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rrbのブログ - 2009/06のエントリ

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天を仰いで思うこと うさる 2009/06/05 12:00 am

さる
ありあまる。流行がすたれるの意。失せてしまうから。「この品物はどこの店にもウサルほどある」「去年はやったのに、もうウサってしもた」のように流行遅れの意味もある。ハヤリウサリは流行し、廃れること。江戸時代の『両京俚言考(りょうきょうりげんこう)』には「うさり、うさる流行物のふ(不)流行に成りたるをいふ。
全盛なりし人気も失せ去りたりといふ。うささりの略語ならむ」とある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(53)
お茶について思うこと



 ♪夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘じゃないか♪
のお茶の話。立春から数えて八十八日目にあたる日で、だいたい5月2日頃。お茶は栄西禅師(1141〜1215年)の『喫茶養生記』に「茶は養生の仙薬なり、人の寿命を延ばす妙術なり。」と記されているとおりで日本人の食生活の核となって今日まで私達の心身を養ってきた。今や世界一の長寿を誇る日本。その背景には「日本型食生活」があるといわれている。国際的にも高く評価されている「日本型食生活」に欠かせない飲み物が緑茶。緑茶に含まれるカテキン類はガン予防、コレステロール・血圧の調整、血糖の上昇抑制、血小板の凝集抑制、抗アレルギー・抗酸化・抗菌作用がある。カフェインは中枢神経を興奮、睡眠防止、強心、利尿、抗喘息作用がある。テアニンには精神をリラックスさせる作用、アルツハイマー防止作用がある。ビタミン成分には痩せる効果がある。



また中国では三千年前に著されたといわれる『神農本草経』(最古の医薬書)には「神農は一日に百草を嘗め、七十の毒に当たり、これを茶で消し…」という記載があり、解毒の作用があることが古くからわかっていた。明時代の薬物書『本草綱目』には「茶葉は、頭にできるオデキ、腫れ物を治し、利尿・通便し、痰や熱を除き、乾きを止め、眠気を覚まし…」と記載されている。ただし適度でないと「冷やす作用が強いので、飲み過ぎると脾・胃が冷えて、元気を損じ、腹痛、嘔吐など種々の害をもたらす」という事実もある。お茶をはじめ苦味を持つ食品には「体を冷やして熱を冷まし、血を止め、痛みを鎮め、神経を和らげ、利尿作用によって体内の余分な水分を排泄する、苦汁(ニガリ)が豆腐を固めるように軟らかいものを固める作用がある。苦味の食べ物は大変少なく、毎日欠乏しないように食物で摂取するのは容易ではない。緑茶で補う。昔の人はお茶を飲むときに必ず梅干と黒砂糖をお茶受けにしていた。つまり、五味(甘い、辛い、苦い、酸っぱい、塩辛い)の調和だ。
 梅干…塩と赤紫蘇でつけるので、酸っぱい、塩辛い、辛いの三味一体
 お茶…苦い
 砂糖…甘い
で五味の調和をとっていたということだ。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

さて、日本茶に比べて中国茶、つまり烏龍茶との違いを少し。決定的な違いはアミノ酸の量だという。日本茶、特に玉露や煎茶にはアミノ酸が豊富に含まれている。したがって、お茶を飲みすぎると満腹感となる。一方、烏龍茶は玉露や煎茶よりはアミノ酸が少ない。烏龍茶をたくさん飲んでもお腹がタップタップしないのはそういうところにある。さらに、カフェインの量も玉露や煎茶より少ない。簡単に表現すると、玉露や煎茶などはいくら熱いお茶を飲んでも身体を冷やす効果があり、烏龍茶は逆に体内を燃焼させる効果がある、ということだ。ダイエットに烏龍茶がよいといわれている要因もこの燃焼である。これからの季節、冷房などによる身体の冷えには注意したいところだ。烏龍茶で冷え予防、これが一番の効果かもしれない。いずれまた、お茶講釈をしてみたい…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 そやさかい 2009/06/04 12:00 am

