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天を仰いで思うこと なおす 2009/06/15 12:00 am

おす
「この本をもとのとこへナオシといて」 正常の位置に戻す、直すの意味から。もとの場所にしまう時に使う。東京のシマッテオケを京都ではナオシトキ。訂正するの意味でも使用。「この文字をナオシといてんか」「たんすにナオス」は「保管する」の意。御所ことばでは、「おまん(饅頭)を三つにナオス」と「切る」の意味で用いる。食物を細かく切るのを御所ではハヤスと言った。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(56) ちょっと気になる「ことば」の話
こちら〜になります



ファミリーレストランなどで「こちら和風セットになります」といった言い方が聞かれる。この表現は文法的には正しいが、話し手の伝えたいことと聞き手の期待することが食い違ってしまうため、不自然に感じられる。「なる」という動詞は『国語辞典』では「人為的ではなく、自然のなりゆきで推移変化して別の状態が現れる意」と説明している。「こちら和風セットになります」がお客の側からして不自然に感じられるのは、この非人為的と新たな状況の出現のふたつが場面にそぐわないからだろう。
「なる」の表わす新しい状況の出現には、実はふたつの場合がある。ひとつは、もの自体が変化することを表わす「なる」。子どもの歳を聞かれて「この子は来月で三歳になります」とか「先月で三歳になりました」とか応えるのがこの用法で三歳への変化を表わす。
一方、相手の予想から外れるかもしれないが、手順に添って詰めていくとこうならざるをえないという内容を伝える場合にも「なる」が使われる。既に三歳になった子どもについて、「この子は(もう)三歳になります」と答えることもできるが、これは子どもが三歳に変化するのではなく、もっと小さいだろうと考えているであろう相手に、ちゃんと教えると「三歳」という内容が導き出されることを伝えている。



「こちら和風セットになります」という言い方も「こちらが和風セットに変化する」ことを表わすのではなく、「お客の予想から外れるかも知れないが」という断りを添えて、「こちらがその和風セットである」ことを表わしたものである。自信満々に提供するのではなく、「これで、はたしてお客様のご期待に添えるかどうかわかりませんが」という謙虚な姿勢を示すこともできるし、仮に、客の予想から外れたとしても、その客だけ特別扱いしているのではなく、それが既定の「和風セット」であることも示される。店側としては、客に気配りをして、「こちら和風セットです」よりも畏まった表現として「こちらが和風セットになります」を用いている。
しかし、客の側は、自分が注文したメニュー通りのものが提供されることを期待している。そのような場面で、わざわざ「なる」が用いられると、何か、新しい状況が生じるのかと考え、提供された品が「和風セット」に変化するのか、それとも、自分の予想から大きく外れたものが出されるのかなどと考えをめぐらす。それなのに自分が注文した「和風セット」がそのまま出てくるので不自然な感じがする。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

また「なる」は「する」との対立の中で、非人為的な推移を表わす。教員が勝手に「休講にした」らに、「休講になった」というと不誠実に感じられる。前の「もう三歳になります」という表現の場合には、「子どもが三歳である」ことは非人為的な現象によってもたらされたものだが、「和風セット」の内容は、店側が人為的にそのように「した」結果である。客の立場からすれば、客の予想よりも劣るものを提供することになるかもしれないと、店側が感じているのなら、そうならないように対処すればよいのに、そうなってしまうのだといった態度で済ませようとするのは、ちょっと無責任な感じを受けるかもしれない。「〜になります」は「ございます」が用いられなくなったことを受けて、「〜です」よりも丁寧な言い方をしようとして、「〜でございます」の代わりに用いられる傾向もある。頭から「〜になります」は右のような表現であると思って使う前に、まずは「〜になります」は右のような表現であることを考えて、場面にあった使い方をすることが必要なのではないだろうか…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)


 

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今京都 どんつき 2009/06/14 12:00 am

