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rrbのブログ - 2009/10のエントリ

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天を仰いで思うこと すんまへん 2009/10/26 12:00 am

んまへん
すみません。恐れ入ります。「お先に失礼してスンマヘン」「いつもお世話になりスンマヘン」 心が澄まない意からで、謝罪のときにも、感謝するときにも使う。祇園の舞妓・芸妓がよく口にする。スマンの丁寧語。スイマヘン・スイマセン・スミマヘンとも。「スンマヘンこんなことお願いしまして」と、スンマヘンを前出したり、「ちょっとスンマヘンケド」と、あらかじめ容赦の気持ちを伝える表現もある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(79)
いわし雲に思うこと



秋の澄んだ青空一面に、白い雲が斑点状に広がる様子が、海で鰯(いわし)が群れているように見えることから「いわし雲」という。また、鯖(さば)の背の斑点のように見えるので「さば雲」、魚の鱗に似ているので「うろこ雲」ともいう。



高度5000から13000mに生じる巻積雲(けんせきうん)のことで、この雲がでると、秋が深まっていくことが実感できる。今年はまだ見ていない。この雲は、漁師にとっては鰯の大漁の兆しでもあったそうだ。


(京都・嵯峨野 化野念仏寺)

「鰯雲化野(あだし)の墓隙間なし」と詠んだのは藤井艸眉子だったか…。先日訪れた、化野(あだし)の念仏寺はまだ秋の気配は浅かった…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 ぼっかぶり 2009/10/25 12:00 am

っかぶり
大きいアブラムシ。ゴキブリからボッカブリとなまった。御器(ごき)は食物を盛る蓋付きの椀。カブルは、かじるの意。台所に出て食器・食品をかじる。一般にゴキブリという。祇園のお茶屋では、台所へ来て、無駄話に時間を過ごす客をあざけってアブラムシという。アブラムシは油に浸したような光沢がある。油を売る、怠けることをアブラトルという。主人の目をぬすんで怠ける者はアブラトリ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(280)




 

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今京都 むしくしする 2009/10/24 12:00 am

しくしする
「おなか(腹)がムシクシスル」は腹がちくちく痛むのをいう。「あいつのすることを見ているとムシクシスルわ」のムシクシは、腹が立って耐えられない、むしゃくしゃすること。ムシは「腹の虫」、クシは「苦しい」ことである。今の若者のキレル状態である。「思わせぶる」ことをムシオコシという。「こんなムシオコシやったら、ないのと同じこっちゃ」のムシも腹の虫で、食欲、さらに欲を起こさせること。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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かずの鐘/報恩寺 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月3日掲載)
織屋の町、西陣の一角に浄土宗の報恩寺がある。境内の一角にある鐘は、高さ120cm、直径81cm、重さ1.5トン。平安時代に作られた。江戸時代の大火の中でも残り、重要文化財に指定されている。昔、つらい奉公や夜なべの仕事に励んだ織女(おへこ)たちは、報恩寺の朝夕の鐘で、仕事の始めや終わりの時間を知ったという。今は、除夜以外は突かれることのない「つかずの鐘」から、悲しい音色と逸話が響いてくる。



話は江戸時代にさかのぼる。寺の近くに古い織屋があった。店には15歳の丁稚(でっち)と13歳の織女が働いていた。この2人は何故か仲が悪く、顔を合わすと喧嘩ばかりでお互いにいがみ合っていたという。ある時、2人は報恩寺の夕方の鐘の数をめぐって口論になる。織女は「9つ」、丁稚は「8つ」と主張。そして「間違った方が何でもする」と約束した。



そのいがみ合いが事件を引き起こす。年上で悪知恵のはたらく丁稚がこっそり店を抜けて寺男に問うと、正解は織女の「9つ」。そこで丁稚は「今日だけは数を8つにして欲しい」と頼み、事情を知らない寺男は気軽に引き受けてしまう。その日の夕方、鐘の数を数えていたところ、9つめが鳴らない。丁稚から、さんざん悪口を浴びせられた織女は悔しさのあまり、鐘楼に帯をかけ首を吊ってしまう。その後、恨めしげな表情の織女の霊が現れるようになり、寺も鐘を突くのをやめてしまい、代々「つかずの鐘」として伝わってきたという。



話はさらに続く。近年、織女と丁稚の話を再現ドラマにとテレビ番組で撮影を頼まれ特別に鐘を突くのを許したことがある。しかし、織女役の女優が鐘楼の梁にぶら下がろうとしたところ、ささくれた木が手に刺さったというエピソードもあるという。



今では大みそかだけ法要の後に108の鐘が突かれる。ボーン、ボーンと美しい余韻をひいて鐘が鳴る。織女の嘆きのようにも聞こえる繊細な音色が風に乗り、今も街に流れる手機の音と重なる。平成の今、家族の間でも悲しい事件や争いごとが絶えず人同士の対話がない。言い伝えは、煩悩をなくし、みんな仲良く暮らせという戒めなのだろうか…今京都。


 

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天を仰いで思うこと にじくる 2009/10/23 12:00 am

じくる
「そんなにあっちゃこっちゃニジクルもんやない」 なすりつける。塗りつける。ニシクルともいう。擦り付ける。じりじりと押し付けるの意味のニジルに、繰り返す、こね回すの意味のクル(繰る)をつけて作った。「にじり寄る」「にじり出る」というし、茶室には「にじり口」がある。「にじり書き」といえば、筆を紙に押さえ付けるようにして下手な文字を書くことになる。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(78)
橋に思うこと



