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rrbのブログ - 2010/03のエントリ

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おやかまっさん いらだき 2010/03/21 12:00 am

らだき
適当な時間をかけないで炊くこと。「イラダキしたのでご飯がかたい」「苛炊き」のイラは苛立つ気持ちで炊くことから。イラヤキは「生焼き」のこと。イラツは江戸時代には自動詞として用い、まれに「気をいらつ」のように他動詞であった。せかせかして落ち着きのない人をイラチという。せっかちなこともイラチである。「えらいイラチやな、ゆっくりしいな(しなさい)」「イライラ」をヤキヤキとも。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

蔵物語(300)と羅漢








 

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今京都 おでーさん 2010/03/20 12:00 am

でーさん
父を呼ぶ公家ことば。デーは出居。もとは出て人を迎えるところ。玄関の意味が座敷や応接間を指すようになった。洛北八瀬では玄関から入って直ぐの間をデー、奥の間をオクマデという。出居にいる人の意味が公家社会では父の呼称になった。オデーチャンとも。皇室をはじめ上流の公家は父をオモーサンと呼ぶ。母は御所ことばでオターサン。対屋におられたことからの命名。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

忍の看板
「堪忍の看板」とは、「堪忍」という二文字を右から左に大きく横書きしたもの。昔、京都では業種に関係なく必ずといっていいほど、これが店先に表に向けてかけられていたという。一般に、堪忍といえば、文字で書いて読むとおり「耐え忍ぶ」とか「我慢する」などという意味であるが、京都ではこの看板は耐え忍んで商売をするといった意味ではない。お客に向かって「ごめんなさい」「堪忍してください」とお詫びの気持ちを表現するためにかけている。そのため、この看板は内暖簾の上とかお店の大黒柱とか、お客の一番よく目につくところにある。もしこれが商売人自身が我慢をしようとか、堪忍ということばを商いの基本にしようという意味であれば、わざわざお客に見せる必要などないし、帳場(事務所)などの片隅の店の従業員がいつでも見られるところにかけておけばいいことになる。



「出来ないものは出来ない!」「売りたくないものは売らない!」「自分の納得がいかないものは販売しない!」というこんな信念が、姿勢が、発想が、時にはお客を怒らせる結果にもなる。それで、この看板をかけてそのお詫びをしている。「当方の商売は、ただ利益を上げればよいと考えているのではない。売るからには責任と自信とがある。当方はこんな心を大事にして、そしてそれを誇りにして商売をしてるんどす。どうぞ堪忍しとくれやす」と看板にもの言わせている。こんな意味の看板はおそらく京都だけではないかと思う。「千客万来」などのように「お客様は神様」的なものはあるかもしれないが、「堪忍」というこんな看板を堂々と表に出して商売しているというのは、ある意味では京都商法の本質でもあると思う。



お客が、この看板をまず見て、どのような感想を持つかはわからない。しかし、京都人は「その店は間違いなく信用できる」と思える。これも京都の伝統のひとつだと思う。「えらそうなものの言い方をして、えらいすんまへんどした。堪忍しとくれやっしゃ」 趣きのあるこの看板も、今では探さなければ見つからないほど少なくなってしまった。それと同時に、都人の商売の仕方もどこかに影をひそめてしまったような気がする…今京都。
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おやかまっさん うちまき 2010/03/19 12:00 am

ちまき
米。施し米として米を撒くことから。神社ではウチマキとソトマキの区別がある。御所ことばに由来する。戦時中、尼門跡では「ウチマキの配給です」と言った。御所ことばではオヨネとも言うが、ウチマキよりもオヨネの方がていねいなことばである。米を入れる米びつはカラトという。かつて「カラトにお米まだあったかいな」と言った。唐櫃(からひつ)ともいう。米唐櫃の略である。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

の彼岸
寺社仏閣の街でもある京都。今は、春の彼岸の最中。お墓詣りの姿を見かける。と同時に連休でもある。寒さも随分と和らいだが、まだまだ肌寒い日が続く。この連休が終わったら、少々寒くても春物の服装に変えようかと思案中。入替をしなくてはならないのが面倒だ。四季があるのは嬉しいことだが、バタバタしている時は「季節による模様替え・衣替え」が面倒だ。



