ID : Pass :  | register
フォトヴィレッジ
(rrbのブログ)
上手い下手は関係なし
感じたままの気ままな
写真と言葉を掲載
*画像は全てリサイズ済*
 
------------------------------
《写真カテゴリ》
*
京都の町の
そぞろ歩きは
今京都
* *
スズメさんで
天を仰いで思うこと
* * *
四方山話は
おやかまっさん
* * * *
京都以外の町で
足の赴くままは
◆◆なう
------------------------------
色々とチャレンジする
rrbのブログ
フォトヴィレッジ




Photographer affectation
Delivered from Kyoto
Since 2006/4/25
Since 2007/12/9
(Renewal Start)
Copyright (C) 2006
www.rrbphotovillage.jp
All Rights Reserved
カレンダー
« « 2009 5月 » »
26 27 28 29 30 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 1 2 3 4 5 6
ご案内
今京都記事一覧
京ことば記事一覧
京が語源記事一覧
天を仰いで記事一覧
・スズメの写真
------------------------------
アクセスカウンタは
不具合のため
運用停止中
2017/9/27
過去ログ
     

rrbのブログ - 2009/05のエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

サイト全体のカテゴリーナビゲーション

今京都 よんべ 2009/05/31 12:00 am

んべ
昨夜のこと。ユンベとも。「ヨンベは、蒸し暑うて苦しおしたな」「ヨンベは遅うまでお仕事をしておいやしたな」「よべ」に基づく。「よべ」は平安時代から使用。『土佐日記』には「よんべのとまりより異泊を追ひて行く」 かつて一日の始まりは前日の夕方からで、暗い時間に先立つユウベが一昼夜の初めであった。昨晩をヨンベと言い、キノウノバンは一昨日の晩のことを指した。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。










蔵物語(263)




 

このエントリーの情報

今京都 おたのもうします 2009/05/30 12:00 am

たのもうします
お頼み申します、お願いします、ごめんください、のこと。「頼む」は手を合わせて祈るの意味からか。御所ことばを使用する尼門跡寺院では、他の尼門跡を訪問するとき、「オタノモーシマス」という。祇園花街でも舞妓や芸妓は日常よく使用する。タノモーは大徳寺など禅宗の本山で使われる。モノモーとも。かつて大聖寺尼門跡では、タノモーと言ってくると、ドーレと答えたという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

、その読みは? (旧フォトヴィレッジ 2007年9月13日掲載)
京都の夏の風物詩といえば、鴨川にせり出した「床」。この場合の読みは「ゆか」となる。しかし、貴船にも川床料理という貴船川に床を敷き詰めその上でいただく料理がある。この場合の読みは「かわどこ」となる。鴨川では必ず「ゆか」といい、「とこ」という呼び方は存在しない。そもそも京都にある「床」の歴史は鴨川に始まっているという。



鴨川の床の歴史は古く、豊臣秀吉の桃山時代にさかのぼる。もとは川の流れのなかで夕涼みをする床几(しょうぎ)の形式だったそうだ。それが現在の高床式(たかゆかしき)になったのは、江戸時代から何度か行なわれた河川改修によるということ。明治時代には川に床几、護岸沿いに高床と二本立てだったようだが、大正時代に鴨川から中州が消えて、川の中に床几が出せなくなってしまったという。この「高床」という言葉は、戦後の1951(昭和26)年、京都府の「鴨川の高床について」という許可基準の通達に見られる。そして、翌年に、この通達が「鴨川納涼床について」と改訂されている。鴨川の床は、床几形式に対して、高床式の「ゆか」をさす。府の通達で「高床」が「納涼床」に転じれば、それは「ゆか」以外の何物でもないといえる。



一方、貴船や高雄の川床は、鴨川の床料理と区別するために、あえて「川床料理(かわどこりょうり)」としたのではないか。「かわゆか」より「かわどこ」のほうが呼びやすいといえば呼びやすい。貴船でも高雄でも「お食事はゆかでなさいますか」という。場所をさすときの漢字一文字は「ゆか」。漢字二文字となれば「かわどこ」。料理をさすとなれば「かわどこりょうり」となるようだ。



