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rrbのブログ - 2009/03/21のエントリ

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今京都 短兵急 2009/03/21 12:00 am

んぺいきゅう…やにわに行動を起こすこと。出し抜けなさま。
◇ちょっと予備知識 → 短刀などの短い武器で、急襲をかけることから。「単兵急」と書くのは誤り。
                類義語に突如(とつじょ)・唐突(とうとつ)・忽然(こつぜん)・卒然(そつぜん)・卒爾(そつじ)・
                俄然(がぜん)がある。

眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落ちること知る多少。孟浩然の詩、「春暁」。原文は、春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少 だったか…。春は朝が来たのも知らずつい寝過ごしてしまう あちらこちらで鳥のさえずりが聞こえる 昨日の夜は雨風の音がすごかった 花もいくらか散ってしまったことだろう ということ。
この時季は本当に眠い。少し油断すると睡魔に襲われる。まぁ、襲われるのも一興かと…。

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

ーダ村…の情報を募集しています。詳細はここ(←クリック) よろしくお願いします。

金虫(童謡物語第8弾)  (旧フォトヴィレッジ 2006年11月21日掲載)

「黄金虫(こがねむし)」
作詞:野口雨情 作曲:中山晋平

黄金虫は 金持ちだ  金蔵たてた 蔵たてた  飴屋で水飴 買って来た

黄金虫は 金持ちだ  金蔵たてた 蔵たてた  子供に水飴 なめさせた

コガネムシの種類は世界で17000種にのぼるらしい。カブトムシまでが、コガネムシの一種だというから驚き。もともとコガネムシの種類というのは、植物の葉を食う害虫として厄介者扱いされていた。そんな中で通常「黄金虫」とよばれるものは体長2cmぐらい、緑色で金色に輝いて見えるものをさすということ。
 ♪ 黄金虫は 金持ち
だから、黄金虫というのではなく、黄金色だから黄金虫。



当時は童謡詩にかかわらず歌の詩といえば四行詩が主だったが、この詩は三行詩であり、そのうち二行めまでは、
 ♪ 黄金虫は 金持ちだ 金蔵たてた 蔵たてた
と、一番も二番も同じ歌詞で、最後の行だけが異なる。ちょっとしたポイントをつけただけだといえる。しかし、そこが反対にやけに素朴でかわいらしいのかもしれない。また、「黄金虫は金持ちだから、子供に大好きな飴を自由に食べさせることができていいなぁ…」といったような、当時の日本の貧困な世相をからませ、子供に対する親の愛情や、ないものねだりの感情、憧れが、ところどころに滲んでいる童謡でもある…としてしまうとこの話は終わってしまう。不思議の元は「飴屋」とか「水飴なめる」はどこか唐突すぎるということと、まして一番も二番も水飴である必要もないだろうと。ここに何か隠されているのではないか…と気になった。



この当時の飴屋は一種の大道芸人みたいなものとして扱われていた。祭りの屋台などで、飴売りの店を見かけることがある。現在でも七五三にはつきものの千歳飴。あれは飴屋が考案して「元気に大きくなれますように」という願いを神に捧げてもらったというふれこみのうえ、神社の境内で売り出したのがはじまりといわれている。つまり
 ♪ 飴屋で水飴 買って来た
には、当時、医療の発達が非常に遅れていたため七五三の風習は「やっとなんとか3歳まで生きてこられた」「5歳まで、7歳までありがとうございます」という気持ちの表れから誕生した風習。七五三のお詣りの後に、これからの無事を祈って飴を買ってやる、それは親から子への最大のプレゼントでもあった。金太郎飴などもそうである。飴を食べて金太郎のような元気な子供に成長して欲しいという親の願いだったわけである。



しかし、当時、まだまだ人々は貧しかった。明日の飯さえない暮らしをしていた。飴どころではない。買ってあげたいがそんな余裕はどこにもない。
 ♪ 黄金虫は 金持ちだ
金持ちの家の子供たちの口に入るのが関の山だった。この詩は当時の貧しい家の子供たちの様子と願望が入り混じっている。飴は買ってやれずとも、七五三まで生きてこれた子供は、まだマシ。貧しさゆえに子供を養いきれず、生まれたばかりの赤ん坊の口と鼻の上に濡れた紙や布を置いて窒息死させる「間引き」などというものが実際に行われていた時代。親だって好んでそんな行為に走るわけではない。貧しさゆえに食べるものがない、母親の乳すらでない。苦悩に悶えながら決断に迫られて、わが子に手をかけるしか方法がなかった。なかには金持ちの家の玄関先や、神社・寺などに置き去りにするケースもあった。少し年齢が大きくなった場合は、遊郭や角兵衛獅子など芸人の元に売られる例もあった。



