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rrbのブログ - 2009/05のエントリ

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今京都 よさり 2009/05/14 12:00 am

さり
夜、晩のこと。平安時代から使用。『枕草子』には「十四夜さり、雨いみじう降れば」とある。かつて、夜分のことを「よさりつかた」といった。サリは古語の「さる(去る)」から。「〜になる、〜が来る」の意味。「昼は忙しいさかいヨサリお宅へ寄せてもらいますわ」「ヨサリ遅うならんうちに、はよ帰っておいで」京都北部の伊根ではヨーサリ、南部の南山城ではヨサイというところもある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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輪寺/電電宮 (※旧フォトヴィレッジ 2007年9月28日掲載)





山門をくぐると、右手に電電塔があり、前方には青々としたモミジのトンネルと石段が続く。山腹の古寺の情緒を感じながら歩くと、小さなほこらの鳥居に「電電宮」とある。どこか現代的な響きに、思わず足を止めた。観光客でにぎわう渡月橋の近く、法輪寺の境内に、電電宮は鎮座する。祭られている電電明神は、珍しい電気の神様。情報通信やソフト開発の技術者、IT(情報技術)企業の管理職といった電気に関係する幅広い人に信仰されている。祈願のお札には「通信ネットワークの安定運用」「衛星の無事運行」などと書かれ、最先端技術の成功も最後は「神頼み」という切実な思いが伝わる。





由来をたどると、古く平安初期にさかのぼる。法輪寺の前身である葛井寺で起きた、ある霊験が起源となっている。829年、弘法大師の弟子の道昌が百日間の修行を行い、満願の日に井戸で水をくんでいた。天空から明星が落ちてきて衣の袖に飛び移り、虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)の姿が浮かび上がった。修行の成功を確信した道昌は、大空や宇宙を象徴とする虚空蔵菩薩の像を彫り、本尊として寺に祭った。そして、別に鎮守社「明星社」も建てられたという。





明星社は雨や雷、光など、自然現象に関する信仰を集めるようになったが、蛤御門の変(1864年)で焼失した。しばらく仮宮のままになっていたが、生活に家電が普及し始めた1956年、電力会社や放送局、電器販売などの関係者が社業の繁栄や職場の安全を願い、電電宮を建てた。





再建から半世紀。エレクトロニクスの進化は目覚ましく、人々の生活は便利さを増した。一方で、さまざまな社会問題も噴出している。電脳犯罪のまん延、電力会社で相次ぐ不祥事、電気製品の欠陥、多くの命を奪った列車事故…。文明と人間は進歩せざるを得ない宿命にある。でも技術は、自分の生活を豊かにするのと同時に、その恩恵を他者にも与えるためにあるのだろう。



ここは電気の神様、技術の進歩に霊験…今京都。


 

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今京都 しゃかのはなくそ 2009/05/12 12:00 am

ゃかのはなくそ
「釈迦の花供祖」は餅あられの一種。嵯峨釈迦堂の涅槃会(ねはんえ)で、「花供祖」と記した紙に包み、餅あられに出したことに基づく。京の民家では、残飯を乾飯(ほしい)にして黒豆とともに炒って飴で固めたものを指す。御所ことばで豆の入ったあられはイリイリといい、炒るに由来。一般に、あられのことを尼門跡寺院でイリイリとも。団子をイシイシ、数の子をカズカズと、重ね言葉が御所ことばに目立つ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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輪寺/電電塔 (旧フォトヴィレッジ 2007年9月21日掲載)
京都嵐山にある法輪寺。ここはとてもユニーク。理由のひとつがこの山門をくぐったところにある大きな記念碑。





中央に石塔が置かれ、壁面の左右にはヘルツとエジソンというふたりの電気学の先人の浮彫胸額が飾られている。ヘルツとエジソンといえば、ともに誰もが知る電磁気学の先駆者。ヘルツは、電磁波の存在を実証したことで知られる。エジソンは、基礎研究よりも発明王として電灯などの発明で知られる。エジソンは85歳まで長生きしたのに対しヘルツは38歳の若さで亡くなった。エジソンはヘルツより10年早く生まれ、40年近く後に亡くなったということ。また、ヘルツはドイツ人で、エジソンはアメリカ人。こんなふたりの記念碑がどうして日本の京都にあるのか。





法輪寺にあるこの記念碑を写真からもわかるように「電電塔(でんでんとう)」という。かたわらの案内板に由来が記されている。そこには、
電気電波の祖神電電宮が祭祀されている当法輪寺境内に電電塔を建立し、その発展の基を築かれたエジソン(右)並びにヘルツ(左)の胸額を壁面に飾り、その功を顕彰すると共に、広く電気電波の発展隆昌に貢献せられた先覚功労者の霊を慰めるものである。
と記されている。





