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rrbのブログ - 2009/05/28のエントリ

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今京都 どくしょうな 2009/05/28 12:00 am

くしょうな
東京で「ひどい」というのを京都では江戸時代からドクショウナと使った。しんらつな、むごたらしいことで、毒の性質のある「毒性」という意味から。「あいつにドクショウナこと言われた」 「毒性」は意地の悪いこと。式亭三馬『浮世風呂』にもある。「今年の稲作はドクショーもんだった」のように京都府北部でも使用。アキショウナ、アクショウナ、アクショナともいい、「悪性」に基づいている。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

子(ずし) (旧フォトヴィレッジ 2007年7月8日掲載)
京都では路地のことを「ろうじ」と呼ぶ。ところが、漢字で書けば同じ「路地」でも「ろうじ」以外にも「ろじ」という呼び方も使う。その使い分けは、縦横の通りに囲まれた洛中の四角いマス目を、次の通りまで真っ直ぐに抜けている場合は「ろじ」、奥で行き止まりになるような場合は「ろうじ」だということ。これは京都学の入門だというから驚き。さらに存在している呼び方が「筋(すじ)」。こちらは「ろじ」がさらに次の四角いマス目まで続いてのびている場合で、「通り」に近い感覚だという。しかし、「筋」という呼び方はあまり記憶にない。さて、ここにもうひとつ存在する呼び名がある。それは「図子(ずし)」。この図子は、まちのマス目のなかで、ひとマスの中だけに自然発生的にできた通路のことをいうそうだ。だから折れ曲がっていたり、袋小路になっていたり、斜めになっていたりする。



図子は以前「辻子(ずし)」と表記されていた。意味からすれば「辻子」のほうがわかりやすいかも。つまり図子は辻のようで辻まで行かない「辻の子ども」ということ。「ろじ」や「ろうじ」には呼び名はついていないが、図子にはその土地に密着したユニークな名前がついていることが多いという。しかし、現地にいってもどこにも標識はついていない。地元の人だけが口伝で呼んでいるだけである。その代表的なものに、白梅図子(しらうめずし)、膏薬図子(こうやくのずし)、了頓図子(りょうとんのずし)、地獄図子(じごくずし)、撞木図子(しゅもくのずし)、虱図子(しらみのずし)がある。白梅図子は上京区河原町通の今出川通と広小路通のほぼ中間地点を西へ入り、寺町通へ抜ける小路。南面は本禅寺の塀、北面塀、北面は栄町・新夷町・扇町の横頬(よこつら)になるために、町通りにならず辻子として推移したという。幕末のころは遊女街として大いに栄え、白梅は遊女の名前だったという説もある。明治維新ののち茶屋が次第に減り、廃止にいたったとのこと。


白梅図子(しらうめずし)


白梅図子(しらうめずし)

膏薬図子は四条通新町西入のなかほどから南に下がり、鍵型に曲がって綾小路通に抜ける小路。平安時代、空也(こうや)上人がここに供養の道場を開いき、人々はそれを「空也供養(こうやくよう)」の道場と呼んだ。それがなまって「こうやく道場」となり、膏薬の名がついたという。この膏薬図子の近くには京の代表的な町家のひとつである杉本家がある。


膏薬図子(こうやくのずし)


膏薬図子(こうやくのずし)

了頓図子は三条通室町西入の中ほどから南へ下がり、六角通へ抜ける小路。ここは了頓図子町という地名がついている。「安土桃山期の茶人広野了頓がここに邸宅(茶亭)を構え、邸内の南北通り抜けを許したために図子が生まれたという。やがてこれらの図子も街撮りしたいと思うが、「ろじ」と「ろうじ」の区別はともかく、「ろじ」と「ずし」の区別がつくかどうか、ちょっぴり不安だ、という京の街のお話…今京都。


 

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