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rrbのブログ - 2009/05のエントリ

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今京都 よんべ 2009/05/31 12:00 am

んべ
昨夜のこと。ユンベとも。「ヨンベは、蒸し暑うて苦しおしたな」「ヨンベは遅うまでお仕事をしておいやしたな」「よべ」に基づく。「よべ」は平安時代から使用。『土佐日記』には「よんべのとまりより異泊を追ひて行く」 かつて一日の始まりは前日の夕方からで、暗い時間に先立つユウベが一昼夜の初めであった。昨晩をヨンベと言い、キノウノバンは一昨日の晩のことを指した。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(263)




 

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今京都 おたのもうします 2009/05/30 12:00 am

たのもうします
お頼み申します、お願いします、ごめんください、のこと。「頼む」は手を合わせて祈るの意味からか。御所ことばを使用する尼門跡寺院では、他の尼門跡を訪問するとき、「オタノモーシマス」という。祇園花街でも舞妓や芸妓は日常よく使用する。タノモーは大徳寺など禅宗の本山で使われる。モノモーとも。かつて大聖寺尼門跡では、タノモーと言ってくると、ドーレと答えたという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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、その読みは? (旧フォトヴィレッジ 2007年9月13日掲載)
京都の夏の風物詩といえば、鴨川にせり出した「床」。この場合の読みは「ゆか」となる。しかし、貴船にも川床料理という貴船川に床を敷き詰めその上でいただく料理がある。この場合の読みは「かわどこ」となる。鴨川では必ず「ゆか」といい、「とこ」という呼び方は存在しない。そもそも京都にある「床」の歴史は鴨川に始まっているという。



鴨川の床の歴史は古く、豊臣秀吉の桃山時代にさかのぼる。もとは川の流れのなかで夕涼みをする床几(しょうぎ)の形式だったそうだ。それが現在の高床式(たかゆかしき)になったのは、江戸時代から何度か行なわれた河川改修によるということ。明治時代には川に床几、護岸沿いに高床と二本立てだったようだが、大正時代に鴨川から中州が消えて、川の中に床几が出せなくなってしまったという。この「高床」という言葉は、戦後の1951(昭和26)年、京都府の「鴨川の高床について」という許可基準の通達に見られる。そして、翌年に、この通達が「鴨川納涼床について」と改訂されている。鴨川の床は、床几形式に対して、高床式の「ゆか」をさす。府の通達で「高床」が「納涼床」に転じれば、それは「ゆか」以外の何物でもないといえる。



一方、貴船や高雄の川床は、鴨川の床料理と区別するために、あえて「川床料理(かわどこりょうり)」としたのではないか。「かわゆか」より「かわどこ」のほうが呼びやすいといえば呼びやすい。貴船でも高雄でも「お食事はゆかでなさいますか」という。場所をさすときの漢字一文字は「ゆか」。漢字二文字となれば「かわどこ」。料理をさすとなれば「かわどこりょうり」となるようだ。



これに違いないと思いきや、
お問い合わせありがとうございます。ご質問の件、当方も理由はわかりません。同様のご質問はよくお聞きしますが、はっきりしたお返事をできない現状です。たぶん明示できるような資料もないと思います。貴船の川床の始まりは大正期になります…
と、貴船観光協会に問い合わせたときの返答。「ゆか」と「とこ」の定義について、この仮定が正しいかどうか確認しようと問い合わせたときの回答である。これでは解決にはならないではないか…と、再度、改めて調べなおすことにしよう。



しかし、これだけは断言できる。鴨川は「ゆか」以外に呼び名はない。京都へ来られて鴨川にせり出している床を見て、「とこ」とは決して言わないように。京都以外の人の8割が、鴨川の床を「とこ」と呼ぶそうだ。少し京都人を気取って「ゆか」って呼んでみてはいかが? 「どうぞ、寄っておいきやすぅ」と優しい口調で女将のお誘いがあるかも、という京の街のお話…今京都。


 

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天を仰いで思うこと ももける 2009/05/29 12:00 am

もける
布・和紙・編み物などの表面がこすれて毛羽立つこと。「この古文書の紙がモモケテあんじょう読めへんな」「何回も縫い直ししてるうちにモモケテしもた」 ボボケルとも。モモ、ボボは毛羽立つさまを形容する擬態語に基づく。東京のボヤケルに対していう。平安時代には「あつごゆ」といい、厚く膨らんでいるの意味。『枕草子』には「くるみ色といふ色紙のあつごえたるを」とある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(52) ちょっと気になる「ことば」の話
全然いい



