ID : Pass :  | register
フォトヴィレッジ
(rrbのブログ)
上手い下手は関係なし
感じたままの気ままな
写真と言葉を掲載
*画像は全てリサイズ済*
 
------------------------------
《写真カテゴリ》
*
京都の町の
そぞろ歩きは
今京都
* *
スズメさんで
天を仰いで思うこと
* * *
四方山話は
おやかまっさん
* * * *
京都以外の町で
足の赴くままは
◆◆なう
------------------------------
色々とチャレンジする
rrbのブログ
フォトヴィレッジ




Photographer affectation
Delivered from Kyoto
Since 2006/4/25
Since 2007/12/9
(Renewal Start)
Copyright (C) 2006
www.rrbphotovillage.jp
All Rights Reserved
カレンダー
« « 2009 10月 » »
27 28 29 30 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
ご案内
今京都記事一覧
京ことば記事一覧
京が語源記事一覧
天を仰いで記事一覧
・スズメの写真
------------------------------
アクセスカウンタは
不具合のため
運用停止中
2017/9/27
過去ログ
     

rrbのブログ - 2009/10のエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

サイト全体のカテゴリーナビゲーション

天を仰いで思うこと ののさん 2009/10/30 12:00 am

のさん
太陽。月。神様。仏様。太陽や月のように信仰の対象になるものを呼んだ。神仏に対して祈る人のことばを「ノーノー」と聞いた子どもたちが命名したと思われる。ノンノンサンとも。月や神仏にマンマンチャンともいう。拝む時、「マンマンチャン、あん」とアンを添える。太陽をニチリン(日輪)サン、オテント(天道)サンと崇め、雷もカミナリサンとサンをつける。京都府北部では雷はハタガメという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

方山話(81)
時代祭に思うこと



千年以降の風俗を一列にして人に悟らしむるは、日本国中の祭式起こりて以来、未だその比を見ざるの盛観たり…5月の葵祭、7月の祇園祭に続き、京都三大祭の最後を飾るのが時代祭。今年も10月22日に行われた。時代祭が始まったのは、1895(明治28)年。平安遷都1100年を記念し、1895(明治28)年に創建された平安神宮の奉祝行事として、「ひと目で京都の歴史と文化がわかる行事を」とはじまった時代行列。室町幕府を開いた足利尊氏が朝廷の逆賊とみなされていたため、当初から除外されていた室町時代列が、2007(平成19)年から新たに参列し、より華やかな行列となった。



今風に言えば、都大路に華麗な時代絵巻を繰り広げ…ということになる。戦時の中断などがあったが、今年は105回目。隊列は、明治維新からはじまり、維新勤皇隊列の山国隊に扮した鼓笛隊の少年たちの先導により、幕末志士列、徳川城使上洛列、江戸時代婦人列、豊公参朝列、織田公上洛列、室町幕府執政列、室町洛中風俗列、楠公上洛列、中世婦人列、城南流鏑馬列、藤原公卿参朝列、平安時代婦人列、延暦武官行進列、延暦文官参朝列など、約2000人がそれぞれ時代考証された装束をまとい、調度品をもって行列する。午前9時からの神事ののち、隊列は正午に京都御所建礼門を出発、烏丸通、御池通、河原町通、三条通を経由して、約4.5kmを約3時間かけて練り歩き、平安神宮に到着する。時代を彩る2000人の行列に穏やかな秋の陽光がふりそそいだ。


これは時代祭ではなく、嵐山の斎宮行列からの一コマ

時代祭は市民による市民の祭り。市民組織の平安講社が運営し、子どもからお年寄りまで地域ぐるみで行列に加わる。少子化で童役の確保が悩みの種だが、今年は城南流鏑馬列(鎌倉時代)に4組の親子三代が登場し、にぎやかさが増したという。行列を先導する維新勤王隊列を担当する中京区朱雀地区でも小学生らに鼓笛を教えるなど後継者育成に乗り出している。そんな市民の熱い思いが時代祭を支えてきたのだろう。


これは時代祭ではなく、嵐山の斎宮行列からの一コマ

室町時代列が創設された一昨年のようなビッグニュースこそなかったものの、紀貫之の女(むすめ)の単衣(ひとえ)や小野小町の沓(くつ)など250点余りが新調されたという。坂本龍馬に西郷隆盛、豊臣秀吉に淀君、また紫式部に清少納言と、おなじみの歴史人物をみつけるのが楽しい祭り。時代祭は、東京遷都で芽生えた人々の危機感から誕生したともいわれる。時代状況は東京一極集中の今日にも通じる。見る人は気づかなくとも年々、祭りは生まれ変わる。京都の意地と誇りを託すこの祭り、やがて、しっかりと写真に納めたい…と、天を仰いで思うこと。


