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rrbのブログ - 2009/10のエントリ

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今京都 ほっちっち 2009/10/12 12:00 am

っちっち
放っといて。「ホッチッチカモテナヤ」と唱える。放っておいてくれ、構わないでくれということ。しぐさを伴い、指先で頬を押さえてホッ、両方の乳房を順に押さえチッチ、手の甲をかいてカという。両手の人差し指で牛の角を作りモー、手を見せてテ、泣くまねをしてナと続く。矢を射るまねをしてヤで終わる。カモテナヤのナは禁止の意味で、構ってくれるなということ。要らぬお世話だという表現である。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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京都 花灯路と東山界隈











しばらくは、前回の嵐電沿線と嵐山界隈(2009年9月20〜30日掲載)に続いて、東山界隈を掲載しよう…今京都。


 

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今京都 べにさしゆび 2009/10/11 12:00 am

にさしゆび
薬指。婦人が紅をさすときに用いた指なのでいう。紅はもと、この指で指すべきものとの信仰があった。薬指というのも、この指で薬をつけるからである。呪力をもつ指との意識が、昔からあった。クスシユビともいった。平安時代からナナシ(名無し)ユビという語も見られた。他の指の名前として、京都では中指をタカタカユビ、小指をコヤユビ・コヤイビという。コヤユビは親指からの類推による。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(279)




 

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今京都 さぎしらず 2009/10/10 12:00 am

ぎしらず
鷺知らずは、ゴリなどの小魚をいう。ゴリのつくだ煮やイサザのあめ煮も呼ぶ。鷺もみつけられないほど小さい魚ということから名づけられた。小さいことをコマコイというが、コマコイ魚である。明治時代にできた「鉄道唱歌」の歌詞には、京都の名産品をならべた個所がある。「扇おしろい京都紅 また加茂川の鷺知らず」と歌われた。この名産の名前を復活させてみてはどうだろうか。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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見義民/御香宮神社 (旧フォトヴィレッジ 2007年9月22日掲載)
緑に包まれた京都市伏見区にある御香宮神社の築山に高さ約4mの白い石碑が立っている。石の表面には、江戸時代に命がけで町を救った七人の伏見義民(ふしみぎみん)をたたえる文が刻まれている。



「御訴訟でございます」1785(天明5)年、秋の江戸。下城途中の寺社奉行松平伯耆守を乗せたかごに、ふたりの男が駆け寄る。伏見の鍛冶職人文珠九助と、農業を営む丸屋九兵衛が差し出した訴状には、伏見奉行小堀政方の暴政が記されていた。当時、伏見は京都と大阪を結ぶ船の港があり、参勤交代の宿場町としても栄えた。幕府は政治、経済の要所として直轄の伏見奉行所を設けていた。



御香宮神社や氏子らでつくる伏見義民顕彰会などによると、小堀は幕府で権勢をふるった老中田沼意次の推挙を受けて着任したが、間もなく愛人らと酒におぼれる。その費用は増税や家の普請時に取り立てる御用金などで賄った。大飢饉の混乱も重なり、町衆は苦しめられた。



悪政に耐えかねた文珠ら伏見の町人七人は、処罰を覚悟で幕府への直訴を計画し実行。伯耆守の温情や権力争いの影響もあり小堀は罷免。しかし、直訴直後に病死した一人をのぞく六人が捕らわれ、四人は獄死、残る二人も江戸で取り調べ中に亡くなったとされる。



「直訴の成功は封建社会において衝撃的な事件だったはず。町民の誇りを示す出来事になった」と事件を物語風に記した「雨中之鑵子(うちゅうのかんす)」などの文献や義民の宿坊などゆかりの地も今に残る。「雨中之鑵子」は昭和初期の大恐慌時の混乱で散逸した。石碑は1887(明治20)年、義民の百年祭に合わせて伏見の有志らが建立。文は勝海舟、題字は三条実美が揮毫(きごう)したという。



碑は御香宮神社境内の南西にあり、門扉で閉ざされ近寄ることができない。碑に書かれた文字も見れなかったけれど、命がけで町を救った七人の伏見義民に触れることができた。18日には、顕彰会による恒例の慰霊祭が営まれ、義民たちを偲ぶという…今京都。


 

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今京都 ほうける 2009/10/08 12:00 am

うける
ぼんやりする。ぼれる。夢中になる。「勉強せんと遊びホーケテ、どもならん(どうにもならない)」 フケルと同系の語。人がぼんやりして平常心を失うさまをフケルといった。年を取ってフケルのは、時間的に深いということだろう。愚か者をフーケ・コケという地方があるが、「ぼける」とも無縁のことばではない。室町時代には「ほれる」は、年を取ってぼける、ぼんやりするの意味でも用いていた。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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風18号の影響、京都市内は大きな影響はなかったようです。皆さんのところはどうでしょうか? 無事でありますように…。