「全然いい」「全然平気だ」と最近よく使う。「全然」は昔から否定と呼応する形で使われてきた。歴史的にみると「全然」は江戸時代の後期の頃に中国の白話(はくわ)小説(口語体で書かれた小説)に使われていたものを取り入れるようになったもので、「全く然り」(まったくしかり)という訓がそのまま当てはまるものだった。したがって、「まったく」「すっかり」とか「まるっきり」などの訓もあてられていたようだ。明治時代以降、「全然…ない」「全然…ずに」などと否定と呼応する用法とともに、肯定の表現にも使われている。「全然」が「違う」「別だ」「ダメだ」「間違いだ」「反対だ」など、内容的に否定的な要素、マイナスの要素を含む語にかかっていくものは、打ち消しとの呼応を表す副詞と同様に考えることができ、実際に古くから使われている。



次に、現在、「全然いい」とか「全然平気だ」というように「全然」が「とても」「非常に」という意味で普通に使われるようになっているのかどうか。多くの国語辞典において、こういう用法が「俗語」として挙げられているが、それが程度を表す副詞として、単に「とても」「非常に」という意味で使われているかというと、かなり疑問である。相手が天気を心配しているときに自分がすでに天気予報を確認していて「きょうは全然いい天気だよ」といったり、自分の服装に自信が持てず、気にしている相手に対して「その服、全然似合っているよ」といったりするように、否定的な状況、あるいは、心配な状況・懸念をつくがえし、まったく問題がないという場合に用いるのが普通である。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

「大丈夫?」と聞かれて、「全然平気!」と答えるのも同様。つまり「あなたが思っていることとは違って」という限定で使用するのがよさそうだ。つまり「まったく問題なく」の意であり、「とても」「非常に」とは明らかに違う。その他に「全然」は「こっちのほうが全然いい」とか「さっきより全然よくなった」というようにも使用されるが、これは「断然」との類似から広まったのだろう。「全然」を肯定表現で使うのは必ずしも間違いではなく、否定的な状況や懸念をくつがえして「まったく問題なく」の意味で使う用法や、二つの物事を比較して使う用法は、現在、一般化しているといえるのかもしれない…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)


 

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今京都 どくしょうな 2009/05/28 12:00 am

くしょうな
東京で「ひどい」というのを京都では江戸時代からドクショウナと使った。しんらつな、むごたらしいことで、毒の性質のある「毒性」という意味から。「あいつにドクショウナこと言われた」 「毒性」は意地の悪いこと。式亭三馬『浮世風呂』にもある。「今年の稲作はドクショーもんだった」のように京都府北部でも使用。アキショウナ、アクショウナ、アクショナともいい、「悪性」に基づいている。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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子(ずし) (旧フォトヴィレッジ 2007年7月8日掲載)
京都では路地のことを「ろうじ」と呼ぶ。ところが、漢字で書けば同じ「路地」でも「ろうじ」以外にも「ろじ」という呼び方も使う。その使い分けは、縦横の通りに囲まれた洛中の四角いマス目を、次の通りまで真っ直ぐに抜けている場合は「ろじ」、奥で行き止まりになるような場合は「ろうじ」だということ。これは京都学の入門だというから驚き。さらに存在している呼び方が「筋(すじ)」。こちらは「ろじ」がさらに次の四角いマス目まで続いてのびている場合で、「通り」に近い感覚だという。しかし、「筋」という呼び方はあまり記憶にない。さて、ここにもうひとつ存在する呼び名がある。それは「図子(ずし)」。この図子は、まちのマス目のなかで、ひとマスの中だけに自然発生的にできた通路のことをいうそうだ。だから折れ曲がっていたり、袋小路になっていたり、斜めになっていたりする。



図子は以前「辻子(ずし)」と表記されていた。意味からすれば「辻子」のほうがわかりやすいかも。つまり図子は辻のようで辻まで行かない「辻の子ども」ということ。「ろじ」や「ろうじ」には呼び名はついていないが、図子にはその土地に密着したユニークな名前がついていることが多いという。しかし、現地にいってもどこにも標識はついていない。地元の人だけが口伝で呼んでいるだけである。その代表的なものに、白梅図子(しらうめずし)、膏薬図子(こうやくのずし)、了頓図子(りょうとんのずし)、地獄図子(じごくずし)、撞木図子(しゅもくのずし)、虱図子(しらみのずし)がある。白梅図子は上京区河原町通の今出川通と広小路通のほぼ中間地点を西へ入り、寺町通へ抜ける小路。南面は本禅寺の塀、北面塀、北面は栄町・新夷町・扇町の横頬(よこつら)になるために、町通りにならず辻子として推移したという。幕末のころは遊女街として大いに栄え、白梅は遊女の名前だったという説もある。明治維新ののち茶屋が次第に減り、廃止にいたったとのこと。


