rrbのブログ - 2009/05/26のエントリ
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今京都 そやかて 2009/05/26 12:00 am
そやかて
だからといって。だって。「ソヤカテ、そんな難しい問題、誰もでけへんと思うわ」 ソヤは「そうだ」の意味。カテは副助詞で「からとて」の意。ソーカテとも。「ソーカテ、こっちのいうことも聞いとくりゃす」「今からカテ遅いことあらへん」「さんなんうちカテ知ってるわ」 カテの代わりにテだけで、「言うたテええやろ」「見せたテかまへんやないか」のようにも使う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
空襲の証・西陣 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月16日掲載)

京都市上京区下立売通智恵光院西入に油の専門店「山中油店」がある。初代平兵衛が現在の地に店を構えたのが、江戸後期の文政年間(1818-1829)。以来、油の専門店として200年近くの歴史を守っている。山中油店がある土地は、時をさかのぼること平安時代には内裏(天皇のお住まい)の一角であり、室町時代に足利義満が室町殿を造営してからこの一帯はたいへん賑やかな所となった。

ここ下立売(しもだちうり)通はたくさんの商人が路の傍らに立ち、物を売っていたことからその名が付けられ、北の上立売(かみだちうり)通、中立売(なかだちうり)通と共に東西を結ぶ重要な往還路として発展した。1855(安政2)年に建てられたこの店は昔の面影を充分に残している。と、山中油店の宣伝をするつもりではない。

以前に、1945(昭和20)年6月26日の早朝に京都市上京区の西陣出水・正親地区に空襲があったことを記載した。その空襲の爆弾の残骸がこのお店の通りに面したショーウインドウに展示されている。京都の空襲はその数が少ないとはいえ、確かにあった。空襲の証を展示し、戦争の悲惨さや無意味なことを今に伝えている。

また、この辺りは「出水(でみず)」といわれ、水が豊かに湧き出る所。その井戸水を利用して、小さな池が作られ、水車がまわっている。戦争の残骸の横で、回る水車。その音は戦争の無意味さや愚かさを訴えているように聞こえた。今に伝える西陣空襲の証…今京都。

だからといって。だって。「ソヤカテ、そんな難しい問題、誰もでけへんと思うわ」 ソヤは「そうだ」の意味。カテは副助詞で「からとて」の意。ソーカテとも。「ソーカテ、こっちのいうことも聞いとくりゃす」「今からカテ遅いことあらへん」「さんなんうちカテ知ってるわ」 カテの代わりにテだけで、「言うたテええやろ」「見せたテかまへんやないか」のようにも使う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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空襲の証・西陣 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月16日掲載)

京都市上京区下立売通智恵光院西入に油の専門店「山中油店」がある。初代平兵衛が現在の地に店を構えたのが、江戸後期の文政年間(1818-1829)。以来、油の専門店として200年近くの歴史を守っている。山中油店がある土地は、時をさかのぼること平安時代には内裏(天皇のお住まい)の一角であり、室町時代に足利義満が室町殿を造営してからこの一帯はたいへん賑やかな所となった。

ここ下立売(しもだちうり)通はたくさんの商人が路の傍らに立ち、物を売っていたことからその名が付けられ、北の上立売(かみだちうり)通、中立売(なかだちうり)通と共に東西を結ぶ重要な往還路として発展した。1855(安政2)年に建てられたこの店は昔の面影を充分に残している。と、山中油店の宣伝をするつもりではない。

以前に、1945(昭和20)年6月26日の早朝に京都市上京区の西陣出水・正親地区に空襲があったことを記載した。その空襲の爆弾の残骸がこのお店の通りに面したショーウインドウに展示されている。京都の空襲はその数が少ないとはいえ、確かにあった。空襲の証を展示し、戦争の悲惨さや無意味なことを今に伝えている。

また、この辺りは「出水(でみず)」といわれ、水が豊かに湧き出る所。その井戸水を利用して、小さな池が作られ、水車がまわっている。戦争の残骸の横で、回る水車。その音は戦争の無意味さや愚かさを訴えているように聞こえた。今に伝える西陣空襲の証…今京都。