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと せこい 2009/10/28 12:00 am

こい
「あんなセコイことせんでもええのに」 ずるい。醜悪な。粗悪な。若者ことばとして広まった。セコイは役者・寄席芸人の用語セコから。セコは悪い、醜い意味。良いこと、得意芸はハコといった。「セコイ芸」のようにセコイは明治時代の芸能人が「下手な」の意味で用い、ハコを形容詞化した良い、美しいのハクイ(白い)の対義語であった。セコイには、けちくさい、みみっちいの意もあった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

を仰いで思うこと
にしんに思うこと



「にしん」といえば、石狩挽歌(北原ミレイ)がある。
♪ 海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると 赤い筒袖(つっぽ)の ヤン衆がさわぐ
雪に埋もれた番屋の隅で わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンは どこへ行ったやら 破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺でオンボロロ オンボロロー
沖を通るは 笠戸丸 わたしゃ涙で にしん曇りの空を見る

燃えろ篝火 朝里の浜に 海は銀色 にしんの色よ
ソーラン節に 頬そめながら わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら オタモイ岬の ニシン御殿も
今じゃさびれてオンボロロ オンボロロー
かわらぬものは 古代文字 わたしゃ涙で 娘ざかりの夢を見る ♪

と、歌の話ではない。



「にしん」は別名「春告魚」。産卵期の春から初夏にかけてが脂が多く美味しい。塩焼き、フライ、マリネにするほか、身欠きニシンや燻製、コンブで巻いて煮締めた「こぶ巻き」などの加工品とされる。冷凍・冷蔵技術や輸送の発達していなかった時代、身欠きニシンは山間地では重要な食材であった。京都名物に、「にしん料理」があるのもこのような理由による。なお、名物として知られる「にしんそば」は明治時代に誕生したものであるが、それには古くから京都の庶民料理として親しまれていたおばんざい、鰊の昆布巻きに着想を得ている。食通で知られる北大路魯山人は、著書「魯山人味道」(平野雅章 編)で、「煮たもの焼いたものはさほどでも無いが、乾物を水でもどしたものを上手く料理すると美味しくなる」と言っている。卵を干したものや塩蔵品は数の子(かずのこ)と呼ばれる。
と、調べたのはいいが、「にしんそば」「数の子」以外の食べ方をしたことがないということに気づいた。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

「数の子」は卵であるから、それを除くと、「にしんそば」以外に「にしん」を食べた記憶がないのである。京都名物に「にしん料理」というがあるが、食べ記憶がない。一体どんな味? 一度は食べてみたい…と、天を仰いで思うこと。


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと すんまへん 2009/10/26 12:00 am

んまへん
すみません。恐れ入ります。「お先に失礼してスンマヘン」「いつもお世話になりスンマヘン」 心が澄まない意からで、謝罪のときにも、感謝するときにも使う。祇園の舞妓・芸妓がよく口にする。スマンの丁寧語。スイマヘン・スイマセン・スミマヘンとも。「スンマヘンこんなことお願いしまして」と、スンマヘンを前出したり、「ちょっとスンマヘンケド」と、あらかじめ容赦の気持ちを伝える表現もある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

方山話(79)
いわし雲に思うこと



秋の澄んだ青空一面に、白い雲が斑点状に広がる様子が、海で鰯(いわし)が群れているように見えることから「いわし雲」という。また、鯖(さば)の背の斑点のように見えるので「さば雲」、魚の鱗に似ているので「うろこ雲」ともいう。



高度5000から13000mに生じる巻積雲(けんせきうん)のことで、この雲がでると、秋が深まっていくことが実感できる。今年はまだ見ていない。この雲は、漁師にとっては鰯の大漁の兆しでもあったそうだ。


(京都・嵯峨野 化野念仏寺)

「鰯雲化野(あだし)の墓隙間なし」と詠んだのは藤井艸眉子だったか…。先日訪れた、化野(あだし)の念仏寺はまだ秋の気配は浅かった…と、天を仰いで思うこと。


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと にじくる 2009/10/23 12:00 am

じくる
「そんなにあっちゃこっちゃニジクルもんやない」 なすりつける。塗りつける。ニシクルともいう。擦り付ける。じりじりと押し付けるの意味のニジルに、繰り返す、こね回すの意味のクル(繰る)をつけて作った。「にじり寄る」「にじり出る」というし、茶室には「にじり口」がある。「にじり書き」といえば、筆を紙に押さえ付けるようにして下手な文字を書くことになる。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

