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rrbのブログ - 2009/07のエントリ

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天を仰いで思うこと すってのとこ 2009/07/31 12:00 am

ってのとこ
「スッテノトコで新幹線に乗り遅れるとこやった」 もう少しのところでということ。スッテンデともいう。スッテンは、既にの意味。スデを強めてスッテ・スンデとなり、スッテノコトニ・スッテントとも。「そんなことスッテント忘れてた」「コロット忘れた」のコロットは、コロリトの変化したもの。トントは、すっかりの意で、否定の語を下に伴って、「トント覚えてしまへんわ」と言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(70) きょうの京
7月31日は祇園祭 疫神社夏越祭



いよいよ祇園祭の最終行事。八坂神社西楼門を入ってすぐのところに建つ疫神社は、八坂神社摂社で蘇民将来を祭神とする。鳥居に直径2mの茅の輪がすえられ、夏越の祓、茅の輪くぐりをする。多くの神社では6月30日の行事であるが、疫神社では月送りの7月にとりおこなう。「本日をもって祇園祭のすべてを終了とし」という神職の奉告がなされ、関係者や役員の参拝ののち、一般の人も茅の輪をくぐり、「蘇民将来之子孫也」と書かれた護符を受ける。



また、31日は愛宕神社の千日詣でもある。31日の夜から8月1日にかけて「火伏せの神」を祀る愛宕神社に参拝すると、千日分のご利益があるとされ、多くの人が神社をめざす。
しかし「伊勢に七たび、熊野へ三たび、愛宕さんへは月詣り」と謳われるものの、標高924mの愛宕山山頂に建つ愛宕神社への道はふだん運動をしない人にとっては苦行に近いかもしれない。
それでも三歳までの子どもが詣でると一生火難から免れるとされるため、小さい子をつれて灯りに照らされた約5.5kmの登山道をゆく親子連れも目立つ。
午後9時から夕御饌祭(ゆうみけさい)、午前2時から朝御饌祭をいとなむ。夜は風が出て、夏とは思えないほど気温が下がる。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
新型インフルエンザで中止になった神戸まつりのバレードが復活

こうして、京都の7月は過ぎていく。明日からは、地蔵盆がある8月だ。さらに暑い京都の夏がやってくる…と、天を仰いで思うこと。
★前回の「きょうの京」はここ(←クリック)


 

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今京都 すぼっこな 2009/07/30 12:00 am

ぼっこな
無愛想な、あっさりした、堅苦しくなくの意。「あの店には、スボッコナ娘がいる」 スボッコイは気前がよいの意味で、ボッコは古語のヲコ(馬鹿)から転じた。接頭語スを付け、抜かりなく行動するさまをいう。ヲコから、鎌倉時代にアホやバカができた。スボッコナは、気性が激しく、他人の顔色など気にしないことから、無愛想なの意になった。「アホ、バカ、スボケ」とはやすが、スボケはボケルに基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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条通「妖怪ストリート」 (旧フォトヴィレッジ 2007年6月21日掲載)
一条通は京都御苑から西大路通まで約2.5kmにわたり、幅6mほどの道がまっすぐ伸びる。東から歩けば学校や官公庁があり、時折、機音の聞こえる京町家の家並みや商店街を通る。人々の暮らしがさまざまな形で息づく落ち着いた通り。その通りを「妖怪ストリート」として地域を盛り上げる試みがされている。





そもそも平安時代の一条は平安京の北端であり、官庁街の大内裏に面して、京の街の内と外の境目にあった。怪しげな「百鬼夜行」の行き交った伝説があると聞くと、その歴史の深みがさらに感じられる。平安末期の「今昔物語」には、大みそかの夜に一条堀川の橋(一条戻橋)を渡っていた侍が、灯を持った鬼の集団に出会い、人から見えない透明人間に変えられてしまうという一節がある。「宇治拾遺物語」には、一条大路の建物に女性と泊まった男性が夜、馬の顔をした大きな鬼に出くわす話が出てくる。さらに、室町時代の「付喪神記」は、捨てられた古道具たちが人間に仕返しするため変身し、祭礼で一条大路を東へ行列する。しかし、関白の一行にやっつけられる筋書きがある。