んつき
突き当たり。「そこのドンツキを右へ行って三軒目のおうちどす」 どんと突き当たったところの意。ドンケツは最後、びりのことで「いつもドンケツ走ってたんや」 ドンは罵りの接頭語。ケツは尻、もとは穴の意味。また、抜け路地のことをズシという。京都には白梅図子(しらうめずし)・定家図子(ていかずし)のような地名も残る。「物類称呼」には「辻子(ずし)京にていふ。江戸大坂ともに、ろじといふ」とある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(265)




 

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今京都 おいど 2009/06/13 12:00 am

いど
尻。御所ことばでオイドという。室町時代から使用。「いど」の「い」は居る、座る所の意。祇園花街の京舞では「オイドおろして、きびすをあげる」のが基本的姿勢である。オイドカケは尻からげ。女性が着物の裾を帯の後ろにからげること。「オイドカケせんと裾が濡れますえ」 以前は、相手の和服の裾をまくって戯れる子ども遊び「オイドマクリ」がよくはやった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月15日掲載)
京の七野(ななの)とは、紫野(むらさきの)、北野(きたの)、平野(ひらの)、上野(うえの)、蓮台野(れんだいの)、内野(うちの)、そして七つめが〆野(しめの)。最後の〆野は萩野(はぎの)、または御栗栖野(おぐるすの)を入れる説もある。京の北に広がる野の総称で、平安期以来の朝廷の遊猟地、また大宮びとが若菜や草花を摘み、日がな遊んだ清浄な野であったらしい。



大徳寺あたりの紫野、北野天満宮の北野、平野神社のある平野は現在も地名にあるのでわかりやすい。上野は今宮神社の東、上野街道の名が残る。蓮台野は上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)や千本えんま堂が葬送地の名残をとどめている。船岡山の西方向、紙屋川までの一帯。内野は平安京の大内裏あたりで、いま「大極殿(だいごくでん)」遺跡の碑が建つ千本丸太町上ル西入ルの公園は内野児童公園である。しかし一般に内野といえば、かつて北野の森が下ノ森まで広がっていたその南側。平安京の中心が次第に東に移動したために大内裏は西からさびれて野になったのだという。



西陣の一角に櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)というところがある。京の七野といえば必ず登場し、一説には七野を祀る総社だといわれている。奥まった地で普段は訪れる人もいない。しかし、このあたりが賀茂社(かもしゃ)に仕える斎王(さいおう)が潔斎した賀茂(紫野)斎院のあった場所だという。七野神社は斎院跡を社にしたものとみられている。



賀茂斎院とは、下鴨・上賀茂両神社に奉仕するための斎王に選ばれた未婚の皇女が身を清めて住まわれた常の御所。約150m四方の広大な敷地は内院と外院にわかれ、ほぼ500人の官人や女官が仕えていたという。葵祭になると、斎王の行列はここから大宮通を通って、本行列に加わったので「斎王行列発祥の地」とされている。810(弘仁元)年、嵯峨天皇の皇女が初めての斎王に選ばれてより約400年間、この紫野の地に賀茂斎院は続いていたが、1212(建暦2)年、後鳥羽天皇皇女を最後に廃絶した。



葵祭では近年、その年に選ばれた斎王代が斎院跡である七野神社にお詣りすることもはじまっている。葵祭のヒロインは昔が斎王なら、今は斎王代。つまり、かつて未婚の皇女がつとめた斎王の役を、代理で果たすのが「斎王代」というわけだ。



京の七野から、七野神社、賀茂(紫野)斎院、葵祭の斎王代へと思いがけないつながりをもってしまった。知らなければ立ち止まることもない七野神社と葵祭が一本の線でつながるとは不思議な縁だと思った…今京都。


 

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天を仰いで思うこと だいじない 2009/06/12 12:00 am

いじない
貴重な、この上なく大切な。「ダイジナイモンお借りして、おおきにありがとうさんでした」 形容動詞ダイジナ(大事な)にイを付けて形容詞化。タイセツナイとも。「タイセツナイお金や、貯金しといて」 ダイジナイは、差し支えない・たいしたことではないの意味にもなる。「かまへんがな、コップが割れたくらいでダイジナイわ」 一般にはダンナイを使い、「こんなにいただいてダンナイのんか」と。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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のネタ雑学(43)
酢を飲むと体が柔らかくなる?