やさかい
そうだから。ソヤはソーヤとも。中世にはソーダ、江戸時代にソージャ、幕末ごろソーヤになった。ソヤナー(そうだな)、ソヤテナ(そうだってね)、ソーカテ・ソヤカテ(それでも)、ソヤガナ(そのとおりだ)、ソヤナイ(そうではない)のように言う。サカイのもとはサケニ。サケニは理由を示す「けに」に「さ」をつけたもの。シケー、スケーなどとも用い、「さ」は故に、の意。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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茂川と鴨川と加茂川 (旧フォトブィレッジ 2007年6月27・28日掲載)
「北大路から鴨川の上流を…」と書くと「鴨川は間違い、正しくは賀茂川では?」とよく知っている人から指摘されそうだ。京都盆地に美しくYの字を描いて流れる川は、東に高野川、西に賀茂川。その二つの川が下鴨神社の南の三角州で合流すると、その後は鴨川と漢字を変えて、三条、四条へと流れていく。


(写真左手が賀茂川、右手が高野川。ここが合流地点となり、鴨川となる。)

川は京のまちと水のシンボル。それだけに賀茂川も鴨川も頻繁に使用されるからややこしい。ところが、ここに意外に事実がある。京都府の土木建築部河川課によると、川を管理する国も京都府も京都市もすべて「鴨川」で統一しており、「賀茂川」の字は一切使わないという。京都府の河川標識は、なるほど、表記は「一級河川 鴨川(加茂川)」。ご丁寧にカッコ付きで記載されている。橋の欄干には「賀茂川」の文字が…。裏側はひらがなで「かもがわ」と書いてある。





しかし、「鴨川」に統一するという漢字表記はあくまでも河川管理上のこと。鴨川と賀茂川を使い分けることで便利に暮らしているのも事実である。全て「鴨川」と表記するより、鴨川と賀茂川のほうが味わいがあるように思う。四季のある日本では使い分けをしたほうがいいような気がする。
実は、さらにもうひとつ気になることがある。それは「加茂川」という第3の表記。現在も京都バスに「加茂大橋」というバス停の名称が残っている。「加茂街道」があれば、「加茂川中学校」もある。「加茂川」という表記はいつどのようにして生まれ消えていったのか、この謎はこの先の課題としておきたい。ただ、先の「加茂大橋」というバス停の実際の橋の名は「賀茂大橋」となっている。







どの地域でも主となる川沿いには見られることだと思うが、この鴨・賀茂・加茂川においても、様々な光景が見られる。自転車で通り過ぎる人、散歩する人、ジョギングをする人、語らう人…様々な光景が目に飛び込んでくる。三味線を練習する人、尺八を練習する人、バイオリンを練習する人…川の水音に混じり、様々な楽器の音や人の歓喜の声が聞こえてくる。この川沿いから、世界に通用するカリスマが誕生するかも知れない。だから「かも」川。なんて寒いことを言うつもりは全く無い。(って、言ってる…アホや)







 ♪ やさしい雨の 祇園町(ギオンマチ)
    加茂の流れに写る あなたの姿
    あれは初めての恋
    見詰め合う 見詰め合う瞳
    あなたとふたり
と、南こうせつとかぐや姫の歌では「加茂」が使われている。「鴨」の一文字で統一表記をするのではなく、その場に応じた使い分けのほうが情緒があると思う「かもがわ」のお話。



それにしてもこの川沿いは、夜のトバリが降りる頃からカップルが等間隔で座る。誰が整理するわけでもないのに等間隔。それぞれの組が主役で、ふたりの世界へ。いつの日か、その主役になる日が来るのか…今京都。


 

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天を仰いで思うこと あがる・さがる 2009/06/03 12:00 am

がる・さがる
京都旧市内の通りを北に行くのをアガル、南に行くのをサガル。もと、京都御所へ向かうことがアガルであった。南北の河原町通と東西の四条通の交差する地点は河原町四条であるが、居住地が河原町通にあって河原町四条の北にあれば河原町四条上ル、南あれば河原町四条下ルと表示する。四条通に居住地があれば四条通を先にして四条河原町東入ル、西入ルのように言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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のネタ雑学(42)
パンは焼けば固くなるのに、お餅は焼くと柔らかくなるのはなぜ?