こうした文献の研究から、傘や木づち、楽器、鍋などが化けたユーモラスな妖怪の姿で知られる「百鬼夜行絵巻」と「付喪神」を関連付け催されているという「妖怪ストリート」。各お店の前には手作りの妖怪が並び道行く人を見つめている。このイベントは実にユニークであり、楽しいものだ。かつて繁華だった通りが時代とともに寂れてしまった都の北面の一条大路に、後の人々が幻視したイメージをかぶらせており、室町時代に盛んになった職人の生産と、今なら「もったいないおばけ」といえる捨てられた器物の恨みも関連させているのかも知れない。





この通りには平安京の北西端を守る方位の神をまつる大将軍八神社がある。「大江山や愛宕山…都の北西は鬼の入り口。昔の人は特に気になっていた」という伝承を今風にアレンジして、神社近くの大将軍商店街振興組合(26店舗)は数年前から、夜に怪談を聞く催しをしたり、妖怪の仮装行列で地域を盛り上げているという。





妖怪のオブジェを店頭に飾り道行く人を楽しませている。町興しに携わる大将軍商店街振興組合の方々は「捨てたら化けるという昔の人のエコロジーの発想は今に通じる」と、時代を超えて人の心を引き付ける妖怪の魅力を語っているという。決して派手ではないけれど、「ものを大切にする心」を後世まで伝えて欲しいイベントであることには違いない…今京都。


 

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天を仰いで思うこと おばんざい 2009/07/29 12:00 am

ばんざい
ありあわせのふだんのお菜。日常食べる副食物。江戸時代から上方ではバンザイ(番菜)、江戸ではソウザイ(惣菜)と言った。番菜の「番」は、番茶・番傘の「番」のように常用または粗末の意味に解された。ザイは菜のこと。サイはソエルの意。晩菜・万菜と書くのは当て字。御所ことばでオバンは目上の人の飯のことで、オバンの菜からとも考えられる。副食物を御所ことばはオマワリという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(69) ちょっと気になる「ことば」の話
なので



最近、「だから」と同様に、「なので」を文の先頭に付けて前の内容を後につなげる言い方(接続詞の用法)がされる。話し言葉では、徐々に使われてきているが、文章語としては、まだ定着していない。「だから」や「ですから」があるのに、どうして「なので」が新たに使われるようになったのか?



「だから」「ですから」は「から」、「なので」は「ので」を含む語だから、この「ので」と「から」の違いを反映させようとしたのだと推測できる。「ので」と「から」では、「ので」は客観的で「から」は主観的だとか、「ので」の方が巣こと丁寧だとかいわれている。「だから」では、理由をごり押しする感じがするが、「ですから」では、畏まり過ぎるか気取りすぎる、というので、「なので」の出番となったのではないだろうか。
「だから」の「だ」と、「なので」の「な」は、もともと同じ断定の助動詞の異なった形だと考えられる。断定の助動詞に由来する接続詞は、「だから」「だが」「だったら」のような「だ」の形のものは多いが、「な」の形で始まる接続詞は多くない。ところが少し前から、「なのに」を接続詞として使うようになってきた。「なので」は、この「なのに」に引き続いて、接続詞化を進めているといえる。さらに「な、わけないだろ」とか、「な、こと言って」のような「な」の用法も控えている。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
新型インフルエンザで中止になった神戸まつりのバレードが復活

「なので」が接続詞として使われ始めたことにはしかるべき理由が感じられるが、現時点では違和感を感じる人もいる新しい用法であり、使用には注意が必要だという。改まった場では、「ですから」などを使うほうが好ましいということか…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)


 

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今京都 しょぼくさい 2009/07/28 12:00 am

ょぼくさい
貧相な。「また、ショボクサイ格好してるな」 ショボは、雨露に濡れて、ぐっしょりしたさまをいう「しほしほ」から。クサイは不快を示す接尾語。俳人安原貞室の『片言』(かたこと)には「袖袂などの雨露にぐっしょりぬれたるを、しほしほといふはよろしけれど、しぼしぼぞ、じっぽりぞなど云は如何」とある。「又しょぼくさなどは如何。但草といふはこと葉の縁にて侍れば、苦しかるまじきにや」と解説している。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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抜地蔵(石像寺) (旧フォトヴィレッジ 2007年3月23〜25日掲載)



ここは京都市上京区の千本今出川を北へ上がったところにある釘抜地蔵。819(弘仁10)年に真言宗の開祖・空海(弘法大師)が開創したと伝わる。境内には空海手掘りといわれる京都三井の一つや、平安時代の歌人・藤原家隆、定家、定長の供養塔がある。