バレエなどを習っていて体が硬いと「酢を飲めば柔らかくなる」といわれ、必死に酢を飲んだという話を聞く。しかし、本当に効果があるのだろうか。



残念ながら、答えはノーである。酢には、腐敗を防ぐこと、人によっては食欲を増進させる効果はありますが、栄養学的にいっても科学的にいっても、体をやわらかくする効果はない。体が柔らかい硬いというのは骨の固さではなく、関節の柔らかさであるから、関節を柔らかくするトレーニングをするほうが効果がある。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

「柔らかくなるんだ」と信じて飲んでいれば、心理的効果は期待できるかもしれないという。信じるものは救われるということか…と、天を仰いで思うこと。
★前回はここ(←クリック)


 

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今京都 ぶっちゃけたこと 2009/06/11 12:00 am

っちゃけたこと
「ブッチャケタコト言うと」は本当のことを言うとの意。ブッチャケは「打ち明ける」に基づく。入れ物に入った物をひっくり返すのもブッチャケル。ブッチャケバナシは「あからさまな話」 近年、「ブッチャケ」だけで若者が使用を広めた。「ブッチャケせこいな」は高齢層なら「ブッチャケタコト言いますと、ずるいことどすな」「打つ」を「ぶつ」というのは多地域に見られる。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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京・下京 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月2日掲載)
左京・右京のお話をしたら、当然、次は上京(かみぎょう)・下京(しもぎょう)のお話をしなければならない。昔の京都は上京と下京であった。この境界線は現在の二条通となる。平安京はもともと左京(さきょう)・右京(うきょう)の区画だったが、右京が衰退し、左京が中心になるにつれ、京の町の形は次第に南北に長いものとなっていった。これを二分して、御所のあるほうを「上(かみ)」、南のほうを「下(しも)」とすることは、そのころに既に始まっていたようである。



次のきっかけは室町幕府の三代将軍・足利義満が、烏丸と室町の間、今出川と上立売(かみだちうり)の間に「花の御所」を開いたことによる。花の御所の周辺に公家・武家が集まるようになり、それを対象とした御用商人、有職(ゆうそく)技術者などが移り住んで、御所の北にあたる上の地域が広がっていった。これに対して、下京は商家、職人のまちといった色彩を帯び、町衆の強い結束力を育てていった。このころから「上・下」の対比が広く用いられるようになり、やがて「上京・下京」の呼び名がおびただしく登場するようになる。



16世紀、上京には120町、下京には66町の町内があったという。そして、それぞれの公会堂の役目をしたのが、上京では一条革堂(いちじょうこうどう)で、下京では六角堂(ろっかくどう)である。いずれも現在の中京区となる。これらのお堂では、最高の意思決定機関である合議機関の会議も開かれた。下京の六角堂で、町衆により鐘が寄進され、兵乱や一揆、天災などがあれば早鐘を撞いて町中に知らせたり、祇園祭の山鉾巡行のくじ取りなども行なわれた。この「上京・下京」は、明治維新後も変わらず、大正から昭和初年まで長らく続くことになる。中京・左京・東山区が生まれて5区になったのは1929(昭和4)年のこと。ついで1931(昭和6)年に右京・伏見区が誕生。上京・下京より北・南区が分かれたのは1955(昭和30)年、山科・西京区ができて現在の11区になったのは1976(昭和51)年であった。



「上・下」は京都においては方角をも示す。「上(かみ)の方へ」といえば「北の方へ」という意味になる。京の町には独特の地域的概念があって、皆が暗黙の了解のもと、上京・下京をきわめて正確に使い分けている。
「どちらへいきはります?」
「下(しも)のほうへ」
ガソリンスタンドなどで車を誘導される時の何気ない会話にも「上京・下京」的世界に生きていると実感することがある…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。


 

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