rrbのブログ - 2009/03/12のエントリ
ヘッダーナビゲーション
現在のカテゴリー位置
サイト全体のカテゴリーナビゲーション
今京都 走馬灯 2009/03/12 12:00 am
そうまとう…回りどうろう。中にあるろうそくに火をつけると、影絵が次々に回って見えるもの。
◇ちょっと予備知識 → 「走馬灯のように」というかたちで、過ぎ去った昔のことを次々に思い出す場合に使う。
ん〜…、最近は再掲ばかりで少し飽きてきた。早く本来の形に戻したいが、旧フォトヴィレッジのサーバーも不調だし。旧フォトヴィレッジのときは何日かに分けて掲載した内容でも、再掲は分けずに掲載するようにしよう…と思う。
村祭り(童謡物語第4弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年10月25日掲載)
「村祭り」
文部省唱歌
村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭り日
どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら
朝から聞こえる笛太鼓
年も豊年満作で 村は総出の大祭り
どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら
夜までにぎわう宮の森
みのりの秋に神様の めぐみたたえる村祭り
どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら
聞いても心が勇み立つ
祭りは春夏秋冬、どの季節にも存在する。この「村祭り」は秋の祭りの歌。
♪ 年も豊年満作で
となっているから、米の収穫祭の歌であることが容易に想像できる。村の人々は今年も稲刈りが終わり、ほっとした気分を持ちながら神々に感謝の念を抱く。日本の風景や日本人の気質を見事にとらえた歌だといえるのではないだろうか。しかし、そんな願いと喜びにあふれるこの歌を知らない子供たちが多くなっているという。理由は学校でこの歌を教えなくなったからということであるが、教えなくなった理由というのがちょっと驚く。

この唱歌が、はじめて教科書に載せられたのは1912(明治45)年。第122代天皇である明治天皇の在位は、この歌が生まれた年にすでに45年目を迎えていた。その長期を寿ぎこの歌も作られたという。天皇は、それまでの徳川封建国家を一新し、世界の大国のひとつに成長させる。国会の開設や学校制度の確立、身分制度の廃止など日本の近代化を急速に進める。まさに「神としてのお働き」。だから、当時、三番の歌詞は
♪ 治まる御代に神様の めぐみあおぐや 村祭り
となっており、戦後になって天皇が人間宣言をするとともに、今の
♪ みのりの秋に神様の
に変化していったそうだ。それからは長いことこの歌は必ず学校で教わる歌として君臨し続けた。日本の祭りのルーツ、日本の主食である米への感謝、そして農民へのねぎらいといった大切な日本の心がしっかりと描かれている歌だったからに違いない。

日本人は農耕民族。手をかけ時間をかけて、秋に主食である米を収穫する人々が多くを占める国。米ができるまでは、春の田植えに始まってやっと訪れる実りの秋まで優に半年を要す。太陽のめぐみ、米のめぐみに感謝し、降りすぎても降らなすぎても命取りになる雨の神、つまり天の神に祈りをささげる。草取り、虫の駆除、ねずみや野鳥の被害などを切り抜けたにもかかわらず、収穫前に無残にも押し寄せる台風。俗に半年で八十八回も手がかかるとされるのが米作りである。そんな手間隙がかかる米作り。しかし、それが生きるすべだった。だからこそ収穫が終わると人々は喜び勇んだ。苦労から解き放たれるひと休みの期間の到来。同時にたまったストレスからの解放。そこにやってくるのが待ちに待った
♪ 神様の めぐみたたえる村祭り
なのである。
この歌は日本の祭りのルーツを歌を通して教えている。五穀豊穣、豊年満作への感謝と翌年の祈願が祭りを発祥させたのである。つまり人は生きるために働く、懸命に働いて働いて働き抜けば、その後に必ず幸せが訪れるという日本人気質こそが、楽しい収穫祭を生んだといえる。そんな大事なことを教えてくれるこの歌が教科書から消えたのは、1962(昭和37)年に端を発する。どの都道府県にもあった村が町村合併で消えていくことにある。教科書は全国で使用されるもの。たとえひとつふたつの県だけであっても、村が存在しなくなったとき、この歌は時代にそぐわない歌と決めつけられ、自然と教科書から消されていった。今、日本語の大切さや日本文化の継承が叫ばれている。こういった古きよき時代の教訓こそ、しっかり子孫に受け継がなければならないのではないだろうかと感じる。

