rrbのブログ - 2009/05/13のエントリ
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天を仰いで思うこと おやかまっさん 2009/05/13 12:00 am
おやかまっさん
「おおきに、オヤカマッサンどした」と辞去の時のあいさつ。お邪魔しました、お騒がせしてすみませんでしたの意。やかましいに基づく。オ〜サンを用いて丁寧語に。平安時代に「あなかま」といえば「ああ騒がしい」で、「あな」は感動詞、「かまし」は騒がしい。公家は「ごめんどう申し上げました」、お付の者は「ごめんどうさんをあそばしましてございます」とあいさつした。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(50) ちょっと気になる「ことば」の話
おビールお持ちしました

最近、飲みに行くとよく聞くこの言葉。実は少し違和感を覚えている。「おビール」と「お持ちしました」の部分だと思う。「おビール」は、最近、ごく普通に使用されているから、違和感を覚える人も少ないだろうが、実は違和感がある。たとえば「(先生の)おカバンをお持ちします」の場合の「おカバン」は、先生の持ち物で、先生を高めるために「お」をつけるが、「ビール」は誰の持ち物でもなく、極端にいえば、運んできた自分の物で、尊敬すべき相手がない。この場合、「ビール」に「お」をつけるのは言葉を上品に美しくするためで、「おビール」のような語を美化語という。「おカバン」も前掲のように相手を高めるために使った場合は尊敬語になるが、「私はおカバンを買いました」のように自分の物についていった場合は美化語となる。美化語は上品な物言いをして自分の品位を高めるための表現だから、使うか使わないかは大きな個人差がある。

さて、「おビール」であるが、これは飲食店などで使われ始めその世界では既に定着しているようだ。美化語は、自分が上品だということを示すための表現であるから、一般化していないものほど使用効果が高いといえるが、あまり使いすぎるとかえって品位を失うことになる。不足すると乱暴な言葉遣いになるし、過剰になると顰蹙を買う。「おジュース」なんてあり得ない。
次に「お持ちする」だが、「持つ」は自分の行為だから「お」をつけるのはおかしいと感じる人がいるかも知れない。さりとて相手を高めているわけだから、美化語とも考えられない。「お〜する」は全体で謙譲語であるから問題はないと考え違和感を持っていない。しかし、金田一京助氏は「お〜する」を謙譲に使用するのは間違いしているから、大正の頃は正しくない表現だと考えられていたようだ。現在では「(先生を)お誘いする」「(先生のために)お調べする」などは最も普通の謙譲表現であるが、以前は不自然だと感じられていたようだ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
現在ではさらに「(私は会社を)お休みします」のように行為が開いてに及ばず謙譲にならない「お〜する」も使用されており、美化語としかいうしかない。年配の人には違和感を強く訴える人もいるが、若い女性などには広く使われているようだ。こうみると「お〜する」は、謙譲の使い方も認められない時期から、それの認められる時期、そして美化語として使われる時期と、3回も変化していることになる。美化語的な「お〜する」も、やがては違和感なく認められる時期がくるということか…。「おビール」「おジュース」はまだ一般化した表現ではなく、美化語も使いすぎるとかえって品位を失うというお話。
お酒はOKでおビールはNG。おそばはOKでおパスタはNG。お召しものはOKでおスーツはNG。まぁ、英語に敬語はないからなぁ…と、天を仰いで思うこと。

「おおきに、オヤカマッサンどした」と辞去の時のあいさつ。お邪魔しました、お騒がせしてすみませんでしたの意。やかましいに基づく。オ〜サンを用いて丁寧語に。平安時代に「あなかま」といえば「ああ騒がしい」で、「あな」は感動詞、「かまし」は騒がしい。公家は「ごめんどう申し上げました」、お付の者は「ごめんどうさんをあそばしましてございます」とあいさつした。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(50) ちょっと気になる「ことば」の話
おビールお持ちしました

最近、飲みに行くとよく聞くこの言葉。実は少し違和感を覚えている。「おビール」と「お持ちしました」の部分だと思う。「おビール」は、最近、ごく普通に使用されているから、違和感を覚える人も少ないだろうが、実は違和感がある。たとえば「(先生の)おカバンをお持ちします」の場合の「おカバン」は、先生の持ち物で、先生を高めるために「お」をつけるが、「ビール」は誰の持ち物でもなく、極端にいえば、運んできた自分の物で、尊敬すべき相手がない。この場合、「ビール」に「お」をつけるのは言葉を上品に美しくするためで、「おビール」のような語を美化語という。「おカバン」も前掲のように相手を高めるために使った場合は尊敬語になるが、「私はおカバンを買いました」のように自分の物についていった場合は美化語となる。美化語は上品な物言いをして自分の品位を高めるための表現だから、使うか使わないかは大きな個人差がある。

さて、「おビール」であるが、これは飲食店などで使われ始めその世界では既に定着しているようだ。美化語は、自分が上品だということを示すための表現であるから、一般化していないものほど使用効果が高いといえるが、あまり使いすぎるとかえって品位を失うことになる。不足すると乱暴な言葉遣いになるし、過剰になると顰蹙を買う。「おジュース」なんてあり得ない。
次に「お持ちする」だが、「持つ」は自分の行為だから「お」をつけるのはおかしいと感じる人がいるかも知れない。さりとて相手を高めているわけだから、美化語とも考えられない。「お〜する」は全体で謙譲語であるから問題はないと考え違和感を持っていない。しかし、金田一京助氏は「お〜する」を謙譲に使用するのは間違いしているから、大正の頃は正しくない表現だと考えられていたようだ。現在では「(先生を)お誘いする」「(先生のために)お調べする」などは最も普通の謙譲表現であるが、以前は不自然だと感じられていたようだ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
現在ではさらに「(私は会社を)お休みします」のように行為が開いてに及ばず謙譲にならない「お〜する」も使用されており、美化語としかいうしかない。年配の人には違和感を強く訴える人もいるが、若い女性などには広く使われているようだ。こうみると「お〜する」は、謙譲の使い方も認められない時期から、それの認められる時期、そして美化語として使われる時期と、3回も変化していることになる。美化語的な「お〜する」も、やがては違和感なく認められる時期がくるということか…。「おビール」「おジュース」はまだ一般化した表現ではなく、美化語も使いすぎるとかえって品位を失うというお話。
お酒はOKでおビールはNG。おそばはOKでおパスタはNG。お召しものはOKでおスーツはNG。まぁ、英語に敬語はないからなぁ…と、天を仰いで思うこと。

