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rrbのブログ - 2009/10のエントリ

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天を仰いで思うこと いきどしい 2009/10/07 12:00 am

きどしい
「急いで走ってきたさかい、イキドシイのや」息苦しい。呼吸が早くて切ない。「息労し(いきいたはし)」から。平安時代は「いきだはし」で、それが「いきどほし」となった。平安時代の辞書『色葉字類抄(いろはるいしょう)』に「イキダハシ」とある。「息」を活用させイキルという動詞を作った。意気込む、気張る、調子に乗るなどの意で、「あんまりイキルと長続きせんで」という。息遣いを荒くすることから、調子に乗り騒ぐことをいう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(76)
台風に思うこと



1957(昭和32)年に5000円札が、翌年には10000円札が続いて出た。これにより、聖徳太子は高度成長の顔となったといえる。都市には労働者が密集し、家電が普及し始めたのもこの頃だろう。そんな時代を未曽有の災害が襲う。1959年(昭和34)年9月26日、この日は今年と同じ土曜日。名古屋の地方気象台は、怪物のような台風15号に忙殺されていた。接近時の中心気圧は900ヘクトパスカルを下回り、夕刻、ほとんど衰えないまま紀伊半島に上陸。停電で情報が途絶える中、南からの暴風に乗って5mもの高潮が襲う。港の貯木場から流れ出た巨木が家々をつぶし、死者・不明者は名古屋市の低地を中心に5098人となった。この台風は4日後に伊勢湾台風と名づけられる。



調べてみると、阪神大震災まで、これが戦後最悪の天変地異だという。濁流にのまれ、闇に引き裂かれた家族は数知れず、多くの悲話が残る。翌年に出た『伊勢湾台風物語』(寺沢鎮著)には、ある家で5歳ほどの男の子の亡きがらが見つかった。傍らに水筒とリュック、財布には1枚の5000札が入っていた。親は「この子だけは」と手を尽くし、水にさらわれたらしい。初任給が10000円前後の頃である。こうして、中京地区の物づくりを支えるはずだった幾多の命が失われた、という話などが綴られている。一説によると、気象台は台風の進路を読み切り、早めに警報を出しており、行政が避難を徹底させれば死者は250人に抑えられた、との分析もあるらしい。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

「わが身は己で守るだけ」と、以後、電池式の携帯ラジオが普及したという。この「自助」が命を救うという防災の教訓は、半世紀を経ても色あせていない。
最近、専門家たちの間で危惧されているのが、伊勢湾台風なみの、いやそれ以上の台風の発生である。地球温暖化の影響で、伊勢湾台風以上の勢力をもつ台風を産み出すという。「超伊勢湾台風」と名づけ警戒している。
今、台風18号が日本に接近している。大きな影響が出なければいいが…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと けんずい 2009/10/05 12:00 am

んずい
間食。呉音で読むと、ケンズイとなる。昔、朝夕二食のころ、今の昼食に当たる中間の食事をケンズイといった。三食の時代になって、昼食と夕食の間に食べる軽食をケンズイと呼ぶようになった。地域でケンズイの意味はさまざま。棟上げの日に出る酒や食物をいったり、新築の家に贈る米や酒をいうところもある。大工職人に出す昼食と夕食の間のケンズイもある。間水・間炊・硯水と書くのは当て字。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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を仰いで思うこと



月のお話。月見(つきみ)とは、満月など月を眺めて楽しむことで、観月(かんげつ)ともいう。月見(お月見)とは、旧暦の8月15日と9月13日に月を鑑賞すること。前者の夜を「十五夜」、後者の夜を「十三夜」と呼び、十五夜の月は、サトイモなどを供えることが多いため「芋名月」とも呼ばれる。一方、十三夜の月は、栗や豆を供えることが多いため「栗名月」又は「豆名月」とも呼ばれる。どちらか一方の月見だけをすることは、「片見月」として嫌われたというから驚きである。十五夜の月を鑑賞する習慣は中国から伝わったというが、十三夜の月見は日本独特の風習であり、平安時代に貴族たちが集まって、月を見て詩歌を詠んだのが始まりといわれる。十五夜の月は「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」とも呼ばれる。繰り返しになるが、十五夜は、中国が始まりとされる。中国では中秋節として盛大に祝い月餅を作ってお供えする。この月餅が日本に伝わって、月見団子に変ったとか。十三夜は、日本独自の風習があり、ちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから、この夜の月を豆名月または栗名月という。江戸時代の遊里では、十五夜と十三夜の両方を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」と言って遊女らに嫌われた。二度目の通いを確実に行うために、十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習があった、ということだ。



