rrbのブログ - 2009/03/10のエントリ
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今京都 先入観 2009/03/10 12:00 am
せんにゅうかん…ある事柄に対して、初めから持っている固定観念。自由な発想を妨げる思い込み。
◇ちょっと予備知識 → 「先入感」とのは誤り。
類義語に先入見(せんにゅうけん)・先入主(せんにゅうしゅ)・成心(せいしん)・
色眼鏡(いろめがね)がある。
赤とんぼ(童謡物語第3弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年10月17日掲載)
「赤とんぼ」
作詞:三木露風 作曲:山田耕筰
ゆうやけ こやけの あかとんぼ おわれて みたのは いつの ひか
やまの はたけの くわの みを こかごに つんだは まぼろしか
じゅうごで ねえやは よめに ゆき おさとの たよりも たえはてた
ゆうやけ こやけの あかとんぼ とまって いるよ さおの さき
老若男女を問わず、最も人気が高い童謡といえるのが「赤とんぼ」。なんとなくこの光景は幼いときに体験している…と、思ってしまう。頭の中での美化現象化もしれないけれど、この童謡にも裏話が存在している。裏話の代表のひとつは一般に知られるまでに相当の時間を要したということだ。
もうひとつは
♪ おわれて みたのは いつの ひか
という部分。さて、どんな裏話があるのだろうか…。

(「捕まえてごらん」と言われてるようだったので…)
三木露風が作詞したのが1921(大正10)年、露風32歳。山田耕筰が作曲したのは、6年後の1927(昭和2)年。レコードになったのが、さらに4年後の1931(昭和6)年。しかし売れなかったのである。売れない理由もちゃんとあった。
突然だけれど「夢」という言葉を声に出して発音してみて欲しい。「ゆ」よりも「め」のほうが高い音で発するのが普通のアクセント。音楽になっても一緒で当時は「ゆ」より「め」のほうが高い音を使うのが普通とされており、それがヒット作を生み出す手法のひとつだとされていた。ところが、この「赤とんぼ」は珍しくアクセント完全無視の曲であったということ。
♪ こかごに つんだは まぼろしか
の「つんだ」「まぼろし」が逆。通常、話し言葉では「つんだ」「まぼろし」は「つ」と「ぼ」にアクセントがある。しかし曲では「つ」「ま」にアクセントがつけられている。その他にもアンバランスがたくさん存在している。今一度、話し言葉のアクセントと曲の音の高低を考えながら検証していただければわかると思う。それが、売れなかった最大の理由ということだ。

(「寄りすぎだろ!」って言われそう…)
この曲が突然クローズアップされたのは映画がきっかけ。松竹映画「ここに泉あり」は、その年の人気ベストテンで5位に選ばれたヒット作品。その映画の感動を覚えずにはいられないシーンで子供たちが歌っていたのがきっかけとなる。また外国曲に日本語の歌詞をつけた歌も増えてきたので、いつの間にかアクセントの違いなどはあまり問題視されなくなったという背景も手伝っているという。
ドラマからヒット曲が誕生する先駆けだといえる。で、ヒットするようになってから、「この歌のある部分の歌詞が不思議だ」という議論がされるようになった。
その部分とは、
♪ おわれて みたのは いつの ひか
というところの「おわれて」である。最近は「追われて」と勘違いされているようだけれど、正しくは「負われて」。で、誰の背中に負われて赤とんぼを見たのか…ということが議論されるようになった。結論から言うと「ねえや」。「ねえや」とは当時、女中さんとよばれた子守奉公の女の子のことで子守娘のこと。
「私の作った童謡『赤とんぼ』は、なつかしい心持から書いた。ふりかえってみて、幼い時の自己をいとおしむという気持ちであった。私の子守娘が、私を背負って広場で遊んでいた。その時、私が背の上で見たのが赤とんぼである」と1937(昭和12)年に日本蓄音器商会から発行された『日本童謡全集』に記されていたという。

