と呼ばれ、豆をお供えしたり食べたりしたそうだ。

お月見といえば、必ずススキの穂が登場するが、お月見にススキを生けるのは、ススキを稲穂に見たてて、やがて来る秋のお米の豊作を祈る収穫の前祝のためでもあるといわれている。

さて、お日様(太陽)を日常的に拝むという風習は全国的に多いというが、お月様を大祖母のように日常的に拝むというのは、恐らく京都だけではないかといわれている。京都人は月に対する思い入れがとりわけ強く、古来より月を神仏とも思ってきた。

理由は、さんさんと照り輝く太陽よりも、おだやかな月に、より身近なものを感じたのかもしれない。かぐや姫を主人公にした「竹取物語」という月の物語が生まれたのにも、おそらくこんな背景があったのではないかと思う。

日本では、ほんの100年ほど前まで、月を中心とした旧暦(太陰太陽暦)を使っていた。月日という言い方そのものが「月」が「日」より上位と考えていたひとつの証だともいえる。陰陽道では、太陽が陽で男性を表し、月が陰で女性を表すといわれている。女性が月を拝むというのは自分の身体をいたわるひとつの信仰かもしれない。

京都では、今もなお、平安時代より月の名所といわれた大覚寺・大沢の池での観月の宴をはじめとして、方々で月見の宴が催されている。仕事帰りにふと見上げた夜空に輝いていたお月様がヒントの月にまつわる京都の文化のお話…今京都(写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。)


◇ちょっと予備知識 → 「鰥」は老いて妻のない夫、「寡」は老いて夫のない妻。
「孤」は幼くして親のない子ども、「独」は子どものない老人のこと。
類義語に鰥寡惸独(かんかけいどく)・天涯孤独(てんがいこどく)がある。
月(つき)
小さい頃の記憶で定かではないが、大祖母は月を見ると必ず「月々に月見る月は多いけれど、月見る月はこの月の月」という歌を詠んで拝んでいた。三日月であろうと、半月であろうと、月がこうこうと輝いていれば、毎晩拝む。満月の時にはいっそう力が入り、表情も歓喜。
拝み方に特別な方法があるわけではないが、縁先から月を見上げ、手をこすり合わせてこの歌を三度詠み、最後に頭を下げて、ひとこと「あん」といっていたように記憶している。

この歌はもともと中秋の名月(陰暦の8月15日)に宮中で女官たちによって詠われたもので、歌の作者は知り得ないが、お芋に箸で穴を開け、その穴から月をのぞいてこの歌を詠むといった「しきたり」が、その昔あったようだ。

京都では、この月の宴のことを「芋名月」ともいい、お芋をお月様にお供えしたり、また、それを食べるという風習があった。また、一方、陰暦の9月13日の宴は「豆名月」と呼ばれ、豆をお供えしたり食べたりしたそうだ。

お月見といえば、必ずススキの穂が登場するが、お月見にススキを生けるのは、ススキを稲穂に見たてて、やがて来る秋のお米の豊作を祈る収穫の前祝のためでもあるといわれている。

さて、お日様(太陽)を日常的に拝むという風習は全国的に多いというが、お月様を大祖母のように日常的に拝むというのは、恐らく京都だけではないかといわれている。京都人は月に対する思い入れがとりわけ強く、古来より月を神仏とも思ってきた。

理由は、さんさんと照り輝く太陽よりも、おだやかな月に、より身近なものを感じたのかもしれない。かぐや姫を主人公にした「竹取物語」という月の物語が生まれたのにも、おそらくこんな背景があったのではないかと思う。

日本では、ほんの100年ほど前まで、月を中心とした旧暦(太陰太陽暦)を使っていた。月日という言い方そのものが「月」が「日」より上位と考えていたひとつの証だともいえる。陰陽道では、太陽が陽で男性を表し、月が陰で女性を表すといわれている。女性が月を拝むというのは自分の身体をいたわるひとつの信仰かもしれない。

京都では、今もなお、平安時代より月の名所といわれた大覚寺・大沢の池での観月の宴をはじめとして、方々で月見の宴が催されている。仕事帰りにふと見上げた夜空に輝いていたお月様がヒントの月にまつわる京都の文化のお話…今京都(写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。)




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今京都 国士無双 2008/06/27 12:05 am
こくしむそう…国内で肩を並べる者がいないほど優れた人物。国内で最高の人物。天下一の人。
◇ちょっと予備知識 → 「無双」は二つとないこと。麻雀の役の一つにもある。
類義語に古今無双(ここんむそう)・天下無双(てんかむそう)がある。
ほうき part2
一般には、お正月に何かをすると一年中それを続けることになるといわれている。そのことから、京都ではお正月に「ほうき」をもつと一年中掃除をしなければならないから「ほうき」をもってはいけないといわれている。
でも本当は、「ほうき」というものが悪いもの掃いてしまう(邪気をはらう)道具と考えられてきたことからそういわれているのである。