つまり法輪寺は電電明神が祭られている電電宮を持つ寺。電電明神とは、陰陽融合による光源の祖神として、古来崇められてきた神であって、今日の言葉でいうなら電気電波の祖神ということができる。その記念として電電塔を建て、電気電波の発展の基礎を築いたヘルツとエジソンを顕彰し、併せて先覚功労者の霊を慰めるということ。電電宮についてはまた改めて掲載する予定。いずれにしてもユニークなお寺、ここは京都嵐山法輪寺、という京の街のお話…今京都。


 

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今京都 おおきに 2009/05/10 12:00 am

おきに
今後ともぜひ残したいと京都人が思う京ことばの代表は、感謝の意を表すオオキニである。「オオキニありがとう」の「ありがとう」を略してオオキニだけでサンキューの意味になった。大変。大いにの意。「ちょっと頼みますわ、オオキニ」とオオキニを添えれば気さくな気分になる。褒められてオオキニと軽くいなすことも。慣用句の「オオキニはばかりさん」は、「どうもありがとう、ごくろうさん」のこと。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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今京都 はんなり 2009/05/09 12:00 am

んなり
松尾芭蕉『炭俵』の中の桃鄰の句に「はんなりと細工に染まる紅うこん」とある。若い女性が手染めの紅色の袷(あわせ)を着て台所に立つ情景がしのばれる。ハンナリは陽気で、上品な、明るい形容に用いる。「この帯ハンナリした色合いどすな」のように主に色彩についていう。「この部屋を片付けたのでハンナリしましたな」と、すっきりした気持ちを表す時にも使用。ハンナリは「花也」から。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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子道 (旧フォトヴィレッジ 2007年6月20日掲載)



現在、洛中碁盤の目の西端は西大路通。西大路通には三条、四条、五条はあっても、何故か二条はない。その代わりにあるのが「太子道(たいしみち)」。この「太子道」は洛中の旧二条通にはじまり、西大路通を気にすることなく突っ切って、古道の趣を漂わせて西の方まで続いている。洛中碁盤の目の中で、こういう道は珍しいといえる。この「太子道」はいったいどこを目指しているのか、そもそも「太子道」とは何なのか、とても気になる。



「お大師(だいし)さん」と「お太子(たいし)さん」。耳から聞けば紛らわしいが、「お大師さん」といえば「弘法さん」、すなわち京都では東寺に祀られている弘法大師信仰のことである。いっぽう「お太子さん」は「太秦のお太子さん」として、広隆寺のことをさすという。では「お太子さん」とは聖徳太子のことなのか?



太秦にある広隆寺は鎌倉時代、聖徳太子信仰が盛んになるとともに、京の人々の信仰のメッカになったという。そこで人々がめざした道が「太子道」。すなわち「太子道」とは洛中と広隆寺を信仰で結ぶ聖徳太子の道だったということ。聖徳太子といえば斑鳩の里の法隆寺。夢殿がそのシンボル。京都にも夢殿があるというから驚く。聖徳太子を祀るその夢殿をめざして、鎌倉時代の人々は「太子道」を歩いた。にもかかわらず京都の国宝・夢殿のことはあまり知られていない。広隆寺境内の西・築地塀(ついじべい)の中にその夢殿はある。



「桂宮院(けいきゅういん)」の名を持つ美しい八角円堂で、鎌倉時代の建立として国宝に指定されている。この「桂宮院(けいきゅういん)」の拝観は、4・5・10・11月の日曜日祝日のみということらしいが、それが京都の夢殿をいつまでもひそかに眠らせている理由かも知れない。



いずれにしても聖徳太子と京都がこれほどまでにつながるとは思っていなかった。聖徳太子が活躍した飛鳥時代は、京に都がやってくる200年ほど前のことなのに…。そういえば広隆寺の夢殿に聖徳太子が住んだという伝承があるということも聞いたような気がする、という京の街のお話…今京都。


 

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今京都 おはようおかえり 2009/05/07 12:00 am

はようおかえり
小学校へ朝登校する児童らに、家の者は「オハヨウオカエリ」という。会社に出勤する父には「オハヨウオカエリヤス」と丁寧に見送る。このあいさつをする家庭が京都でも少なくなった。「早く平穏無事に帰ってくれるように」との願いが込められている。もっとも祇園花街の舞妓や芸妓を送り出す子方屋(置屋)では、彼女たちに早く帰られては商売に差し障るので、ただ、「イットイナハイ」という。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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