道沿いの門をくぐり、30mほどの参道の脇には、大きな釘と釘抜きのようなものが設置されている。境内に入る第二の門から本堂を臨む。中央には先ほど参道にもあった釘と釘抜きのようなものが…。参拝者はまずここで手を合わせる。このお地蔵さまは苦しみや痛みを抜き去る御利益があるといわれ、「苦抜(くぬき)地蔵」とも呼ばれている。





それは戦国時代のことだった。紀の国屋道林(40歳)という都でも有数の商人がいた。ある日突然、何の前触れもなく両手が痛み出す。痛みに耐えかね、治療を尽くしたけれど、そのかいもなく痛みが続く。おまけに病名も分からない。そこで頼るは「神仏」と霊験あらたかなお地蔵さまに願掛けした。その願掛けの満願の夕べに、お地蔵さまが夢に現れお告げがあった。
そのお告げとは、
「この痛みは病ではない。おまえの前世が人をうらみ、人形を作って両手に八寸の釘(くぎ)を打ってのろった。その罪が返ってきて、おまえの身に苦しみを与えている。」
夢のお告げはさらに続く。
「幸いにもおまえはわたしのところに来た。神力をもって、そのうらみの釘を抜き取ってやろう。」
というもの。
夢から覚めると、両手の痛みは消えていた。驚いた道林は急いで寺に向かい、お地蔵さまが安置された厨子(ずし)の前に伏して拝んだ。すると朱に染まった二本の八寸釘が置いてあるのが目に入った。それからというもの、道林は百日を期して日参し、少しでも恩に報いたという。お地蔵さまを安置する本堂の外壁には、八寸釘が二本と釘抜きを取り付けた絵馬が、すき間なく張り付けられている。





八寸釘が二本と釘抜きを取り付けた絵馬は、言い伝えにちなみ、お地蔵さまにお参りした後、御利益があった時だけ奉納が許されるという。「苦しみは釘のようなもの。悩んだり、苦しんだりすると、釘が刺さったような気持ちになる。お地蔵さまとのかかわりのなかで、願いが成就した方だけに奉納していただく」という考えのもとだという。お千度で本堂をぐるぐるとまわったり、仏具の五鈷杵(ごこしょ)をなでて手を合わせたりする人々。科学万能の今の時代にも、信仰心はしっかりと生きているという証ね。釘抜地蔵のある石像寺は現在、浄土宗の寺院で、毎月24日が縁日となっている。





次から次へと参拝者が絶えない。「苦抜(くぬき)地蔵」とも呼ばれている通り、何かの苦痛・苦悩を取り除きたいのか!? そういえば現代は苦痛・苦悩だらけ。そしてどの時代にも必ず存在するのが「現代病」という病気だ。お若いお二人も参拝。突然、ひとりのおばあちゃんが、お二人に話しかけていた。
「あんたら、お参りの仕方を知ってるかぁ。知らんやろ、教えたろ。」と。
「あんなぁ、まず手を清めてなぁ。清めたらな…」と説明が続く。



傍でお話を聞いていると、おばあちゃんは20年近く毎日毎日欠かさず奉仕しているという。ご住職のお話を聞くより、おばあちゃんのお話のほうが楽しいかも知れない。それは、そこにあるのは難しいお経とか教義とかではなく、信徒の純朴な心だからだろう。そして、その純朴な心こそが今の時代でも地蔵信仰を支えている要因なんだと感じた。



「あんたも、そんなことばかりしてんと、お参りしとき!」
その言葉に慌てて参拝。「まずは手を清めてから」…今京都。


 

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天を仰いで思うこと どてまち 2009/07/27 12:00 am

てまち
もとは川岸の意。「あの先生はドテマチにいやはったんや」 豊臣秀吉が築いた「お土居」の跡に土手町通のような通り名がある。鴨川の西岸、北は上京区の丸太町通駒之町から南は夷川通に至り、中断して下京区の上珠数屋町通大工町から七条通の材木町に至る。ドテは土堤(どてい)から。マチは限られた区画の意味。ドテヤマは低い山で、このドテも同じルーツ。「ドテヤマで、赤土取ってこ」 (『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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を仰いで思うこと



高いつもりで低いのは教養 低いつもりで高いのが気位
深いつもりで浅いのは知識 浅いつもりで深いのが欲



厚いつもりで薄いのは人情 薄いつもりで厚いのが面の皮
強いつもりで弱いのは根性 弱いつもりで強いのが我


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

多いつもりで少ないのは分別 少ないつもりで多いのが無駄

ん〜、つくづく人間は厄介だ…と、天を仰いで思うこと。


 

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