パンにしてもお餅にしても、でき立ては柔らかくてホカホカでこたえられない。家庭用パン焼きを購入して毎日パンを焼いていたら、つい食べ過ぎて太ってしまったという話もある。そんなパンも時間が経てば固くなる。固くなったお餅は焼くとまた柔らかくなるが、パンは固くなるばかり。その違いはどこにある。



パンもお餅も、主成分はデンプンを加熱してできたアルファデンプン。でも小麦粉のデンプンには約24%のアミロースが含まれていて、餅米にはほとんど含まれていない。アミロースが少ないほうが、アルファデンプンの老化は少ない。また、パンのほうが空気を含む率が高いので水分が逃げやすくなっているのも理由のひとつ。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

いずれにしても、ラップなどにくるんで冷蔵庫に保存しておけば、パンなら数週間、お餅なら1年はおいしく食べられるという。保存の仕方も重要なんだなぁ…と、天を仰いで思うこと。
★前回はここ(←クリック)


 

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今京都 こうとな 2009/06/02 12:00 am

うとな
「あそこの奥さんコートナ着物着て、ようお似合いどすな」「ええ柄やけど、あんたにはちょっとコートナ色やと思います」 地味、上品な、の意。ハンナリと対照的。「会社の偉いさんやのにコートニ暮らしてはる」 コートニに質素に。公道に基づく。公道は質素で堅実、派手でないことの意味で、もとは世間一般に通ずる道理。京の庶民は目立ち過ぎる色を避けてコートナ渋い色彩を懐かしみ、親しむ傾向がある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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席と懐石 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月9日掲載)
「○○名様のご予約ですね。お料理はカイセキ料理になりますが、よろしいでしょうか?」 さて、この場合のカイセキは「会席」? それとも「懐石」?



現実に現在の京都の料亭で「会席料理」と「懐石料理」の区別は殆どないという。京料亭の料理を見ても懐石料理があれば、会席コースもある。昼会席があれば昼懐石もある。懐石のほうが精進料理に近いかといえばそうでもないらしい。調べてみると、この二つはもともとは違った存在のもの。「会席」は「懐石」にはじまり、「懐石」はそのもとは「温石(おんじゃく)」や「薬石(やくせき)」にあったという。



話は、京料理の贅を尽くした世界から、釈迦の時代へと変わる。釈迦の時代の修行僧は一日一食、午前中の食事だけだった。空腹に耐えかねたときは、温めた石、すなわち「温石」や「薬石」を布で包んで腹に当て、飢えや寒さをしのいだという。腹の底から温めることで、体温の低下を防ぐことができるということだ。後に修行僧の食事は朝食と昼食の二食になるが、それ以外にこの「温石」や「薬石」が夜食の粥や簡単な夕食、すなわち点心(てんしん)をさすようになる。



「懐石」という言葉は、懐に入れる石、つまり「温石」や「薬石」で腹を温める程度の軽い食事という意味。11世紀、北宋の詩人・蘇軾(そしょく)が点心を供するのに「懐石」という言葉を最初に用いたともいわれている。これを中国の禅僧が、お茶とともに京の禅寺に伝えたものだという。こうして京での茶の湯の発展とともに、お茶をもてなす前の温石のような食事ということで「茶懐石」という言葉が使われはじめる。