お正月には「お正月様」という神様が家に降りてこられているため、本来悪いものなどあるはずがない。せっかく神の「よりしろ」だという意味で、注連縄を張ったり、玄関飾りをして神様をお迎えしているのに、「ほうき」を持つことによってその神様まで掃き出してしまってはいけないという、そんな理由から「ほうき」をお正月にもってはいけないといわれてきたという。

しかし、これは一種の後付の理由であり、実はそこに「日頃から女性は何かと忙しく動いてきたのだから、お正月くらいはゆっくり休んでください」という意味がある。女性に対する思いやりの表現であった。
姑が若い嫁に対して「お正月は『ほうき』をもったらあかん」と厳しく叱っていたとしても、その本当の心は「お正月の間はたとえ埃をかぶっていても掃除をしなくていいよ」といっているのである。

それならば、その心をはっきりといえばよいと思われるかもしれないが、これをひとつの「しきたり」とすることに大きな意味がある。「しきたり」でなければ、掃除をする人も出てきて、しないと何かなまけている感があり、またぞろ働くことにもなる。

仮に埃がかぶっていても、決して恥ずかしいことではないという「決まりごと」にしてしまうことで、本当に休むことができるのである。お正月の重箱に詰めるお煮しめも、お正月の間お料理をせず休んでいられるようにという同様の配慮がある。

それにお正月の一番最初にくみ上げる「若水」も男性が汲むのがしきたりとなっているが、これとても男性が汲まなければ縁起が悪いわけではない。

これらは京都人のもってまわった意地悪な表現だといわれる方もあるかもしれない。しかし、あえていうならば、京都人のもってまわった「やさしさ」といえる。
ささいなことにも二重、三重の意味があり、それが京都人の知恵として強く根付いていることで、逆に人間関係を大変楽にしてきたといえる。

「しきたり」は日頃忙しい女性たちへの思いやりであり、以前に掲載したほうき(←クリック)のもうひとつのお話があったという京都の文化のお話…今京都(写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。)


◇ちょっと予備知識 → 「無双」は二つとないこと。麻雀の役の一つにもある。
類義語に古今無双(ここんむそう)・天下無双(てんかむそう)がある。
ほうき part2
一般には、お正月に何かをすると一年中それを続けることになるといわれている。そのことから、京都ではお正月に「ほうき」をもつと一年中掃除をしなければならないから「ほうき」をもってはいけないといわれている。
でも本当は、「ほうき」というものが悪いもの掃いてしまう(邪気をはらう)道具と考えられてきたことからそういわれているのである。

お正月には「お正月様」という神様が家に降りてこられているため、本来悪いものなどあるはずがない。せっかく神の「よりしろ」だという意味で、注連縄を張ったり、玄関飾りをして神様をお迎えしているのに、「ほうき」を持つことによってその神様まで掃き出してしまってはいけないという、そんな理由から「ほうき」をお正月にもってはいけないといわれてきたという。

しかし、これは一種の後付の理由であり、実はそこに「日頃から女性は何かと忙しく動いてきたのだから、お正月くらいはゆっくり休んでください」という意味がある。女性に対する思いやりの表現であった。
姑が若い嫁に対して「お正月は『ほうき』をもったらあかん」と厳しく叱っていたとしても、その本当の心は「お正月の間はたとえ埃をかぶっていても掃除をしなくていいよ」といっているのである。

それならば、その心をはっきりといえばよいと思われるかもしれないが、これをひとつの「しきたり」とすることに大きな意味がある。「しきたり」でなければ、掃除をする人も出てきて、しないと何かなまけている感があり、またぞろ働くことにもなる。

仮に埃がかぶっていても、決して恥ずかしいことではないという「決まりごと」にしてしまうことで、本当に休むことができるのである。お正月の重箱に詰めるお煮しめも、お正月の間お料理をせず休んでいられるようにという同様の配慮がある。

それにお正月の一番最初にくみ上げる「若水」も男性が汲むのがしきたりとなっているが、これとても男性が汲まなければ縁起が悪いわけではない。

これらは京都人のもってまわった意地悪な表現だといわれる方もあるかもしれない。しかし、あえていうならば、京都人のもってまわった「やさしさ」といえる。
ささいなことにも二重、三重の意味があり、それが京都人の知恵として強く根付いていることで、逆に人間関係を大変楽にしてきたといえる。

「しきたり」は日頃忙しい女性たちへの思いやりであり、以前に掲載したほうき(←クリック)のもうひとつのお話があったという京都の文化のお話…今京都(写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。)