さて、その月だが、国によっても扱いが違う。中国・日本では、月を愛でるという習慣が古くからあり、日本では縄文時代ごろからあるといわれ、平安時代ごろから中国から月見の祭事が伝わると貴族などの間で観月の宴や舟遊び(直接月を見るのではなく船などにのったりして水面に揺れる月を楽しむ)など歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。しかし、ヨーロッパでは満月は人の心をかき乱し、狂わせるものであるといわれ、月の女神が死を暗示したり、狼男が月を見て変身するというのは、その典型的な例。とても月を眺めて楽しむという気分にはなれなかったようだ。日本では『竹取物語』に、月を眺めるかぐや姫を嫗が注意する場面があるため、中国から観月の風習が入るまでは月に対する考えがヨーロッパと似ていたのではないかといわれている。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。また、俳諧では葉月十四日、十六日のことを特に「待宵(まつよい)」「十六夜(いざよい)」と称して、名月の前後の月を愛でるが、日本の関東以西では、この時期、晴天に恵まれる確率は低いというから、見ることができないかも知れない。その他に、月を愛でる証として、十五夜以後、月の出はしだいに遅くなり、十六夜(いざよい)の月は山の端にいざよい、十七夜(立待月)は立ち待つほどに出、十八夜(居待月(いまちづき))は座し居て待ち、十九夜(臥待月(ふしまちづき))は臥して待ち、二十日(更待月(ふけすまちづき))には夜半近くと遅くなる、という呼称があるところからも伺える。いずれにしても、月は太陽と同じように地球にとっては大切な存在。住んでいる地域や国が違っても、みんな「おなじ月をみている」のは確かだ…と、天を仰いで思うこと。

なじ月をみている
ステキな企画(←クリック)に参画。10月2日から出張。出張先の天気が良くないとの情報だったのでカメラは持って行かなかった。ところが、晴れ。あいにく携帯電話のデタルカメラモードでしか撮れなかった。


(10月2日の月。飛行機の中から)


(10月3日の月。出張先にて)

こういうことがあるから、やはりカメラはいつも持っていかないとダメね。大いに反省。そうそう、企画された方の「おなじ月をみている」はここ(←クリック)。


 

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天を仰いで思うこと うらんちょ 2009/10/02 12:00 am

らんちょ
裏の町。裏の町といっても同じ区域内である。「うちのウランチョのお菓子屋さんで、おかきを買うてきてんか」 裏通りの町という意味。上の町(かみのちょう…北の方にある町)をカミンチョと町をチョと短く言う。チョウとマチの読みに注意したい。河原町や木屋町はマチである。農村でも田の区画をマチという。市(いち)と町(まち)は江戸時代中ごろまで混用されていた。市も品物を売買する場所だけでなく人の多く集まる所であった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より

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方山話(75)
神々について思うこと



さて、昨日のある意味ショッキングなお話、「因幡の白兎」。このお話で、大黒様で知られる大国主の命が登場する。ショッキングな内容を説明ために、このお話のあらすじも引用掲載し、キーとなる部分には下線をすることにしよう。

