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rrbのブログ - 2009/05/15のエントリ

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天を仰いで思うこと いぬ 2009/05/15 12:00 am


「えらい遅うなったし、もうイヌわ」 「帰る」の意で、丹後ではイヌルという。奈良時代から使われてきた。江戸時代後期に四段活用で使用。インデクルともいい、「忘れ物したし、インデクルわ」 イノーは帰ろう。インデコイは帰れで、離縁する意味にもなった。『万葉集』では「行く」や「過ぎ去る」の意味もあった。「うぐひすぞ鳴きていぬなる梅が下枝(しずえ)に」のこのイヌは「移っていく」ことを表す。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(1)
絵馬について思うこと (エキサイト 2008年1月30日〜2月4日掲載)



常日頃、神仏に頼っていない人でも大半の人は行っているのが「初詣」。今年も年の初めに様々な願い事を何人もの人が奉納したことには違いない。寺社仏閣への行ったときのひとつの楽しみは絵馬である。ハシタナイけれど奉納されている絵馬を見てしまう。ひっくり返してまでは見ないけれど、見えている範囲で読んでしまう。神社の本殿に立って心の中で願い事をつぶやく、絵馬に願い事を文字にして奉納する。どちらも願い事を託すことには変わりない。この絵馬を見ると世相の一端が見えるような気がするし、絵馬を読むのは結構楽しい。以前の合格祈願は大学・高等学校が占めていた。しかし、最近は私立の小学校・中学校ばかりでなく、幼稚園入園の合格祈願も増えている。当然、資格関係の合格祈願もある。



その絵馬について気になることがある。絵馬にはどうして氏名はもちろん住所まで書いているのだろう。そもそも絵馬に氏名・住所は必要なのだろうか? 本殿の前で手を合わせて願い事を心でつぶやく時、「自分はどこどこの誰々です」とつぶやくだろうか? 誰もつぶやいていないと思う。少なくとも自分はつぶやいていない。恋愛成就や結婚祈願の場合、相手の名前をつぶやくことがあったとしても、自分の氏名などはつぶやいていない。しかし、絵馬には、自分の氏名はもちろん住所までしっかり書いているものが大半なのである。なぜ? 絵馬奉納のルールなのか? 絵馬に氏名とか住所を書くのが奉納のルールとするならば、今は個人情報保護が叫ばれる時代。「他人に読まれることがありますよ、よろしいですか?」という許諾が必要となってくるはずであるが、そんな説明は聞いたことがない。しかし、絵馬を書くときには大半の人が氏名や住所まで書く。いや、書いてしまうのである。なぜ書いてしまうのか…考えながら絵馬を見ていたとき、「どこどこの誰々って書かないと神様が誰のことかわからなくなるでしょ」と子供に説明している親の言葉が耳に飛び込んできた。「なるほど!」と言いたいが、本殿の前で手を合わせて願い事を心でつぶやく時、「自分はどこどこの誰々です」とつぶやかないのが通常である。本殿の前に立ったときは容姿をさらけ出しているから特定されている、あるいは、直接頼んだから大丈夫という安心なのか?


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

今は個人情報保護に気をつかう時代。他人様の絵馬を読みながら、心の中では個人情報への配慮と楽しさと心配の葛藤がある。その絵馬も最近変わってきた。縁結びのお社で発見したのであるが、書いた上にシールを貼る絵馬が誕生している。「やっぱり、個人情報保護!」と思ったが、どうも違うようである。このシールは個人情報の保護という考えではなく、絵馬を誰かに見られることを意識しないようにというもの。誰かに見られると意識してしまうと、願い事を書くのにためらいがでてくる人に対する配慮だという。シール貼る絵馬、シールで見えなくしても神様は願い事をかなえてくれるの?と思うが、本殿にお参りするとき、何かに願い事を書くわけでもなく心の中でつぶやくだけである。つまり、神様と心のやり取りをするのである。絵馬に文字にして書いたときこそが神様との心のやり取りなのであって、絵馬を掛けた(奉納した)時ではないのである。気持ちをもめて書けば、たとえシールで隠されていても、神様とは心のやり取りができている。そこには、当然、氏名も住所もいらない。神様は全てお見通しということ。誰かに当てたメッセージや見ていただくのを目的とした場合、目印となるものは書くことにして、氏名も住所も書かず奉納することにしよう。神様は全てお見通しだし、個人情報保護の時代でもあるし…と、天を仰いで思うこと。


 

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