京都には、観月橋と渡月橋という橋がある。いずれもそこそこ有名だろう。
観月橋は、鎌倉時代末期から、桂橋(両郡橋又は指月橋)と称し存在した。桃山時代に、豊臣秀吉が豊後大友氏に命じ伏見から向島の間に長さ200m橋を架ける。豊後(ぶんご)橋と呼ばれる。江戸時代を通して18回の架け替えや修復の工事が行われた。鳥羽・伏見の戦で豊後橋が焼け落ちる。川の流れが速いため復旧に難儀したそうだ。その間は、渡し船が就航。1873(明治6)年に橋が再建、この時に橋脚の柱や高欄が鉄製になる。月を観るのに好適の場所にあるということから、「観月橋」と呼ばれるようになった。
一方、渡月橋は、承和年間(834-848)に僧・道昌が架橋したのが始まりとされ、現在の位置には、後年に角倉了以が架けたとされる。現在の橋は1934年(昭和9年)完成。橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製だが、欄干部分は景勝地である嵐山の風景にとけ込むよう木造。観光パンフレットなどには、この橋が写り込んだ写真が多用され、また、映画やテレビドラマの撮影で多用されていることもあり、観光地としての嵐山を象徴する橋ともなっている。欄干が木造であることから、自動車が欄干に衝突した際に欄干を破損して車が川底に落下したり、捨てられた煙草の火によって欄干が燃える事故が発生することがある。亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて、「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから「渡月橋」と名付けられる。



このふたつの橋に共通する項目は、「月」である。
さて、京都の人に「観月橋は東西、南北のどっちに架かっている?」と聞くと、凡その人から、「南北」と正解が返ってくる。しかし、「渡月橋は?」という質問に対しては、凡その人が、「東西」と間違って答える。実際に渡月橋を渡ったことがある人に聞いても「東西」と間違って答える。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

この間違いはどこからくるのか…。恐らく、京都人にとって観月橋は京都の南にあり、北から南向いて行った進行方向のまま渡るから「南北」と正しく答えられる。しかし、渡月橋は京都の西にあることから、東から西に行ったところにあるため、錯覚し間違うのであろうと推測する。ちなみに四条通に架かる「松尾橋」については、正しく「東西」と答える。
念のために、地図を掲載しておく。





それにしても、「月を観る」だの「月が渡る」だの、京都での先人たちの生活感性は素晴らしい…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 あか 2009/10/22 12:00 am


小豆のこと。御所ことばに基づく。色が赤いのでいう。宮廷の日記に「上らふ(上臈)よりきんとん(金団)にあか(小豆)の入りたるまいる」とある。アカゾロは、煮た小豆に砂糖をかけたもの。アカノカチンは、小豆餡を付けた餅で、カチンは餅のこと。尼門跡寺院ではアカノオカチンという。標準語のアズキは、「斎(いつき)」という語と関係があろう。身を清め神に仕える「斎」の始終に、小豆を餅に塗った。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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曳絵馬/御香宮神社



境内にわき出る名水「御香水」を汲みに訪れる人が絶えない御香宮神社。拝殿の東にある絵馬堂に入り、天井付近を見上げると、猿曳(さるひき)の様子を描いた絵馬が飾られている。猿曳とは今でいう猿回しのこと。絵馬は横約2.5m、縦2m。鳥居のそばで芸を披露する帽子姿のサルなどが、レリーフのように立体的に彫られている。図柄の内容については、江戸時代の名所記「京童跡追」などから現在に伝わる。



ある日、諸国を巡っていた猿使いが、同神社にたどり着いた。疲れと空腹のあまり、息も絶えかけていたところ、肩に乗っていたサルが駆け出し、神前にわき出る水を両手ですくい、主人の口に注いだ。すると、猿使いは夢中になって飲み出し、香り高い水の味わいにたちまち元気になり、「これは神の力に違いない」と一曲を舞って感謝を示したという。



「いわゆる、霊水神話の一つ」。絵馬は江戸時代の1646年、願主後藤庄兵衛、作者前田六之丞として奉納されたとされる。伝説と奉納、どちらが先かは定かではない。現在は金網がかぶせられている。実はこの金網にもいわれがある。絵馬の奉納後、近くで夜な夜な作物が荒らされる事件が相次いだ。たまりかねた住民たちは夜の番を続けた。ついに、夜に田畑を荒らす一匹のサルを見つけ出し、住民が手にしていた鎌で切りつけたが、サルは逃げてしまった。すると翌朝、絵馬のサルの腕がなくなっていた。金網は、絵馬からサルが抜け出さないようにかぶせられたそうだ。その完成度の高さは、江戸時代に活躍し落語や講談の題材でも知られる伝説的な彫刻師左甚五郎が作った、と誤って伝えられるほどだというから、絵馬の出来の良さから生まれた伝説だと推測する説もある。



大きなヒノキ材で組み上げられた絵馬堂には、馬や武士などが描かれた大小百数十枚の絵馬が残る。かつてはいろんな絵を楽しめる、町のギャラリーのような場所だったのかも知れないね。人が集い、優れた作品があるところから、さまざまなうわさや物語が生まれるのは、今も昔も変わらない。





御香宮神社の名前の由来にもなった御香水は伏見七名水の一つで知られる。絵馬堂内は自由に出入りできる。毎秋営まれる神幸祭では、神輿の渡御をはじめ、氏子地域で華やかな花傘が作られ、同神社に集まる花傘総参宮などでにぎわう。弓矢で悪鬼を追い払う2月の「御弓始(おゆみはじめ)」では、氏子が練習をせずに本番に臨み、的に当たるまで弓矢を射続けるという、ここは京都市伏見区御香宮…今京都。




おまけ 現代の猿回し 猿の名は「たけちゃん」、だったと思う


 

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