一方、「会席」は「懐石」から派生して、江戸時代には連歌や俳諧の席をさした。これらの席は料亭で行なわれることが多く、またその顔ぶれは茶席も連歌や俳諧の席も、同じ人が多い。料亭が「懐石」あるいは「俳席」と区別して「会席」の看板を上げるようになったとか。その席で、もてなす料理は当初は「懐石」のように簡素を旨としていたものが、しだいに宴席用の上等な料理となって、現在の「会席料理」にいたっているという。



京都には仕出し専門の料理屋があるのが特徴。それらは本格的な茶懐石を扱うお店、会席料理を専門に扱うお店などと分かれており、目的に応じて使い分けることができる。しかし、一般にお店を構える料亭で、メニューとして掲げられた「会席料理」と「懐石料理」にはそれほどの差は見当たらない。文字が違うのだから違いがはっきりしているほうが気持ちがいいのだけれど。いずれにしても「会席」と「懐石」は京で発展したのだが、現在では区別がないのも事実というお話…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。


 

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天を仰いで思うこと しかつい 2009/06/01 12:00 am

かつい
しかつめらしい、大人らしい、まじめくさったの意。「お子さんもシカツイこと言わはるようにならはったな」「ややさんも六ヶ月になるとシカツーならはって」「しかつべらし」の語幹シカツの形容詞化。江戸時代寛政ごろから使う。「しかつべらし」は「然りつべくあらし」の略でもっともらしいこと。浄瑠璃に「さても堅い御家老の、折々しかつい御異見に」とある。成人ぶりを褒めたり、皮肉を込めても言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

無月。今日から6月。水を田に注ぎ入れる月の意だそうだ。そろそろ蛍も飛び交う季節がやってくる。夏の香りが、もうそこまでしている。

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方山話(28)
パソコンから思うこと (エキサイト 2008年3月26日掲載)



毎日当たり前のように使用しているパソコン。同機種であったとしても、他人のものと自分のものとではキーボードを操作したときに違いがあり、自分のではないとわかる。それほど身体の一部となっているといってもおかしくはない。さて、このパソコンで必ず一度は話題となるのが、「かな入力」か「ローマ字入力」か。以前に職場でも話題になったのであるが、「ローマ字入力」のイメージがあるそうだが、実は「かな入力」派。「ローマ字入力」の「無駄」が納得できないというのが最大の理由。「ローマ字入力」の場合、「な」と打つのに「n」「a」と打つことがどうも納得できない。「かな入力」であれば「な」の一押しで済む。「じ」とかになれば「z」「i」も「j」「i」もある。ややこしいと感じてしまう。「じ」は「し」と「゛」でいいではないか。「じ」と「ぢ」の違いも「かな入力」では「し」「゛」で「じ」になるし、「ち」「゛」で「ぢ」となるから一目瞭然。「お」と「を」もそうである。



慣れというのは不思議で、かなの配置を自然と覚えている。かといってローマ字の配置がサッパリかというとそうでもない。意識の切り替えによって、キーボードの表面に印字されている文字の浮かび上がり方が違う。英文入力も、かな入力も、ローマ字入力もできるのであるが、日本語を入力するには「かな入力」が断然速い。英文を入力するのも「かな入力」とほぼ変わらない。「ローマ字入力」となると頭で考えながら打たないとダメで、多少時間がかかる。「器用なのか、不器用なのか、ようわからん」といわれたが、まさにその通りだ。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

パソコンは便利だが、注意したいことがある。それは、最近の傾向によく見られることだが、「打つことができても、書くことができない」という落とし穴。文字を入力し、変換すると一瞬にして候補の漢字が表示される。後はその中から探せばよいだけだ。この動作を繰り返していると、イザというときに字が書けなくなっている。「あれっ、ここに点が必要だったっけ?」となる。パソコンは、漢字の変換も便利だが、「打つことができても、書くことができない」ようにならないためにも、時には手書きも心掛けたいものだ…と、天を仰いで思うこと。


 

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