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rrbのブログ - 2008/05のエントリ

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今京都 呉越同舟 2008/05/31 12:03 am

えつどうしゅう…仲の悪い者同士が同じ場所に居合わせること。また、敵同士でも、共通の利害に互いに協力し合うこと。
◇ちょっと予備知識 → 敵同士の呉と越の国の人でも、同じ舟で災難に遭えば助け合うということから。
                「舟」を「衆」と書くのは誤り。
                類義語に楚越同舟(そえつどうしゅう)・同舟共済(どうしゅうきょうさい)がある。
                対義語は不倶戴天(ふぐたいてん)。

宮詣り vol.2(最終回) vol.1はここ(←ここ)
さて、お宮詣りの続き。



お宮詣りは産土神詣り(うぶすながみまいり)ともいわれ、京都では、男の子は生後31日め、女の子は生後30日めに行う。



女の子の限り早くお詣りするのは「早くお嫁にいけるように」という親の願いが込められているという。



京都では、このお宮詣りのときに初着(うぷぎ)につける宮詣りの扇(友白髪(ともしらが)、紐銭(ひもせん))というものがある。



麻の緒で白髪を表現し、紙折に扇子をさし入れたもので、男の子用は青、女の子用は赤。誕生、間もない子どもの長寿と友達の和を願って用いられ、ご縁があるようにと、友白髪と記した半紙に5円玉や500円玉を包んで贈る。



京都の神社には、このお宮詣りの扇をお供えする場所が設けられている。また、神前では赤ちゃんをつねって泣かせる。その泣き声で、神様にその子の存在を伝え、覚えていただき、これから先のご加護をお願いする。



内祝は、お宮詣りを済ませてから、赤ちゃんの名で贈る。このお宮詣りをはじめとして、お七夜(おしちや)も食べ初めも、儀式作法は当人のわからないところで事が行われる。



昔は結納の日、花婿も花嫁もその場に居合わせることはなかったというし、結婚式にしても周りの人たちが脇役を演じているようで、実は主人公だったという。
そもそも儀式とは、その当事者のために存在するものではなく、周りの人々の「和」を高めるために行われていた。



それゆえに、今日においても、これらの儀式が暮らしの中にしっかりと生き続けてこられた。当然、悲しみの儀式も同じことがいえるという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は常照皇寺で本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 前後不覚 2008/05/30 12:04 am

んごふかく…何が起こったのか前後の判断がつかないほど、正体を失うこと。
◇ちょっと予備知識 → 物事が起こったのは後か前か、その判断もできなくなることから。
                「不覚」はい四季や感覚がないこと。
                類義語に人事不省(じんじふせい)がある。

宮詣り vol.1
祖母に抱かれた赤ちゃんを見守るようにして、父親や母親、祖父らと共にお宮詣りされている。



そんななんともほほえましい光景をテレビや雑誌で見かけることがあるが、ひと昔前の京都ではこんな光景を見ることができなかったという。



お宮詣りといえば、必ず赤ちゃんの母親がついていくものだと思われるが、京都では、一緒に行かないのが当たり前だった。



「出産した女性は身体がけがれているので鳥居をくぐってはいけない」と、まことしやかにいわれるが、実はそうではなく、出産間もない母親の身体をいたわり、「お宮詣りの時ぐらいは、おばあちゃんや親戚の人に任せて、ほんの少しの間でもゆっくり休みなさい」という気配りであり、思いやりである。



赤ちゃんをおばあちゃんに見ていただき、任せることで、おばあちゃんも孫を抱く喜びをしっかりと実感できるだろうし、母親もまたしばらくの間休むことができる。まさに一挙両得ということ。



こういう「しきたり」として女性を思いやり、いたわりがされている京都の文化にはただ頭が下がる思いである。



お宮詣りのときは、男の子には「大」の字を、女の子には「小」の字を額に頬紅でかく。「大」は大きく、「小」はかわいくという意味だけではなく、「大」は力強く、「小」はやさしく育って欲しいという意味もある。