これに違いないと思いきや、
お問い合わせありがとうございます。ご質問の件、当方も理由はわかりません。同様のご質問はよくお聞きしますが、はっきりしたお返事をできない現状です。たぶん明示できるような資料もないと思います。貴船の川床の始まりは大正期になります…
と、貴船観光協会に問い合わせたときの返答。「ゆか」と「とこ」の定義について、この仮定が正しいかどうか確認しようと問い合わせたときの回答である。これでは解決にはならないではないか…と、再度、改めて調べなおすことにしよう。



しかし、これだけは断言できる。鴨川は「ゆか」以外に呼び名はない。京都へ来られて鴨川にせり出している床を見て、「とこ」とは決して言わないように。京都以外の人の8割が、鴨川の床を「とこ」と呼ぶそうだ。少し京都人を気取って「ゆか」って呼んでみてはいかが? 「どうぞ、寄っておいきやすぅ」と優しい口調で女将のお誘いがあるかも、という京の街のお話…今京都。


 

このエントリーの情報

今京都 どくしょうな 2009/05/28 12:00 am

くしょうな
東京で「ひどい」というのを京都では江戸時代からドクショウナと使った。しんらつな、むごたらしいことで、毒の性質のある「毒性」という意味から。「あいつにドクショウナこと言われた」 「毒性」は意地の悪いこと。式亭三馬『浮世風呂』にもある。「今年の稲作はドクショーもんだった」のように京都府北部でも使用。アキショウナ、アクショウナ、アクショナともいい、「悪性」に基づいている。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

子(ずし) (旧フォトヴィレッジ 2007年7月8日掲載)
京都では路地のことを「ろうじ」と呼ぶ。ところが、漢字で書けば同じ「路地」でも「ろうじ」以外にも「ろじ」という呼び方も使う。その使い分けは、縦横の通りに囲まれた洛中の四角いマス目を、次の通りまで真っ直ぐに抜けている場合は「ろじ」、奥で行き止まりになるような場合は「ろうじ」だということ。これは京都学の入門だというから驚き。さらに存在している呼び方が「筋(すじ)」。こちらは「ろじ」がさらに次の四角いマス目まで続いてのびている場合で、「通り」に近い感覚だという。しかし、「筋」という呼び方はあまり記憶にない。さて、ここにもうひとつ存在する呼び名がある。それは「図子(ずし)」。この図子は、まちのマス目のなかで、ひとマスの中だけに自然発生的にできた通路のことをいうそうだ。だから折れ曲がっていたり、袋小路になっていたり、斜めになっていたりする。



図子は以前「辻子(ずし)」と表記されていた。意味からすれば「辻子」のほうがわかりやすいかも。つまり図子は辻のようで辻まで行かない「辻の子ども」ということ。「ろじ」や「ろうじ」には呼び名はついていないが、図子にはその土地に密着したユニークな名前がついていることが多いという。しかし、現地にいってもどこにも標識はついていない。地元の人だけが口伝で呼んでいるだけである。その代表的なものに、白梅図子(しらうめずし)、膏薬図子(こうやくのずし)、了頓図子(りょうとんのずし)、地獄図子(じごくずし)、撞木図子(しゅもくのずし)、虱図子(しらみのずし)がある。白梅図子は上京区河原町通の今出川通と広小路通のほぼ中間地点を西へ入り、寺町通へ抜ける小路。南面は本禅寺の塀、北面塀、北面は栄町・新夷町・扇町の横頬(よこつら)になるために、町通りにならず辻子として推移したという。幕末のころは遊女街として大いに栄え、白梅は遊女の名前だったという説もある。明治維新ののち茶屋が次第に減り、廃止にいたったとのこと。


白梅図子(しらうめずし)


白梅図子(しらうめずし)

膏薬図子は四条通新町西入のなかほどから南に下がり、鍵型に曲がって綾小路通に抜ける小路。平安時代、空也(こうや)上人がここに供養の道場を開いき、人々はそれを「空也供養(こうやくよう)」の道場と呼んだ。それがなまって「こうやく道場」となり、膏薬の名がついたという。この膏薬図子の近くには京の代表的な町家のひとつである杉本家がある。