♪ どんどんひゃらら どんひゃらら
ウキウキしてくる祭りの興奮。祭りの喜びは苦労の後のご褒美。やらなければならないことをしなければ、後についてくる喜びもない。ごくごく当たり前なことなのに、何故か欠けてしまったそんな教えをこの歌はしっかりと教えてくれているのではないだろうか…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第3弾「赤とんぼ」はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → 「走馬灯のように」というかたちで、過ぎ去った昔のことを次々に思い出す場合に使う。
ん〜…、最近は再掲ばかりで少し飽きてきた。早く本来の形に戻したいが、旧フォトヴィレッジのサーバーも不調だし。旧フォトヴィレッジのときは何日かに分けて掲載した内容でも、再掲は分けずに掲載するようにしよう…と思う。
村祭り(童謡物語第4弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年10月25日掲載)
「村祭り」
文部省唱歌
村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭り日
どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら
朝から聞こえる笛太鼓
年も豊年満作で 村は総出の大祭り
どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら
夜までにぎわう宮の森
みのりの秋に神様の めぐみたたえる村祭り
どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら
聞いても心が勇み立つ
祭りは春夏秋冬、どの季節にも存在する。この「村祭り」は秋の祭りの歌。
♪ 年も豊年満作で
となっているから、米の収穫祭の歌であることが容易に想像できる。村の人々は今年も稲刈りが終わり、ほっとした気分を持ちながら神々に感謝の念を抱く。日本の風景や日本人の気質を見事にとらえた歌だといえるのではないだろうか。しかし、そんな願いと喜びにあふれるこの歌を知らない子供たちが多くなっているという。理由は学校でこの歌を教えなくなったからということであるが、教えなくなった理由というのがちょっと驚く。

この唱歌が、はじめて教科書に載せられたのは1912(明治45)年。第122代天皇である明治天皇の在位は、この歌が生まれた年にすでに45年目を迎えていた。その長期を寿ぎこの歌も作られたという。天皇は、それまでの徳川封建国家を一新し、世界の大国のひとつに成長させる。国会の開設や学校制度の確立、身分制度の廃止など日本の近代化を急速に進める。まさに「神としてのお働き」。だから、当時、三番の歌詞は
♪ 治まる御代に神様の めぐみあおぐや 村祭り
となっており、戦後になって天皇が人間宣言をするとともに、今の
♪ みのりの秋に神様の
に変化していったそうだ。それからは長いことこの歌は必ず学校で教わる歌として君臨し続けた。日本の祭りのルーツ、日本の主食である米への感謝、そして農民へのねぎらいといった大切な日本の心がしっかりと描かれている歌だったからに違いない。

日本人は農耕民族。手をかけ時間をかけて、秋に主食である米を収穫する人々が多くを占める国。米ができるまでは、春の田植えに始まってやっと訪れる実りの秋まで優に半年を要す。太陽のめぐみ、米のめぐみに感謝し、降りすぎても降らなすぎても命取りになる雨の神、つまり天の神に祈りをささげる。草取り、虫の駆除、ねずみや野鳥の被害などを切り抜けたにもかかわらず、収穫前に無残にも押し寄せる台風。俗に半年で八十八回も手がかかるとされるのが米作りである。そんな手間隙がかかる米作り。しかし、それが生きるすべだった。だからこそ収穫が終わると人々は喜び勇んだ。苦労から解き放たれるひと休みの期間の到来。同時にたまったストレスからの解放。そこにやってくるのが待ちに待った
♪ 神様の めぐみたたえる村祭り
なのである。
この歌は日本の祭りのルーツを歌を通して教えている。五穀豊穣、豊年満作への感謝と翌年の祈願が祭りを発祥させたのである。つまり人は生きるために働く、懸命に働いて働いて働き抜けば、その後に必ず幸せが訪れるという日本人気質こそが、楽しい収穫祭を生んだといえる。そんな大事なことを教えてくれるこの歌が教科書から消えたのは、1962(昭和37)年に端を発する。どの都道府県にもあった村が町村合併で消えていくことにある。教科書は全国で使用されるもの。たとえひとつふたつの県だけであっても、村が存在しなくなったとき、この歌は時代にそぐわない歌と決めつけられ、自然と教科書から消されていった。今、日本語の大切さや日本文化の継承が叫ばれている。こういった古きよき時代の教訓こそ、しっかり子孫に受け継がなければならないのではないだろうかと感じる。

♪ どんどんひゃらら どんひゃらら
ウキウキしてくる祭りの興奮。祭りの喜びは苦労の後のご褒美。やらなければならないことをしなければ、後についてくる喜びもない。ごくごく当たり前なことなのに、何故か欠けてしまったそんな教えをこの歌はしっかりと教えてくれているのではないだろうか…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第3弾「赤とんぼ」はここ(←クリック)