なぜ「大」や「小」の字を書くのか、実はまだわかっていないという。京都の大文字送り火の大の字だとか、暦の大の月、小の月からきているのだとか、色々な説があるが、このような風習風俗の発生は、その根拠がよくわからないことが多い。



しかし、このような風習が京都を情報発信地として、少しずつその形を変えながら、伝達手段のとぼしかった時代に、人から人へと広まったのはスゴイことだという京都の文化のお話…今京都。(続く) ※写真は常照皇寺で本文とは関係ないのであしからず。

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今京都 捲土重来 2008/05/29 12:04 am

んどちょうらい…一度失敗した者が、再び勢力を盛り返して立ち向かってくること。
◇ちょっと予備知識 → 「捲土」は土を巻き上げるの意で、勢いが激しいこと。「巻土」とも書く。
                「重来」は「じゅうらい」とも読む。
                類義語に七転八起(しちてんはっき)がある。
                対義語は一蹶不振(いっけつふしん)。

照皇寺(納豆発祥伝説) vol.2(最終回)  vol.1はここ(←クリック)



さて、その理由だが、実はこの常照皇寺には「納豆発祥の伝説」があるという。納豆発祥の伝説は日本各地にあり、この地域にも伝わる。



納豆を最初に口にした勇気ある人は誰か。舞台は、南北朝時代の政争に敗れて出家した光厳法皇が開山したこの常照皇寺にあるというから驚きだ。



地域や文献に伝わる話によると、厳しい修行をする光厳法皇を見た村人が、歳末に炊く「みそ豆」を藁を束ねて袋状にした「つと」に入れて献上した。



光厳法皇は煮豆を少しずつ食べ、しばらくすると豆に糸が引くようになった。村人からもらった豆を粗末にできないと、塩をかけて食べたところ、味がよくなった。そこで村人に振る舞い、広まったという。



なぜこの京北で納豆が生まれたのかと疑問に思うが、納豆を寝かせる時期の冬の気温が適していることと、丸太や農作物を送り込むなど都との関係が深く、当時は貴重だった大豆が手に入ったことなどが理由ではないかと推測される。



この地域には他にも、納豆にちなむ物や風習が残るという。同寺にある光厳法皇の生涯が描かれた絵巻には、藁にくるまれた納豆の絵が描かれているとも聞く。



さらに、この地域には歌詞の中に納豆が登場する子守歌も伝わっており、特に知られるのが、正月三が日に餅でくるんで食べる「納豆もち」だという。昔の「納豆もち」は抱えるほどの大きさで、いろりであぶったり、お湯で温めたりして少しずつ食べたそうだ。



「納豆もち」は旧日吉町や旧美山町のほか、京都市左京区の花背や大原などでも食べられ、作り方や味付けがそれぞれ異なるという。



例えば旧美山町のある地域では、もちを焼いて塩を加え、練った納豆をくるむ。花背は「白もち」や「とちもち」「よもぎもち」を練り合わせ、納豆は黒砂糖をまぶすという。



だが今は、どの地域でもほとんど食べられていないというから寂しい思いがする。「納豆もち」は地域の特徴を表す文化、ぜひ地域で食べ続けて欲しいと願う…今京都。


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今京都 不老不死 2008/05/28 12:13 am

ろうふし…いちまでも年老いず、死にもしないこと。
◇ちょっと予備知識 → 類義語に不老長寿(ふろうちょうじゅ)・長生不老(ちょうせいふろう)がある。

照皇寺(じょうしょうこうじ) vol.1



常照皇寺は京の西北部、周山にある。2005年4月1日に北桑田郡京北町から京都市に編入合併され、京都市右京区京北となった。



新しく京都市に仲間入りした京北の常照皇寺を訪ねた。臨済宗天龍寺派の常照皇寺は、正しくは大雄名山万寿常照皇禅寺という。



常照皇寺は京北の桜の名所の一つ。国の天然記念物に指定された「九重桜」があり、毎年4月中旬過ぎに咲き始める。この桜を見るためだけに常照皇寺へ訪れる人も多い。桜は、1333(元弘3)年、光厳(こうごん)天皇がこの山里に入り、手植えしたのが最初と伝えられる。