白梅図子(しらうめずし)


白梅図子(しらうめずし)

膏薬図子は四条通新町西入のなかほどから南に下がり、鍵型に曲がって綾小路通に抜ける小路。平安時代、空也(こうや)上人がここに供養の道場を開いき、人々はそれを「空也供養(こうやくよう)」の道場と呼んだ。それがなまって「こうやく道場」となり、膏薬の名がついたという。この膏薬図子の近くには京の代表的な町家のひとつである杉本家がある。


膏薬図子(こうやくのずし)


膏薬図子(こうやくのずし)

了頓図子は三条通室町西入の中ほどから南へ下がり、六角通へ抜ける小路。ここは了頓図子町という地名がついている。「安土桃山期の茶人広野了頓がここに邸宅(茶亭)を構え、邸内の南北通り抜けを許したために図子が生まれたという。やがてこれらの図子も街撮りしたいと思うが、「ろじ」と「ろうじ」の区別はともかく、「ろじ」と「ずし」の区別がつくかどうか、ちょっぴり不安だ、という京の街のお話…今京都。


 

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天を仰いで思うこと たも 2009/05/27 12:00 am


「音頭してタモ(音頭をとってください)」「食べてタモレ(食べてください)」「してください」の意味。洛北で使用。給(たも)るのめ命令形に基づく。目下の者に「こうしてタモ」のように言い、御所ことばで明治時代にも用いた。『曽根崎心中』に「一部始終を聞いてたも」とある。御所ことばにある「出ましゃてイタダカサレ(出てくださいませ)」のイタダカサレは、目上に話す丁寧な表現である。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(37)
ぼやき漫才に思うこと (エキサイト 2008年5月13日掲載)



かつて、世相を槍玉に上げては、とんちんかんな難癖を付ける「ぼやき漫才」というのがあった。その第一人者といえば、人生幸朗と生恵幸子の夫婦コンビだという。1982(昭和57)年に幸朗が他界した後には、継ぐ者が殆どおらず廃れてしまった。世相や社会の出来事にツッコミを入れて、ボヤイたり、思い切りこきおろしたりして大いに笑わせた。
その進行の一例は、
幸朗:「浜の真砂は尽きるとも世にボヤキの種はつきまじ」と石川五右衛門の辞世の句を捩る
幸子:「キザなこと言うなこのハナクソ!」とすかさず突っ込む。
幸朗:「わたしのこと、みなボヤキやあ、ボヤキやあ言うてねぇ」
幸子:「当たり前や。誰かて言わはるわ。ボケ!」
幸朗:「しかし、みなさん、これは私がボヤクのやのうて、今の世の中が私をボヤかしまんねん」
というパターン。
そして「まぁ皆さん聞いてください」と聴衆に語りかけ、その当時の世相・ニュースを斬り始める。今、ボヤキたくなることがあまりに多い世相となってしまったように思う。先行き不透明になってきた年金問題も、幸朗師匠が生きていたらネタにしたに違いないだろう。「宙に浮き、消えてほしいのは社会保険庁」とでも言ったか、どうか。



偽装問題も、ボヤカずにはおられないだろう。食品表示の偽装に始まって、耐火建材や橋梁型枠の品質偽装があった。これで終わりかと思ったら、製紙業界の有力企業が再生紙の古紙配合率を偽装していたことが明るみに出た。こちらは「一流企業がいったい何してんのや」「頭下げるだけやったら、だれでもできる」などのセリフが飛び出すのだろうか。いや、もっと鋭いツッコミが出たかもしれない。
世界的な投機マネーのために原油や小麦が高くなり、庶民の台所にも影響が大きい。米海兵隊員の少女暴行事件も許せない。「ええ加減にせんかい。ほんまに怒るで」という声が聞こえてきそうだ。天国で「ボヤキより、怒りぶちまけの漫才がいるんやろうな」とボヤイているのかもしれない。
そして、再び、高級料亭「船場吉兆」の客の食べ残した食材を別の客に出していたことが明らかになった。本店を含む全料亭で使い回しが行われていた。ボヤキが最高潮に達した時、幸朗の「責任者出てこい!」のセリフとともに締の一節を述べる。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

「笑え、笑え、笑う門には福来る。皆様のご健康とご発展とを心よりお祈り申し上げ、ボヤキ講座予定終了でございます」  この「責任者出てこい!」のセリフによってストレスを解消した「ぼやき漫才」。責任者が出てきても、その口から出る言葉は眉唾物が多く、ストレス解消にはならないかも…。今、世間では新型インフルエンザの発症にピリピリとした状態。一時の間でも「笑い」が欲しい…と、天を仰いで思うこと。


 

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