rrbのブログ - 2009/10/27のエントリ
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今京都 へたばる 2009/10/27 12:00 am
へたばる
くたばる。疲れて倒れる。座り込む。尻をべったりとつけて座る。「マラソンの途中でヘタバッテしもて棄権や」 ヘタは「平らなさま」で、バルは「張る」の意味。ヘタル・ヘチャバルともいう。ヘタルは、べったりと平たく座ること。「風邪ひいてヘタッテる」「道端にヘタッテしもて動かれへん」 江戸時代の初めから使用し、物事を途中で投げ出す、弱るの意味でも広まった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
さかれんげ/安養寺 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月6日掲載)
衣料品店や土産物屋が並び、若者や修学旅行生たちでにぎわう繁華街の新京極。談笑しながら人々が行き交う蛸薬師通に面して、「さかれんげ阿弥陀(あみだ)如来」と刻んだ石碑がひっそりとたたずんでいる。

ここは古くから「女人往生」で信仰を集める安養寺。境内といえるかどうかわからないが、一歩入ると、まちなかの雑踏は嘘のように消える。静寂が包む2階の本堂には、阿弥陀如来像が安置されている。足元を目を凝らして見ると台座になっている蓮華の花が何故か下向きに咲いている。

話によると、平安後期、旅の老僧がひと晩の宿を請うて安養寺を訪れた。老僧は「仏を作る」と言う。寺に居住していた安養尼が材木を渡すと、老僧は部屋に引きこもった。夜中、のみやつちをたたく音が響く。朝、安養尼が部屋を訪れると、老僧の姿はなく光明を放つ阿弥陀如来像が出来上がっていた。安養尼は感謝し、仏師に蓮華の台座を作らせたが、仏像を置くたびに台座にひびが入る。安養尼は悩み、春日権現に祈ると、あの老僧が現れる。「この仏は女人往生の証拠仏。八葉の『さかれんげ』を台座にしなさい」。早速、さかれんげの台座を作り、無事に仏像を安置することができたという。

昔の習俗に基づいた信仰では、往生の際、男性は心の中で上を向いたハスの花を咲かせるが、女性は下向きに咲かせると言われ、女性は虐げられた存在だった。反対に、阿弥陀の平等思想は男女の差別なく往生できることを教える。さかれんげと阿弥陀如来を象徴的に見せることで、分け隔てなく救われることを分かりやすく伝えたのだろうと予想されている。

また、安養寺は洛陽六阿弥陀巡拝の一つで、無病息災を願いながら寺巡りを楽しむ中高年が訪れる。その一方で、数珠をかたく握りしめ、一心不乱に阿弥陀如来にすがる若い女性もいるという。時が流れても、その時代に応じた悩みと、『救われたい』という祈りがあることに変わりはない。人と人との絆が弱い現代にあって、今の女性は一見幸せそうに見えても、苦しみは増しているのではないだろうか…。

安養寺は京都市中京区新京極通蛸薬師角。午前7時から午後8時半ごろまで、蛸薬師通に面した薬医門が開いており、2階の本堂に安置されている阿弥陀如来像を参拝することができる。安養尼は恵心僧都(えしんそうず)の妹。安養寺には、弁財天や北向地蔵尊も安置されている…今京都。

くたばる。疲れて倒れる。座り込む。尻をべったりとつけて座る。「マラソンの途中でヘタバッテしもて棄権や」 ヘタは「平らなさま」で、バルは「張る」の意味。ヘタル・ヘチャバルともいう。ヘタルは、べったりと平たく座ること。「風邪ひいてヘタッテる」「道端にヘタッテしもて動かれへん」 江戸時代の初めから使用し、物事を途中で投げ出す、弱るの意味でも広まった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
さかれんげ/安養寺 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月6日掲載)
衣料品店や土産物屋が並び、若者や修学旅行生たちでにぎわう繁華街の新京極。談笑しながら人々が行き交う蛸薬師通に面して、「さかれんげ阿弥陀(あみだ)如来」と刻んだ石碑がひっそりとたたずんでいる。

ここは古くから「女人往生」で信仰を集める安養寺。境内といえるかどうかわからないが、一歩入ると、まちなかの雑踏は嘘のように消える。静寂が包む2階の本堂には、阿弥陀如来像が安置されている。足元を目を凝らして見ると台座になっている蓮華の花が何故か下向きに咲いている。

話によると、平安後期、旅の老僧がひと晩の宿を請うて安養寺を訪れた。老僧は「仏を作る」と言う。寺に居住していた安養尼が材木を渡すと、老僧は部屋に引きこもった。夜中、のみやつちをたたく音が響く。朝、安養尼が部屋を訪れると、老僧の姿はなく光明を放つ阿弥陀如来像が出来上がっていた。安養尼は感謝し、仏師に蓮華の台座を作らせたが、仏像を置くたびに台座にひびが入る。安養尼は悩み、春日権現に祈ると、あの老僧が現れる。「この仏は女人往生の証拠仏。八葉の『さかれんげ』を台座にしなさい」。早速、さかれんげの台座を作り、無事に仏像を安置することができたという。

昔の習俗に基づいた信仰では、往生の際、男性は心の中で上を向いたハスの花を咲かせるが、女性は下向きに咲かせると言われ、女性は虐げられた存在だった。反対に、阿弥陀の平等思想は男女の差別なく往生できることを教える。さかれんげと阿弥陀如来を象徴的に見せることで、分け隔てなく救われることを分かりやすく伝えたのだろうと予想されている。

また、安養寺は洛陽六阿弥陀巡拝の一つで、無病息災を願いながら寺巡りを楽しむ中高年が訪れる。その一方で、数珠をかたく握りしめ、一心不乱に阿弥陀如来にすがる若い女性もいるという。時が流れても、その時代に応じた悩みと、『救われたい』という祈りがあることに変わりはない。人と人との絆が弱い現代にあって、今の女性は一見幸せそうに見えても、苦しみは増しているのではないだろうか…。

安養寺は京都市中京区新京極通蛸薬師角。午前7時から午後8時半ごろまで、蛸薬師通に面した薬医門が開いており、2階の本堂に安置されている阿弥陀如来像を参拝することができる。安養尼は恵心僧都(えしんそうず)の妹。安養寺には、弁財天や北向地蔵尊も安置されている…今京都。