ちょっと前までは、なんとなくワクワク感もあったけれど、今季は「面倒」という気持ちが先に立つ。それだけ怠惰になったのか、はたまた疲弊しているのか。あるいは歳を重ねたということか。まぁ、人間、日に日に老いていくのだから仕方ないけれど、気持ちはいつまでも若々しくありたい…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


 

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今京都 うたう 2010/03/18 12:00 am

たう
音(ね)を上げる、投げ出す、疲れてしまう、悲鳴を上げる。「マラソン走ってウトーてしもた」「あんなに元気やったのにウトーてしもたな」 ウタウをウトーということが多い。鳥が歌うのウタウに基づく。鳴く、泣くの意味から転用。江戸時代の天保ごろから使用。事業が経済的に行き詰る、金策尽きて倒産するときにもいう。「いろいろ手を打ったけど、とうとうウトーてしもた」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

持ち
岡持ち(おかもち)とは、料理を食器ごと出前する際に用いる箱のこと。箱の(上面ではなく)前面に蓋が設置されたタイプの岡持ちでは、嵌め込み式の蓋を上下にスライドさせる機構を倹飩と言い、そのため倹飩箱(けんどんばこ)とも呼ばれる。岡持ちには箱そのものを手で持ち運ぶための「持ち手」が上部についているが、現代では岡持ちごと出前機に積み、オートバイやスクーターで運ばれることもある。



夜でも昼でもそば屋の岡持ちが行く。麺が伸びないように素早く。汁をこぼさないように丁寧に。塩梅が大切だ。京都市東山区では、今でこの風景が見られる…今京都。


 

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天を仰いで思うこと ぼったくり 2010/03/17 12:00 am

ったくり
無理やりに奪い取ること。価格以上の値段でふんだくること。「こんな売り方してほんまにボッタクリやんか」 動詞はボッタクル。「うまいこと言うてボッタクラレてしもた」 ブッタクル(打っ手繰る)から。タクルは引ったくる、荒々しく奪い取る。「やらずボッタクリ」というのは、人に遣る(与える)ことをしないで他人から物を奪い取り上げるだけのこと。ブッ・ボッは強意の接頭語。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

わせる



昨年末のことだけれど、テレビの深夜番組で聴いた歌が忘れられない。元オフコースの小田和正さんの呼びかけで集まった総勢21組34人だったか、による合唱だ。財津和夫さんや一青窈さん、スキマスイッチら一流ミュージシャンが勢ぞろい。歌は出演者の代表曲をメドレーでつなぐ大作で、演奏時間「22分50秒」がタイトルだったと記憶している。いずれも所属プロダクションの看板アーティスト。若手からベテランまで一家言ありそうな面々ばかり。話によると、企画段階で意見が衝突したという。番組は難航した実現までの数カ月も映し出す。舞台が幕を開けた。全員が力の限り歌った。ソロの後ろで懸命に声を合わせた。徐々に通い合う心が画面にあふれてくる。



考えてみれば、万葉の歌垣、キリスト教の賛美歌、仏教の声明など、人は歌を通して心を合わせてきた。太古には、音が言葉より早くコミュニケーションの手段となり、社会を形づくってきたと聞く。いま、遠く早く伝える道具を手にした私たちは、面と向かって伝えるのが苦手な状況となっているともいえる。触れ合い、助け合い、譲り合い。口にはしても照れや疑心が先に立ち、ついつい及び腰になってしまう。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

逆に憎み合い、ののしり合う事件は後を絶たない。「22分50秒」を歌い切った34人は、高揚した表情で何度も抱き合っていた。万雷の拍手は数分間、鳴りやまない。小田さんは「一生の中で一番長い拍手だと思います」と語るのが精いっぱいだったという。この瞬間、忘れかけていた「合わせる」喜びが十分に伝わったのではないか…と、天を仰いで思うこと。
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