(コスモスを背景にキレイに…)
と、なれば母がまだ若い頃から「ねえや」がいた裕福な家庭だったのか…イヤイヤ、露風の父は裕福に育った影響からか、自由奔放で身持ちが悪く、露風の母を実家に戻した後すぐに後妻を迎え、弟も生まれているという。そういう環境に露風は育っている。一番母親が恋しい時代に引き裂かれた露風にとって、「ねえや」が母親代わり。母への思慕、そして母を思い悲しむ胸のうちがこの童謡をつくり上げ、映画をきっかけに日本の名曲へと育っていった。
♪ ゆうやけ こやけの あかとんぼ
どこかに憂いがあって、どこかに悲しい響きがある『赤とんぼ』。子の母への思慕がその根底にあったということではないだろうか…今京都。 ※写真は京都の風景で本文とは関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第2弾「里の秋」はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → 「先入感」とのは誤り。
類義語に先入見(せんにゅうけん)・先入主(せんにゅうしゅ)・成心(せいしん)・
色眼鏡(いろめがね)がある。
赤とんぼ(童謡物語第3弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年10月17日掲載)
「赤とんぼ」
作詞:三木露風 作曲:山田耕筰
ゆうやけ こやけの あかとんぼ おわれて みたのは いつの ひか
やまの はたけの くわの みを こかごに つんだは まぼろしか
じゅうごで ねえやは よめに ゆき おさとの たよりも たえはてた
ゆうやけ こやけの あかとんぼ とまって いるよ さおの さき
老若男女を問わず、最も人気が高い童謡といえるのが「赤とんぼ」。なんとなくこの光景は幼いときに体験している…と、思ってしまう。頭の中での美化現象化もしれないけれど、この童謡にも裏話が存在している。裏話の代表のひとつは一般に知られるまでに相当の時間を要したということだ。
もうひとつは
♪ おわれて みたのは いつの ひか
という部分。さて、どんな裏話があるのだろうか…。

(「捕まえてごらん」と言われてるようだったので…)
三木露風が作詞したのが1921(大正10)年、露風32歳。山田耕筰が作曲したのは、6年後の1927(昭和2)年。レコードになったのが、さらに4年後の1931(昭和6)年。しかし売れなかったのである。売れない理由もちゃんとあった。
突然だけれど「夢」という言葉を声に出して発音してみて欲しい。「ゆ」よりも「め」のほうが高い音で発するのが普通のアクセント。音楽になっても一緒で当時は「ゆ」より「め」のほうが高い音を使うのが普通とされており、それがヒット作を生み出す手法のひとつだとされていた。ところが、この「赤とんぼ」は珍しくアクセント完全無視の曲であったということ。
♪ こかごに つんだは まぼろしか
の「つんだ」「まぼろし」が逆。通常、話し言葉では「つんだ」「まぼろし」は「つ」と「ぼ」にアクセントがある。しかし曲では「つ」「ま」にアクセントがつけられている。その他にもアンバランスがたくさん存在している。今一度、話し言葉のアクセントと曲の音の高低を考えながら検証していただければわかると思う。それが、売れなかった最大の理由ということだ。

(「寄りすぎだろ!」って言われそう…)
この曲が突然クローズアップされたのは映画がきっかけ。松竹映画「ここに泉あり」は、その年の人気ベストテンで5位に選ばれたヒット作品。その映画の感動を覚えずにはいられないシーンで子供たちが歌っていたのがきっかけとなる。また外国曲に日本語の歌詞をつけた歌も増えてきたので、いつの間にかアクセントの違いなどはあまり問題視されなくなったという背景も手伝っているという。
ドラマからヒット曲が誕生する先駆けだといえる。で、ヒットするようになってから、「この歌のある部分の歌詞が不思議だ」という議論がされるようになった。
その部分とは、
♪ おわれて みたのは いつの ひか
というところの「おわれて」である。最近は「追われて」と勘違いされているようだけれど、正しくは「負われて」。で、誰の背中に負われて赤とんぼを見たのか…ということが議論されるようになった。結論から言うと「ねえや」。「ねえや」とは当時、女中さんとよばれた子守奉公の女の子のことで子守娘のこと。
「私の作った童謡『赤とんぼ』は、なつかしい心持から書いた。ふりかえってみて、幼い時の自己をいとおしむという気持ちであった。私の子守娘が、私を背負って広場で遊んでいた。その時、私が背の上で見たのが赤とんぼである」と1937(昭和12)年に日本蓄音器商会から発行された『日本童謡全集』に記されていたという。

(コスモスを背景にキレイに…)
と、なれば母がまだ若い頃から「ねえや」がいた裕福な家庭だったのか…イヤイヤ、露風の父は裕福に育った影響からか、自由奔放で身持ちが悪く、露風の母を実家に戻した後すぐに後妻を迎え、弟も生まれているという。そういう環境に露風は育っている。一番母親が恋しい時代に引き裂かれた露風にとって、「ねえや」が母親代わり。母への思慕、そして母を思い悲しむ胸のうちがこの童謡をつくり上げ、映画をきっかけに日本の名曲へと育っていった。
♪ ゆうやけ こやけの あかとんぼ
どこかに憂いがあって、どこかに悲しい響きがある『赤とんぼ』。子の母への思慕がその根底にあったということではないだろうか…今京都。 ※写真は京都の風景で本文とは関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第2弾「里の秋」はここ(←クリック)