苦しさやしごきに耐え切れず涙した子供たちも多かった。「こんなことならいっそ死んでしまったほうがよかった」…そんな思いが脳裏をよぎる。そんなかわいそうな身の上に同情して自分の家に引き取って育ててくれたり、自分の家の奉公人として雇ってくれる財閥や商家なども中にはあった。つまり金持ちが
 ♪ 飴屋で水飴 買って来た
ということである。飴屋とは、大道芸人などの元締めの親分や遊郭の主人たち、水飴とは過酷な運命にあえぐ子供たちをさしている。
 ♪ 子供に水飴 なめさせた
だか、そのあとには、ふたたび過酷な運命を辿る子供がいた。まさに飴とムチ。芸人として町村を雨の日も風の日もあてもなく渡り歩く辛さを考えれば、まだまだ幸せだったのかも知れない。毎日違う男たちを相手に身をささぐ廓暮らしにくらべれば、ましな生活だったのかもしれない。この詩にはこういう時代の背景が込められていた…。
金持ちの家には黄金虫が棲みついていると昔は信じられていた。さて、その黄金虫の正体は何だったか? それがこの童謡の最大のポイント。えっ!? 「黄金虫だから黄金虫に決まっているだろう」って!? それが…。



黄金虫の正体は、なんとチャバネゴキブリのことだったというから驚き。雨情が生まれた茨城県や北関東では、体の色からチャバネゴキブリのことを黄金虫と呼んでいたそうだ(本当だろうか?)。ゴキブリが家に棲みつくと金持ちになるというわけでなく、金持ちの家には食べ物もたくさんあり、暖かく棲み心地がいいからゴギブリが集まってくるということ。不衛生などという考えは、当時は全くなかった。とある県には、ゴキブリが多くいる家はお金がたまり、玄関先に「油虫売ります」などという貼り紙までされていたというからびっくり。さらに、金持ちになりたくて、ない金をはたいて黄金虫(ゴキブリ)を買った貧乏人。しかし、貧乏すぎて黄金虫(ゴキブリ)のエサすらなく逃げ出され、結局金持ちになれなかったというオチまで存在するというから摩訶不思議。



しかし、何故、ゴキブリが金持ちの印になってしまったのか…それはゴキブリのメスの卵巣が一見すると印籠の形に似ているからだといわれている。
 ♪ 黄金虫は 金持ちだ
「金」とは印籠のことだったのである。ゴキブリは外敵がいないことから、繁殖力が高いといわれている。まさか現在のように嫌われ者として扱われるなんて、当時の人は考えもしなかった。ゴキブリ自身もそうであろう。ゴキブリを毛嫌いするようになったのは「自分の家は中流家庭以上」と考えるようになった、たかだか数十年ほど前からだといわれている。まぁ…それだけ人々の暮らしが裕福になったのはいいことだけれど…。それまでは、金持ちの証、金持ちの使いとして大事にされていた。今の時代では信じがたいが…。



童謡物語としてはもう終わっているのだけれど、黄金虫の意外な正体…ゴキブリについて、ちょっと触れてみる。もしかしたら、ゴキブリに対する考えが変わるかも。
ゴキブリは人間の嫌われ者。けれど生物としては大先輩。なにしろ恐竜さえ棲んでいなかった3億年も前に出現して、それ以来、その姿もあまり変わらずに生き延びてきたというからスゴイ。現在、日本には約50種類のゴキブリがいるといわれており、その多くは森や林で暮らしている。もともとゴキブリは森林の朽ちた木の皮の中や、落ち葉の下で暮らす昆虫だ。それが、いつの間にか食べ物が豊富で冬でも暖かい人家に棲むゴキブリが出てきた。日本で人家を棲み家とするゴキブリは、ヤマトゴキブリ、クロゴキブリ、チャバネゴキブリ、ワモンゴキブリなどで、ヤマトゴキブリ以外は江戸時代から明治にかけて船荷などで外国…特に暖かい南の国から入ってきた種類だという。



しかし、生活環境に適応し、よりよい暮らしをしようと本能のままに人家に出現したゴキブリ。それが人類に嫌われるキッカケになったのだから、なんともいいようがない。ゴキブリが悪いのか、人類が悪いのか…!? そもそもゴキブリを嫌うほど人類の意識(文化)が変化したのが悪いのでは…と思うけれど。人類の危機が叫ばれている現代、「ゴキブリの生き延びる秘訣を探り、人類にも応用する必要があるのでは…」という考え方もある。しかし、どうも好きになれない。あなたなら、どうする?…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第7弾「しゃぼん玉」はここ(←クリック)


 

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