rrbのブログ - 2010/03/26のエントリ
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天を仰いで思うこと けんけん 2010/03/26 12:00 am
けんけん
片足跳び。「ケンケンして遊ぼう」 「蹴る」に基づく。片足で跳び、頭に響く音感による命名。昔は成年による武芸の一種。敏捷と身のこなしが求められた。数人で行い、殿と呼ばれる武者が最後にした。武芸としての必要がなくなってからは子どもの遊びとして普及した。戦場で追いくる敵を最後尾でふせぐ「しんがり(殿)」は片足跳びの技に優れた者であり、身のこなしのよい殿御・勇者であった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
彼岸
「暑さ寒さも彼岸まで…と言いますが、今週は全体に寒の戻りのような寒さどすな。まぁ、この時季は三寒四温とも言いますんで、仕方ないことかもおへん」などと、ちょっと小噺の出だし調にしてみた。春の彼岸が過ぎたのに、今週は気温が低い。気温が低いだけではなく、ちょっとしたことがあってテンションも下がり気味。

さて、「暑さ寒さも彼岸まで」とは「冬の寒さは春分の頃まで、夏の暑さは秋分の頃までには和らぎ、凌ぎやすくなる」という意味の日本の慣用句。実際、気象庁などの観測データによれば、この慣用句の意味するところが概ね的を射ていることは推測可能だ。北日本と南日本では差はあり、年によって異なるが、概ね春分前までは降雪・積雪・凍結の恐れと真冬日・冬日になることもあり、また秋分前までは真夏日・夏日・熱帯夜になりうる。春の彼岸は概ね11月下旬から12月はじめごろの気温、秋の彼岸は概ね6月上旬から半ばごろの気温とほぼ同じであり、それぞれ秋から冬への過渡期、春から夏への過渡期の平均気温と等しくなる。

さらに、春分や秋分は二十四節気のひとつで、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる。秋は秋分の日(=彼岸の中日)を境に日が短くなっていき、秋の夜長に向かう。つまり、太陽の出番がどんどん短くなるので、暑さも和らいでいくというわけだ。春はこの逆。しかし、昼と夜の長さが同じだからといって、春分と秋分の気候が同じになるわけではない。暑さの名残で秋分のほうが10度以上も気温が高い。いずれにしても、厳しい暑さや寒さも目処がつく頃なので、「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるようになったというわけ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
さらに、「暑さ寒さも彼岸まで」の彼岸にはお墓参りに行く風習があるが、これは、春分と秋分の太陽に関係がある。仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を彼岸といい、その反対側の我々がいる世界を此岸(しがん)という。そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養をするようになったということだ。迷い、悩み、煩悩に惑わされている人間が、悟りの世界と通じるときだから、暑さ寒さやそれに伴う様々なつらさも、彼岸のころには和らいで楽になると考え、励まされていたのはないか…と、天を仰いで思うこと。
★関連記事はここ(←クリック)

片足跳び。「ケンケンして遊ぼう」 「蹴る」に基づく。片足で跳び、頭に響く音感による命名。昔は成年による武芸の一種。敏捷と身のこなしが求められた。数人で行い、殿と呼ばれる武者が最後にした。武芸としての必要がなくなってからは子どもの遊びとして普及した。戦場で追いくる敵を最後尾でふせぐ「しんがり(殿)」は片足跳びの技に優れた者であり、身のこなしのよい殿御・勇者であった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
彼岸
「暑さ寒さも彼岸まで…と言いますが、今週は全体に寒の戻りのような寒さどすな。まぁ、この時季は三寒四温とも言いますんで、仕方ないことかもおへん」などと、ちょっと小噺の出だし調にしてみた。春の彼岸が過ぎたのに、今週は気温が低い。気温が低いだけではなく、ちょっとしたことがあってテンションも下がり気味。

さて、「暑さ寒さも彼岸まで」とは「冬の寒さは春分の頃まで、夏の暑さは秋分の頃までには和らぎ、凌ぎやすくなる」という意味の日本の慣用句。実際、気象庁などの観測データによれば、この慣用句の意味するところが概ね的を射ていることは推測可能だ。北日本と南日本では差はあり、年によって異なるが、概ね春分前までは降雪・積雪・凍結の恐れと真冬日・冬日になることもあり、また秋分前までは真夏日・夏日・熱帯夜になりうる。春の彼岸は概ね11月下旬から12月はじめごろの気温、秋の彼岸は概ね6月上旬から半ばごろの気温とほぼ同じであり、それぞれ秋から冬への過渡期、春から夏への過渡期の平均気温と等しくなる。

さらに、春分や秋分は二十四節気のひとつで、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる。秋は秋分の日(=彼岸の中日)を境に日が短くなっていき、秋の夜長に向かう。つまり、太陽の出番がどんどん短くなるので、暑さも和らいでいくというわけだ。春はこの逆。しかし、昼と夜の長さが同じだからといって、春分と秋分の気候が同じになるわけではない。暑さの名残で秋分のほうが10度以上も気温が高い。いずれにしても、厳しい暑さや寒さも目処がつく頃なので、「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるようになったというわけ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
さらに、「暑さ寒さも彼岸まで」の彼岸にはお墓参りに行く風習があるが、これは、春分と秋分の太陽に関係がある。仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を彼岸といい、その反対側の我々がいる世界を此岸(しがん)という。そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養をするようになったということだ。迷い、悩み、煩悩に惑わされている人間が、悟りの世界と通じるときだから、暑さ寒さやそれに伴う様々なつらさも、彼岸のころには和らいで楽になると考え、励まされていたのはないか…と、天を仰いで思うこと。
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