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rrbのブログ - 2009/05のエントリ

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天を仰いで思うこと おいでやすおこしやす 2009/05/11 12:00 am

いでやすおこしやす
「ようこそいらっしゃいました」をオイデヤスという。もっと丁寧な感じを表現する時にはオコシヤス。また、「オイデヤシトクレヤス」「ようこそオコシヤシトクレヤシタ」の言い方もある。銭湯などでは来た客にも帰る客にも使い、帰る客には「またオイデヤス」と声をかけた。接頭辞「オ」と接尾辞「ヤス」をはさむ敬語表現は京ことばに多い。「オ読みヤス」「オ書きヤス」など。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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のネタ雑学(40)
日焼けのあとがかゆいのはなぜ?



天ぷら油などが飛んで火傷したとき、赤く晴れてヒリヒリ痛み、水膨れになることがある。やがて治ってくると、皮は茶色くなってむけてしまう。日焼けもこれと同じ。つまり軽い火傷である。だから、日焼けのひどいものは水膨れになるし、時間が経てば皮がむけてくる。


(季節は過ぎたけれど、まだ在庫があるので掲載)

ところで日焼けが痒いのはなぜだろう。それは痛みとかゆみは兄弟のようなもので、痛みがうんと軽いときは、かゆく感じられる。皮膚には痛みを感じる痛点がある。痛点をそっと触れるとゾクゾク感じる。これがかゆみである。やけどをしたり、蚊に喰われたときは、皮膚のすぐ内側の小さな袋が破れて、中からヒスタミンというかゆみの成分がでる。このため、痛さが強くないときはかゆみを感じるのである。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

かゆみ止めには、ヒスタミンを抑える成分が入っている。かゆいときにかくともっとかゆくなるのは、かくことでヒスタミンの袋がさらに破れて、ヒスタミンがたくさんでるからである。これからの季節、日焼けにも注意をしたい…と、天を仰いで思うこと。
★前回はここ(←クリック)


 

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今京都 おおきに 2009/05/10 12:00 am

おきに
今後ともぜひ残したいと京都人が思う京ことばの代表は、感謝の意を表すオオキニである。「オオキニありがとう」の「ありがとう」を略してオオキニだけでサンキューの意味になった。大変。大いにの意。「ちょっと頼みますわ、オオキニ」とオオキニを添えれば気さくな気分になる。褒められてオオキニと軽くいなすことも。慣用句の「オオキニはばかりさん」は、「どうもありがとう、ごくろうさん」のこと。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(260)




 

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今京都 はんなり 2009/05/09 12:00 am

んなり
松尾芭蕉『炭俵』の中の桃鄰の句に「はんなりと細工に染まる紅うこん」とある。若い女性が手染めの紅色の袷(あわせ)を着て台所に立つ情景がしのばれる。ハンナリは陽気で、上品な、明るい形容に用いる。「この帯ハンナリした色合いどすな」のように主に色彩についていう。「この部屋を片付けたのでハンナリしましたな」と、すっきりした気持ちを表す時にも使用。ハンナリは「花也」から。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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子道 (旧フォトヴィレッジ 2007年6月20日掲載)



現在、洛中碁盤の目の西端は西大路通。西大路通には三条、四条、五条はあっても、何故か二条はない。その代わりにあるのが「太子道(たいしみち)」。この「太子道」は洛中の旧二条通にはじまり、西大路通を気にすることなく突っ切って、古道の趣を漂わせて西の方まで続いている。洛中碁盤の目の中で、こういう道は珍しいといえる。この「太子道」はいったいどこを目指しているのか、そもそも「太子道」とは何なのか、とても気になる。



「お大師(だいし)さん」と「お太子(たいし)さん」。耳から聞けば紛らわしいが、「お大師さん」といえば「弘法さん」、すなわち京都では東寺に祀られている弘法大師信仰のことである。いっぽう「お太子さん」は「太秦のお太子さん」として、広隆寺のことをさすという。では「お太子さん」とは聖徳太子のことなのか?



太秦にある広隆寺は鎌倉時代、聖徳太子信仰が盛んになるとともに、京の人々の信仰のメッカになったという。そこで人々がめざした道が「太子道」。すなわち「太子道」とは洛中と広隆寺を信仰で結ぶ聖徳太子の道だったということ。聖徳太子といえば斑鳩の里の法隆寺。夢殿がそのシンボル。京都にも夢殿があるというから驚く。聖徳太子を祀るその夢殿をめざして、鎌倉時代の人々は「太子道」を歩いた。にもかかわらず京都の国宝・夢殿のことはあまり知られていない。広隆寺境内の西・築地塀(ついじべい)の中にその夢殿はある。



「桂宮院(けいきゅういん)」の名を持つ美しい八角円堂で、鎌倉時代の建立として国宝に指定されている。この「桂宮院(けいきゅういん)」の拝観は、4・5・10・11月の日曜日祝日のみということらしいが、それが京都の夢殿をいつまでもひそかに眠らせている理由かも知れない。



いずれにしても聖徳太子と京都がこれほどまでにつながるとは思っていなかった。聖徳太子が活躍した飛鳥時代は、京に都がやってくる200年ほど前のことなのに…。そういえば広隆寺の夢殿に聖徳太子が住んだという伝承があるということも聞いたような気がする、という京の街のお話…今京都。


 

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天を仰いで思うこと よーいやさー 2009/05/08 12:00 am

ーいやさー
祇園甲部歌舞練場で開催する都をどりの開幕のときの囃子(はやし)ことばである。囃子と三味線の軽やかな音色とともに幕が上ると、地方(じかた)の筆頭から「みやこおどりわー」と独特のよく通る声が響く。それを受けて、舞妓たちが、「ヨーイヤサー」と東西の花道から列をなして華やかに舞台へと進み出る。都をどりは、1872(明治5)年の京都博覧会の余興として行われたのが最初である。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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のネタ雑学(39)
泣くと涙や鼻水が出るのはなぜ?



焚き火の煙に巻かれたり、強い北風に当たったり、玉ネギの皮をむいたりすると涙がでる。これは目を刺激するものを洗い出そうと涙の量が増えるため。ふだんでも涙は目を乾かさないように流れている。でも、目の内側にある涙道から鼻へ流れる量が少ないので見えない。


(季節は過ぎたけれど、まだ在庫があるので掲載)

しかし、涙の量が増えると、涙道では処理しきれず目からあふれ出てくる。もちろん涙道からも洪水となって鼻腔へ流れる。これが鼻水。ところで生まれてから数ヶ月の間、赤ちゃんは涙を流さない。感情的に流す涙は自分の気持ちを伝えるのに効果的だと学習して、はじめて出るものだから。女性が男性よりよく涙が出るのもこの学習をした成果である。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

欠伸をしても涙が出るが、これは顔の筋肉が動かされることで、涙道に流れる前に溜めておく涙嚢(るいのう)という袋が圧迫されるため。だから何回も欠伸をしていると涙はでなくなる。女性の涙は学習のたまものであるということにご用心!…と、天を仰いで思うこと。
★前回はここ(←クリック)


 

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今京都 おはようおかえり 2009/05/07 12:00 am

はようおかえり
小学校へ朝登校する児童らに、家の者は「オハヨウオカエリ」という。会社に出勤する父には「オハヨウオカエリヤス」と丁寧に見送る。このあいさつをする家庭が京都でも少なくなった。「早く平穏無事に帰ってくれるように」との願いが込められている。もっとも祇園花街の舞妓や芸妓を送り出す子方屋(置屋)では、彼女たちに早く帰られては商売に差し障るので、ただ、「イットイナハイ」という。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(259)




 

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