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今京都 千紫万紅 2008/06/26 12:04 am
せんしばんこう…色とりどりの花が一面に美しく咲いているさま。また、そのように華やかであること。
◇ちょっと予備知識 → 「千」「万」は共に色彩の豊かさを強調している。「紫」「紅」はあでやかな色のたとえ。
類義語に千紅万紫(せんこうばんし)・万紫千紅(ばんしせんこう)・
百花繚乱(ひゃっかりょうらん)がある。
しきたり
結婚式には金銀の水引で熨斗(のし)、寿恵廣(すえひろ)を添えて…、
出産祝には赤白の水引で友白髪(ともしらが)とともに…、
お葬式には黄白の水引で…等々、京都には数え切れないほどのさまざまな「しきたり」がある。
しかし、その「しきたり」にしばられるからこと、京都の暮らしは楽なところがある。

いずれの儀式においても京都には京都なりの決められた形(しきたり・ルール)というものがある。その仕方に色々な異なる方法があればかえって迷いを生じさせるし、果たしこのやり方で相手にきちんと自分の気持ち(心)が伝わっただろうかと不安になることもある。

その点、京都では決められた「しきたり」のポイントだけをしっかりおさえておけば、それでいいことになる。それだけ戸惑いや迷いがなく、事ができる。
一見、表面的には「しきたり」がぎゅうぎゅう詰めで難解だと考えられがちだが、本当はいたって簡単なことで、その渦の中で生活しているものにとっては大変楽なことなのだ。長い年月によってつちかわれてきた、本当に合理滝なマニュアルが京都にはある。

しかし、最近、いろいろな異なる文化圏からの情報により、京都の「しきたり」が崩壊しつつあるのも事実だという。今まで自分たちがやってきた「しきたり」を他の人からおかしいと指摘されると、たちまち迷ってしまうのが京都人。それほど内面はもろく弱いところがある。

麩という食べ物があるが、京都人はまさに「麩」そのものだという。見るからに弱々しくて、それ自体には何の味もない。しかし、つけ合わせの椎茸とか他の味をうまく吸収して、麩はそれ本来の独特の風味を出す。

ところが最近、そのつけ合せの味があまりにも強烈過ぎて、麩そのものの味がどこかへいってしまう。長い歴史をとおして脈々と伝えられてきた京都の「しきたり」。その「しきたり」にしばられている時代はみんな楽であったが、今は京都以外の「しきたり」にしばられてしまい、大変窮屈になってきた。
本当に難しいのは変にミックスブレンドされた今の「しきたり」という京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


◇ちょっと予備知識 → 「千」「万」は共に色彩の豊かさを強調している。「紫」「紅」はあでやかな色のたとえ。
類義語に千紅万紫(せんこうばんし)・万紫千紅(ばんしせんこう)・
百花繚乱(ひゃっかりょうらん)がある。
しきたり
結婚式には金銀の水引で熨斗(のし)、寿恵廣(すえひろ)を添えて…、
出産祝には赤白の水引で友白髪(ともしらが)とともに…、
お葬式には黄白の水引で…等々、京都には数え切れないほどのさまざまな「しきたり」がある。
しかし、その「しきたり」にしばられるからこと、京都の暮らしは楽なところがある。

いずれの儀式においても京都には京都なりの決められた形(しきたり・ルール)というものがある。その仕方に色々な異なる方法があればかえって迷いを生じさせるし、果たしこのやり方で相手にきちんと自分の気持ち(心)が伝わっただろうかと不安になることもある。

その点、京都では決められた「しきたり」のポイントだけをしっかりおさえておけば、それでいいことになる。それだけ戸惑いや迷いがなく、事ができる。
一見、表面的には「しきたり」がぎゅうぎゅう詰めで難解だと考えられがちだが、本当はいたって簡単なことで、その渦の中で生活しているものにとっては大変楽なことなのだ。長い年月によってつちかわれてきた、本当に合理滝なマニュアルが京都にはある。

しかし、最近、いろいろな異なる文化圏からの情報により、京都の「しきたり」が崩壊しつつあるのも事実だという。今まで自分たちがやってきた「しきたり」を他の人からおかしいと指摘されると、たちまち迷ってしまうのが京都人。それほど内面はもろく弱いところがある。

麩という食べ物があるが、京都人はまさに「麩」そのものだという。見るからに弱々しくて、それ自体には何の味もない。しかし、つけ合わせの椎茸とか他の味をうまく吸収して、麩はそれ本来の独特の風味を出す。

ところが最近、そのつけ合せの味があまりにも強烈過ぎて、麩そのものの味がどこかへいってしまう。長い歴史をとおして脈々と伝えられてきた京都の「しきたり」。その「しきたり」にしばられている時代はみんな楽であったが、今は京都以外の「しきたり」にしばられてしまい、大変窮屈になってきた。
本当に難しいのは変にミックスブレンドされた今の「しきたり」という京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。