勝寺/ひょうたんに願い (旧フォトヴィレッジ 2007年9月8日掲載)
千本通から出水通を西に入ると、右手にどっしりとした福勝寺の山門が現れる。もともと九条家の屋敷の門だったといい、原則として、節分の日にしか開門されない。お寺は江戸時代、寺町通丸太町下ルにあったといわれ、宝永の大火(1708年)の後、現在の場所に移設された。当時、天皇の勅願寺として発展しており、今は「ひょうたん寺」の通称で親しまれている。



通称のいわれはお寺に伝わるひょうたんのお守り。正式な名前は「宝珠尊融通御守(ほうしゅそんゆうづうおんまもり)」。弘法大師が中国で学んだ、貧苦の衆生を救済する秘法「如意宝珠の修法」に由来する。「如意宝珠」とは何でも思い通りになるという不思議な玉。これをふたつ重ねた姿に似ているひょうたんが鎌倉時代ごろから用いられるようになったという。節分の日にしか授与されないお守りは口コミで評判になっていった。8年ほど前までは、熱心な参拝者が前日から列をなして開門を待っていたほどだという。現在では混雑を避けるため予約制をとっている。それでも節分の当日、境内は約3000人の参拝者でにぎわいをみせるというからスゴイ。



ひょうたんにまつわる別の故事もある。戦国時代に豊臣秀吉がお寺に信仰を寄せていた。秀吉は出陣のたびに武運長久を願って奉納したひょうたんで「千成ひょうたん」の旗印を作ったという。ひょうたんのお守りは壊れやすく、気軽に持ち歩くわけにいかない。そこで携帯用として扇子のお守りも授与している。「開いてしまうと御利益はない」という注意書きが添えられている。



すでに来年分の予約の手紙が京都だけでなく北海道や九州からも続々とお寺に届いているという。「来年のことをいえば鬼が笑う」というけれど、節分の日のことだけに笑えないかも知れない…今京都。


 

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今京都 もみない 2009/10/06 12:00 am

みない
まずい。うまくない。モムナイともいう。「モミナイもんどすけど、食べてみとくれやす」 ウマクナイ、ウモーモナイから変化した。味気無い、不満なの意味でも使う。「こんだけの分量ではちょっとモミナイな」「見とうもない」から「みっともない」を作ったように、「美味うもない」をウモムナイとし、「ウ」を省いた。アジナイの語に押されて、モミナイという人は少なくなった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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神社 (旧フォトヴィレッジ 2007年9月5日掲載)
夏の陽射しの強い中、「どこにあるのぉ!?」と自転車でグルグル走り回って、やっとたどり着いた「幸神社」。「さいのかみのやしろ」と読む。ここで愛を誓った男女の縁は永遠に結ばれると、古くから伝えられている。境内は、派手派手しさがなく、ひっそりしている。



お話は神話の時代にさかのぼる。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が複数の神々を連れて、天から日向の高千穂へ向かっていた。分かれ道にさしかかると、一行を待ち伏せる異形の神に出会った。背が高く、赤く輝く目を持ち、異様に長い鼻の男だった。



同行した一人の女神が男の前に出た。天岩屋戸に隠れた天照大神を、伏せたおけの上で踊ることで引き出すことに成功した天鈿女命(あめのうずめのみこと)だった。男と問答を繰り返すと、名前を猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)といい、一行を道案内するために参上していたことが分かる。無事に道案内の役目を果たした後、二人の神は結ばれた。



幸神社は猿田彦大神と天鈿女命をまつる。周辺地域は、平安京以前は出雲氏一族が本拠地としていたことから、主祭神の猿田彦大神は出雲路の道祖神でもあった。都ができると、平安京の鬼門の東北の神を担った。天と地を導き結んだとする二人の神にあやかり「縁結び」となったのかも知れないね。



同神社には男と女の思いをめぐる、もう一つのお話がある。それは境内の東北の隅に大小の石が重ねて置かれた石の神。道を守り、都の邪気を払うとして敬われてきた。



この石神が、おそらく狂言「石神」に登場する石神ではないかと考えられている。この狂言は夫と別れるのを石神に決めてもらうため、石を持ち上げられるかどうかをつづるものだ。境内では石神は安置され、触ったり持ち上げたりすることはできない。



社殿には色々な思いが書き込まれた多くの絵馬が飾られている。縁結びにあやかろうと参拝にきたわけでなく、「今京都」のために訪問したのではご利益がないかな、と思いつつ手を合わせて一心に祈る自分が滑稽。ここは縁結びの幸神社、御利益は「永遠の愛」ってとこかな…今京都。


 

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