rrbのブログ - 2009/06/01のエントリ
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天を仰いで思うこと しかつい 2009/06/01 12:00 am
しかつい
しかつめらしい、大人らしい、まじめくさったの意。「お子さんもシカツイこと言わはるようにならはったな」「ややさんも六ヶ月になるとシカツーならはって」「しかつべらし」の語幹シカツの形容詞化。江戸時代寛政ごろから使う。「しかつべらし」は「然りつべくあらし」の略でもっともらしいこと。浄瑠璃に「さても堅い御家老の、折々しかつい御異見に」とある。成人ぶりを褒めたり、皮肉を込めても言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
水無月。今日から6月。水を田に注ぎ入れる月の意だそうだ。そろそろ蛍も飛び交う季節がやってくる。夏の香りが、もうそこまでしている。
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(28)
パソコンから思うこと (エキサイト 2008年3月26日掲載)

毎日当たり前のように使用しているパソコン。同機種であったとしても、他人のものと自分のものとではキーボードを操作したときに違いがあり、自分のではないとわかる。それほど身体の一部となっているといってもおかしくはない。さて、このパソコンで必ず一度は話題となるのが、「かな入力」か「ローマ字入力」か。以前に職場でも話題になったのであるが、「ローマ字入力」のイメージがあるそうだが、実は「かな入力」派。「ローマ字入力」の「無駄」が納得できないというのが最大の理由。「ローマ字入力」の場合、「な」と打つのに「n」「a」と打つことがどうも納得できない。「かな入力」であれば「な」の一押しで済む。「じ」とかになれば「z」「i」も「j」「i」もある。ややこしいと感じてしまう。「じ」は「し」と「゛」でいいではないか。「じ」と「ぢ」の違いも「かな入力」では「し」「゛」で「じ」になるし、「ち」「゛」で「ぢ」となるから一目瞭然。「お」と「を」もそうである。

慣れというのは不思議で、かなの配置を自然と覚えている。かといってローマ字の配置がサッパリかというとそうでもない。意識の切り替えによって、キーボードの表面に印字されている文字の浮かび上がり方が違う。英文入力も、かな入力も、ローマ字入力もできるのであるが、日本語を入力するには「かな入力」が断然速い。英文を入力するのも「かな入力」とほぼ変わらない。「ローマ字入力」となると頭で考えながら打たないとダメで、多少時間がかかる。「器用なのか、不器用なのか、ようわからん」といわれたが、まさにその通りだ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
パソコンは便利だが、注意したいことがある。それは、最近の傾向によく見られることだが、「打つことができても、書くことができない」という落とし穴。文字を入力し、変換すると一瞬にして候補の漢字が表示される。後はその中から探せばよいだけだ。この動作を繰り返していると、イザというときに字が書けなくなっている。「あれっ、ここに点が必要だったっけ?」となる。パソコンは、漢字の変換も便利だが、「打つことができても、書くことができない」ようにならないためにも、時には手書きも心掛けたいものだ…と、天を仰いで思うこと。

しかつめらしい、大人らしい、まじめくさったの意。「お子さんもシカツイこと言わはるようにならはったな」「ややさんも六ヶ月になるとシカツーならはって」「しかつべらし」の語幹シカツの形容詞化。江戸時代寛政ごろから使う。「しかつべらし」は「然りつべくあらし」の略でもっともらしいこと。浄瑠璃に「さても堅い御家老の、折々しかつい御異見に」とある。成人ぶりを褒めたり、皮肉を込めても言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
水無月。今日から6月。水を田に注ぎ入れる月の意だそうだ。そろそろ蛍も飛び交う季節がやってくる。夏の香りが、もうそこまでしている。
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(28)
パソコンから思うこと (エキサイト 2008年3月26日掲載)

毎日当たり前のように使用しているパソコン。同機種であったとしても、他人のものと自分のものとではキーボードを操作したときに違いがあり、自分のではないとわかる。それほど身体の一部となっているといってもおかしくはない。さて、このパソコンで必ず一度は話題となるのが、「かな入力」か「ローマ字入力」か。以前に職場でも話題になったのであるが、「ローマ字入力」のイメージがあるそうだが、実は「かな入力」派。「ローマ字入力」の「無駄」が納得できないというのが最大の理由。「ローマ字入力」の場合、「な」と打つのに「n」「a」と打つことがどうも納得できない。「かな入力」であれば「な」の一押しで済む。「じ」とかになれば「z」「i」も「j」「i」もある。ややこしいと感じてしまう。「じ」は「し」と「゛」でいいではないか。「じ」と「ぢ」の違いも「かな入力」では「し」「゛」で「じ」になるし、「ち」「゛」で「ぢ」となるから一目瞭然。「お」と「を」もそうである。

慣れというのは不思議で、かなの配置を自然と覚えている。かといってローマ字の配置がサッパリかというとそうでもない。意識の切り替えによって、キーボードの表面に印字されている文字の浮かび上がり方が違う。英文入力も、かな入力も、ローマ字入力もできるのであるが、日本語を入力するには「かな入力」が断然速い。英文を入力するのも「かな入力」とほぼ変わらない。「ローマ字入力」となると頭で考えながら打たないとダメで、多少時間がかかる。「器用なのか、不器用なのか、ようわからん」といわれたが、まさにその通りだ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
パソコンは便利だが、注意したいことがある。それは、最近の傾向によく見られることだが、「打つことができても、書くことができない」という落とし穴。文字を入力し、変換すると一瞬にして候補の漢字が表示される。後はその中から探せばよいだけだ。この動作を繰り返していると、イザというときに字が書けなくなっている。「あれっ、ここに点が必要だったっけ?」となる。パソコンは、漢字の変換も便利だが、「打つことができても、書くことができない」ようにならないためにも、時には手書きも心掛けたいものだ…と、天を仰いで思うこと。