総門から庫裡までは、なだらかな石段。庫裡へ入り上ると方丈から開山堂へと行け、右手は庭園の入り口となっている。



方丈の中央に座ると、目線の正面は美しい小庭だが、首を上げると鴨居の位置に仏像(釈迦如来)が祀られている。頭上から仏像に見つめられ、少々戸惑いを感じる。





鉤型になっている廊下をさらに進むと開山堂の怡雲庵(いうんあん)の中へ入れる。開山堂前に「九重桜」(前に植えられている)、方丈前に 「御車返しの桜」がある。



常照皇寺は、南北朝時代の北・貞治1年/南・正平17年(1362)に光厳天皇がこの地に草案を結ばれた。その後、菩提を弔うために、開山を天皇とし禅刹に改め常照万寿皇禅寺とされた。



御陵が寺に隣接してある。戦国期(安土桃山時代)の1579(天正7)年、明智光秀が周山城(現在は石垣が残るのみ)を築くための木材を集めで周辺の社寺を取り壊したことで、常照皇寺は衰退。その後も、太閤検地で寺領の没収や戦火で諸堂伽藍を焼失し荒廃。



江戸時代に入り、後水尾法皇の尽力、徳川秀忠の外護があり、末寺300寺に回復。だが、昭和の敗戦後に多くの寺田や寺資産を失くしたまま、今日に至っている。
この京北の常照皇寺を訪ねた理由は実は他にある。その理由とは…今京都。(続く)


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今京都 七難八苦 2008/05/27 12:08 am

ちなんはっく…この世のさまざまな苦しみや災難。ありとあらゆる災い。
◇ちょっと予備知識 → 元は仏教語。「七難」はこの世で受ける7種の災難の事。「八苦」は「四苦八苦」を参照。
                類義語に四苦八苦(しくはっく)・艱難辛苦(かんなんしんく)がある。

りがつく
あげくのはてをとりあげたならば、はずせないのが「けりがつく」。「けりがつく」「けりをつける」もまた日常よく使われることばである。



物事が解決できた、決着がついた、ようやく片付いた、とひといきついた状態。とはいっても、最高の結果が得られて上機嫌といった気分ではない。
「あげくのはて」と同じようにいろいろ大変だったけれども、それでもなんとか「けりがついた」、どうにかこうにか「けりをつけることができた」と、ほっとしている様子が伺える。



「あげくのはて」が連歌・連句から生まれたことばに対して、「けりがつく」は和歌や俳句から生まれた。和歌や俳句は最後が助動詞の「けり」で終わることが多い。



ちなみに『小倉百人一首』をみてみると、「けりがつく」歌は百首中、八首。
他に「けるがつく」歌もいくつかある。さらに「かながつく」歌は、数え上げると十二首あるから、「けりがつく」歌が目に余って多いということでもない。



和歌の最後を「けり」で結ぶ手法は平安中期の古今調の和歌が登場して以降のことで、たとえば『万葉集』では「けりがつかない」のであった。
かぐや姫の物語として知られる『竹取物語』。これは平安前期の頃の作品で、わが国の物語の祖とされるが、この物語が「今は昔、竹取の翁といふものありけり」とはじまる。このころから「けりがつく」ようになったのかもしれない。



ただし、和歌の最後の「けり」は、つければいいというものではない。よほど上手く使わないと、ありふれた駄作になってしまう。



「けりがつく」という言葉、苦労して頭をひねりながら、どうにかこうにか下手な歌を詠み上げましたという雰囲気が漂ってしまう。



昔の人は決してスラスラと和歌や連歌を詠んだわけではない。歌詠みには歌詠みのさまざまな苦労があったことがよくわかる。
さらに、「けりがつく」という言葉、決して褒め言葉とはいえないので、使用の時にはご用心あれ。



いずれにしても「けりがつく」は、意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.19…今京都。前回の語源は「あげくのはて」(←クリック)。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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