方山話(78)
橋に思うこと



京都には、観月橋と渡月橋という橋がある。いずれもそこそこ有名だろう。
観月橋は、鎌倉時代末期から、桂橋(両郡橋又は指月橋)と称し存在した。桃山時代に、豊臣秀吉が豊後大友氏に命じ伏見から向島の間に長さ200m橋を架ける。豊後(ぶんご)橋と呼ばれる。江戸時代を通して18回の架け替えや修復の工事が行われた。鳥羽・伏見の戦で豊後橋が焼け落ちる。川の流れが速いため復旧に難儀したそうだ。その間は、渡し船が就航。1873(明治6)年に橋が再建、この時に橋脚の柱や高欄が鉄製になる。月を観るのに好適の場所にあるということから、「観月橋」と呼ばれるようになった。
一方、渡月橋は、承和年間(834-848)に僧・道昌が架橋したのが始まりとされ、現在の位置には、後年に角倉了以が架けたとされる。現在の橋は1934年(昭和9年)完成。橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製だが、欄干部分は景勝地である嵐山の風景にとけ込むよう木造。観光パンフレットなどには、この橋が写り込んだ写真が多用され、また、映画やテレビドラマの撮影で多用されていることもあり、観光地としての嵐山を象徴する橋ともなっている。欄干が木造であることから、自動車が欄干に衝突した際に欄干を破損して車が川底に落下したり、捨てられた煙草の火によって欄干が燃える事故が発生することがある。亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて、「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから「渡月橋」と名付けられる。



このふたつの橋に共通する項目は、「月」である。
さて、京都の人に「観月橋は東西、南北のどっちに架かっている?」と聞くと、凡その人から、「南北」と正解が返ってくる。しかし、「渡月橋は?」という質問に対しては、凡その人が、「東西」と間違って答える。実際に渡月橋を渡ったことがある人に聞いても「東西」と間違って答える。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

この間違いはどこからくるのか…。恐らく、京都人にとって観月橋は京都の南にあり、北から南向いて行った進行方向のまま渡るから「南北」と正しく答えられる。しかし、渡月橋は京都の西にあることから、東から西に行ったところにあるため、錯覚し間違うのであろうと推測する。ちなみに四条通に架かる「松尾橋」については、正しく「東西」と答える。
念のために、地図を掲載しておく。





それにしても、「月を観る」だの「月が渡る」だの、京都での先人たちの生活感性は素晴らしい…と、天を仰いで思うこと。


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと かーかーかーこーこーこー 2009/10/09 12:00 am

ーかーかーこーこーこー
烏相撲の神事が、9月9日に上賀茂神社で行われる。弓矢を手にした神官が、横飛びをしながら土俵付近の盛り砂の前に出て、カーカーカー、コーコーコーと烏の鳴き声を三度する。続いて小学生たちの相撲が始まる。重陽の節句に当たり、長寿や厄除けを願って奉納する。祭神の賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)が、神武天皇の東征を先導したとき、八咫烏(やたがらす)が天皇の弓先にとまっという故事に基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

方山話(77)
秋に思うこと



今の季節、部屋の中で秋らしい気分を味わうには、ススキを飾るのが手っ取り早い。原っぱから何本か、ハサミで切ってきて花瓶に投げ込むと、演出効果はてきめんだ。窓の向こうの景色さえ心なしか澄みわたる。秋の七草を、指を折り挙げてみると、萩(はぎ)、尾花、葛(くず)、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、それに朝顔となる。朝顔はいまの桔梗(ききょう)か木槿(むくげ)だという。ススキを尾花と呼ぶのは、花穂が動物の尻尾(しっぽ)に似ているためらしい。



原っぱなどに生えているススキの群れは、風になびいて「おいで、おいで」をする。その様を、江戸時代の俳人・去来は「さよなら」に見立てた。「君が手もまじるなるべし花芒(はなすすき)」 見送ってくれる人の振る手が、銀の穂波と一緒にいつまでも揺れている。秋風の立つような余韻を残す。「夕焼、小焼、薄(すすき)のさきに火がついた」 これで全文の「薄」という童謡をつくったのは、北原白秋。秋の夕暮れは赤々と落ちていく。説明抜きの郷愁を、ススキは呼びさます。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

さて、この秋はどういう写真を撮ろう。ススキと月の写真などを撮ってみたい。秋の季語の「花野」をイメージして撮るのもよい。それだけの腕があれば…の話だが…と、天を仰いで思うこと。


 

このエントリーの情報

ページナビゲーション

(1) 2 »

 
     
お願い
画像等の著作権は、所有者または撮影者に帰属しています
画像等の無断転用は、固くお断りします
------------------------------
← に掲載以外の写真等は
もっと今京都
↓ ↓ ↓

------------------------------
《LINK》


XP canon


photocon

------------------------------
《ポチッとお願い》

にほんブログ村 写真ブログ 京都風景写真へ

にほんブログ村 写真ブログ 野鳥写真へ

にほんブログ村 写真ブログへ



PV Access Ranking
にほんブログ村

------------------------------
copyright Tsuwano
Screen Project

スズメ(rrbphoto)
ランダムスクロール
(表示30枚/全枚)
こんな1枚

シジュウカラ


ヒヨドリ


絵馬に願いを


手水舎


千本鳥居


幸せを感じるとき


哲学の道


影絵

pagetop