[あらすじ] 八岐の大蛇を退治した須佐之男命にはたくさんの子供があり、子孫も増えました。その一人に大国主の命がいます。隣の因幡の国に、八上姫というたいへん美しい姫がいるといううわさがつたわってきました。神々は自分のお嫁さんにしようと因幡の国へ出かけて行きました。しかも、(1)旅の荷物を全部大国主の命に持たせて。大国主の命は大きな袋を肩に掛けて、後からゆっくりとついていきました。先を歩いていた神々は海岸にでてきました。そこには毛をむしり取られて赤い肌を出したウサギが死んだようにうずくまっていました。
「へんなウサギがいるぞ」「毛をむしり取られているぞ」 (2)仲間同士で笑いながら今度はウサギに向かって言いました。
「おい、ウサギよ。早く元の様な体にもどりたければ、海の水を浴びて小高い丘の上で風に吹かれて寝ていれば治るぞ。」
(3)ウサギは言われたとおりにすると、前よりも痛みがひどくなりました。泣きながら転がっていると、そこに大国主の命が通りかかりました。命はやさしく訳を聞きました。こういうことだったのです。
因幡の国でウサギたちが楽しく暮らしていました。ある日、松原で遊んでいると、突然恐ろしい音とともに洪水が押し寄せてきて、あたりのものを一辺に押し流してしまいました。ウサギ達はうまく逃げ出したのですが、一匹だけ波にさらわれてしまいました。やっとのことで隠岐島にたどりつきました。しばらくくらしているうちに、一人では寂しくなり帰りたいと思うようになりました。ある日、海でワニザメを見つけました。
「ワニザメさん、あなたの仲間は沢山いるようだけど、私たちの仲間とどちらが多いか比べっこしようよ。君が仲間を全部集めて、この島から気多の岬まで並べてごらん。私がその上を飛んで渡りながら数えてあげるよ。」
島から岬まで見事な橋ができあがりました。ウサギは数えながら渡っていきました。岬につくころには、ウサギは嬉しくて嬉しくて、言わなくてもいいことを言ってしまったのです。
「私は、岬に帰りたかっただけさ。お人好しのワニザメさん。」
それを聞いた最後のワニザメは、後一歩というところでウサギを捕まえ、毛をむしり取ってしまったのです。(4)ウサギが泣いているところに、神様達がやってきました。海の水を浴びて風に当たるように教えてもらい、その通りにしたところ、前よりもひどくなってしまったのです。大国主の命は気の毒に思いました。
「みんなワニザメをだましたおまえを反省させようとそんなことを教えたのかも知れない。これからうそをついてはいけないよ。」
「はい。」
「体を川の真水でよく洗いなさい。そして、がまの穂綿にくるまっているとすぐになおるよ。」
しばらくすると、ウサギの体には、元のようなしろい毛が生えてきました。ウサギは大国主の命に言いました。
(5)あの意地悪な神様は、八上姫をお嫁にもらうことはできません。八上姫は、大国主の命様を選ぶでしょう。」
大国主の命はまた大きなふくろを担いでみんなの後を追っていきました。 [終わり]



さて、下線部分を見ていくと、まず(1)は学校等で「いじめ」につながるとして禁止されている「荷物持ち」を神がしている。(2)は困っているウサギを助けることもなく、ウソをついて、(3)(4)のようになっている。これは、れっきとした「いじめ」ではないか!? 神がウサギをいじめている。ウサギがはっきりと(5)で「あの意地悪な神様」と指摘している。ここまできたら賢明な皆さんにはもうお解かりだろう。そう、人々に「神」として崇められている存在の方々が、実際は「いじめ」をしていたということにショックを受けたということ、だ。日本神話の読み聞かせのなかのひとつだったのだが、この内容には驚いた。他の話にも、現代でいう「いじめ」が数々存在している。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

そもそも、「神」とは何? たとえば、仏教であれば、「人を救済するために自ら修行を積む」という行為があり、その修行の成果で「仏」となり、人々を苦難から救済…と明確である。しかし、「神」は…。さらに「神々の戦い」などのお話もあり、「戦争」もしている。「神」とは、もっとも人間に近い存在なのか…などなど、考えていると無限ループに陥り、抜け出せなくなってしまいそうだ。別に神を冒涜しているわけではない。しかし、この件は、いつまでも、つきそうにないので、このあたりでお開きとしよう…と、天を仰いで思うこと。


 

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