rrbのブログ - 2009/05/09のエントリ
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今京都 はんなり 2009/05/09 12:00 am
はんなり
松尾芭蕉『炭俵』の中の桃鄰の句に「はんなりと細工に染まる紅うこん」とある。若い女性が手染めの紅色の袷(あわせ)を着て台所に立つ情景がしのばれる。ハンナリは陽気で、上品な、明るい形容に用いる。「この帯ハンナリした色合いどすな」のように主に色彩についていう。「この部屋を片付けたのでハンナリしましたな」と、すっきりした気持ちを表す時にも使用。ハンナリは「花也」から。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
太子道 (旧フォトヴィレッジ 2007年6月20日掲載)

現在、洛中碁盤の目の西端は西大路通。西大路通には三条、四条、五条はあっても、何故か二条はない。その代わりにあるのが「太子道(たいしみち)」。この「太子道」は洛中の旧二条通にはじまり、西大路通を気にすることなく突っ切って、古道の趣を漂わせて西の方まで続いている。洛中碁盤の目の中で、こういう道は珍しいといえる。この「太子道」はいったいどこを目指しているのか、そもそも「太子道」とは何なのか、とても気になる。

「お大師(だいし)さん」と「お太子(たいし)さん」。耳から聞けば紛らわしいが、「お大師さん」といえば「弘法さん」、すなわち京都では東寺に祀られている弘法大師信仰のことである。いっぽう「お太子さん」は「太秦のお太子さん」として、広隆寺のことをさすという。では「お太子さん」とは聖徳太子のことなのか?

太秦にある広隆寺は鎌倉時代、聖徳太子信仰が盛んになるとともに、京の人々の信仰のメッカになったという。そこで人々がめざした道が「太子道」。すなわち「太子道」とは洛中と広隆寺を信仰で結ぶ聖徳太子の道だったということ。聖徳太子といえば斑鳩の里の法隆寺。夢殿がそのシンボル。京都にも夢殿があるというから驚く。聖徳太子を祀るその夢殿をめざして、鎌倉時代の人々は「太子道」を歩いた。にもかかわらず京都の国宝・夢殿のことはあまり知られていない。広隆寺境内の西・築地塀(ついじべい)の中にその夢殿はある。

「桂宮院(けいきゅういん)」の名を持つ美しい八角円堂で、鎌倉時代の建立として国宝に指定されている。この「桂宮院(けいきゅういん)」の拝観は、4・5・10・11月の日曜日祝日のみということらしいが、それが京都の夢殿をいつまでもひそかに眠らせている理由かも知れない。

いずれにしても聖徳太子と京都がこれほどまでにつながるとは思っていなかった。聖徳太子が活躍した飛鳥時代は、京に都がやってくる200年ほど前のことなのに…。そういえば広隆寺の夢殿に聖徳太子が住んだという伝承があるということも聞いたような気がする、という京の街のお話…今京都。

松尾芭蕉『炭俵』の中の桃鄰の句に「はんなりと細工に染まる紅うこん」とある。若い女性が手染めの紅色の袷(あわせ)を着て台所に立つ情景がしのばれる。ハンナリは陽気で、上品な、明るい形容に用いる。「この帯ハンナリした色合いどすな」のように主に色彩についていう。「この部屋を片付けたのでハンナリしましたな」と、すっきりした気持ちを表す時にも使用。ハンナリは「花也」から。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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太子道 (旧フォトヴィレッジ 2007年6月20日掲載)

現在、洛中碁盤の目の西端は西大路通。西大路通には三条、四条、五条はあっても、何故か二条はない。その代わりにあるのが「太子道(たいしみち)」。この「太子道」は洛中の旧二条通にはじまり、西大路通を気にすることなく突っ切って、古道の趣を漂わせて西の方まで続いている。洛中碁盤の目の中で、こういう道は珍しいといえる。この「太子道」はいったいどこを目指しているのか、そもそも「太子道」とは何なのか、とても気になる。

「お大師(だいし)さん」と「お太子(たいし)さん」。耳から聞けば紛らわしいが、「お大師さん」といえば「弘法さん」、すなわち京都では東寺に祀られている弘法大師信仰のことである。いっぽう「お太子さん」は「太秦のお太子さん」として、広隆寺のことをさすという。では「お太子さん」とは聖徳太子のことなのか?

太秦にある広隆寺は鎌倉時代、聖徳太子信仰が盛んになるとともに、京の人々の信仰のメッカになったという。そこで人々がめざした道が「太子道」。すなわち「太子道」とは洛中と広隆寺を信仰で結ぶ聖徳太子の道だったということ。聖徳太子といえば斑鳩の里の法隆寺。夢殿がそのシンボル。京都にも夢殿があるというから驚く。聖徳太子を祀るその夢殿をめざして、鎌倉時代の人々は「太子道」を歩いた。にもかかわらず京都の国宝・夢殿のことはあまり知られていない。広隆寺境内の西・築地塀(ついじべい)の中にその夢殿はある。

「桂宮院(けいきゅういん)」の名を持つ美しい八角円堂で、鎌倉時代の建立として国宝に指定されている。この「桂宮院(けいきゅういん)」の拝観は、4・5・10・11月の日曜日祝日のみということらしいが、それが京都の夢殿をいつまでもひそかに眠らせている理由かも知れない。

いずれにしても聖徳太子と京都がこれほどまでにつながるとは思っていなかった。聖徳太子が活躍した飛鳥時代は、京に都がやってくる200年ほど前のことなのに…。そういえば広隆寺の夢殿に聖徳太子が住んだという伝承があるということも聞いたような気がする、という京の街のお話…今京都。