膏薬図子(こうやくのずし)


膏薬図子(こうやくのずし)

了頓図子は三条通室町西入の中ほどから南へ下がり、六角通へ抜ける小路。ここは了頓図子町という地名がついている。「安土桃山期の茶人広野了頓がここに邸宅(茶亭)を構え、邸内の南北通り抜けを許したために図子が生まれたという。やがてこれらの図子も街撮りしたいと思うが、「ろじ」と「ろうじ」の区別はともかく、「ろじ」と「ずし」の区別がつくかどうか、ちょっぴり不安だ、という京の街のお話…今京都。


 

このエントリーの情報

今京都 そやかて 2009/05/26 12:00 am

やかて
だからといって。だって。「ソヤカテ、そんな難しい問題、誰もでけへんと思うわ」 ソヤは「そうだ」の意味。カテは副助詞で「からとて」の意。ソーカテとも。「ソーカテ、こっちのいうことも聞いとくりゃす」「今からカテ遅いことあらへん」「さんなんうちカテ知ってるわ」 カテの代わりにテだけで、「言うたテええやろ」「見せたテかまへんやないか」のようにも使う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

襲の証・西陣 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月16日掲載)



京都市上京区下立売通智恵光院西入に油の専門店「山中油店」がある。初代平兵衛が現在の地に店を構えたのが、江戸後期の文政年間(1818-1829)。以来、油の専門店として200年近くの歴史を守っている。山中油店がある土地は、時をさかのぼること平安時代には内裏(天皇のお住まい)の一角であり、室町時代に足利義満が室町殿を造営してからこの一帯はたいへん賑やかな所となった。



ここ下立売(しもだちうり)通はたくさんの商人が路の傍らに立ち、物を売っていたことからその名が付けられ、北の上立売(かみだちうり)通、中立売(なかだちうり)通と共に東西を結ぶ重要な往還路として発展した。1855(安政2)年に建てられたこの店は昔の面影を充分に残している。と、山中油店の宣伝をするつもりではない。



以前に、1945(昭和20)年6月26日の早朝に京都市上京区の西陣出水・正親地区に空襲があったことを記載した。その空襲の爆弾の残骸がこのお店の通りに面したショーウインドウに展示されている。京都の空襲はその数が少ないとはいえ、確かにあった。空襲の証を展示し、戦争の悲惨さや無意味なことを今に伝えている。



また、この辺りは「出水(でみず)」といわれ、水が豊かに湧き出る所。その井戸水を利用して、小さな池が作られ、水車がまわっている。戦争の残骸の横で、回る水車。その音は戦争の無意味さや愚かさを訴えているように聞こえた。今に伝える西陣空襲の証…今京都。


 

このエントリーの情報

今京都 かまへん 2009/05/24 12:00 am

まへん
相手が何か失敗した時に、「カマヘン、カマヘン、そんなこと気にせんといて」というと、相手の心は和む。カマヘンは「構わない」ということ。カメヘンともいい、カマシマヘンと丁寧に使う。「失敗してもダイジナイ」の大事ないは、差し支えない、大したことはないの意で、丁寧にいう時はダイジオヘン・ダイジオマヘンとも。ダイジョーオヘンというところもある。ダンナイしダイジナイに基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。










蔵物語(262)




 

このエントリーの情報

ページナビゲーション

(1) 2 3 4 »

 
     
お願い
画像等の著作権は、所有者または撮影者に帰属しています
画像等の無断転用は、固くお断りします
------------------------------
← に掲載以外の写真等は
もっと今京都
↓ ↓ ↓

------------------------------
《LINK》


XP canon


photocon

------------------------------
《ポチッとお願い》

にほんブログ村 写真ブログ 京都風景写真へ

にほんブログ村 写真ブログ 野鳥写真へ

にほんブログ村 写真ブログへ



PV Access Ranking
にほんブログ村

------------------------------
copyright Tsuwano
Screen Project

スズメ(rrbphoto)
ランダムスクロール
(表示30枚/全枚)
こんな1枚

シジュウカラ


ヒヨドリ


絵馬に願いを


手水舎


千本鳥居


幸せを感じるとき


哲学の道


影絵

pagetop