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rrbのブログ - 2009/03/03のエントリ

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今京都 真骨頂 2009/03/03 12:00 am

んこっちょう…本来の姿。
◇ちょっと予備知識 → 「真」は偽りがないこと。まこと。「骨頂」は程度が甚だしいこと。この上なく悪いこと。
                「骨張」とも書く。「骨長」と書くのは誤り。
                類義語に真価(しんか)・真面目(しんめんもく)・本領(ほんりょう)がある。
                対義語は虚飾(きょしょく)・虚栄(きょえい)。


れしいひなまつり(童謡物語第14弾) vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)
次に、この童謡ができたいきさつを見てみる。この詩を作ったのは、サトウハチロー。童謡作家として「ちいさい秋みつけた」などを書く一方で、歌謡作家としても大きな足跡を残した人だ。とくに終戦後、焦土の中の日本人に明るい希望を与えた「リンゴの歌」や、長崎の原爆をモチーフとした「長崎の鐘」などは人々に深い感銘を与えた。この「うれしいひなまつり」を書いたのは1935(昭和10)年だった。実はこの年の前年、ハチローは最初の夫人と離婚して、上の女の子二人と男の子の三人の子どもを引き取っていた。上の子がまだ小学生だったというから、まだまだ母親が恋しい年頃である。せめてものつぐないのつもりだったのだろう。立派なひな飾りの人形をプレゼントしたのである。子どもたちは大喜びし、人形を一日中ながめながら、寂しさをまぎらわせていた。子どもたちの様子を見て、ハチローは心の中で「すまない」と何度も頭を下げながら、この「うれしいひなまつり」を書き上げたという。



では、問題視している「いらした」は、字数の関係でたまたま起きた、単純なミスだったのだろうか。いや、そうではあるまい。ここには必ず隠された何かがあるはずだ。この「いらした」の本質は何なのだろう。兄などに嫁いで来た義理のお姉さんが、白い顔の官女に似ているというのか。はたまた他家に嫁いでいってしまった姉が、官女に似ているというのだろうか。「いらした」「いらっしゃる」は「来る」の尊敬語。「近くにいらした節には、どうぞ、お寄りください」といった具合に使われる類だ。しかしそれと同時に「行く」の尊敬語でもある。つまり「あちらの方面にお出かけの際は、是非富士山にいらしてください」などのときだ。どちらも身内の者にこういった使い方をするのは通常おかしい、ありえない。もし兄に嫁いで来た姉に尊敬語を使うとすれば、たとえば天皇家や華族など位の高い家から娶らなければならない。それならばつじつまがあう。しかし、その場合、いただくほうもそれなりの家柄でなくてはならくなる。それならば良家から嫁いできた新しい姉のことをいくら美しいといえども、人形などにたとえたりするだろうか? 恐らくしないだろう。



 ♪ お内裏様と おひな様 二人ならんで すまし顔
お内裏さまとは天皇のことで、お雛様は皇后の姿を型どっている。位の高い良家からお輿入れしたお姉さまなら、もし人形にたとえるのであっても、お雛様、つまりお姫様でなくてはならないだろう。宮仕えの官女では、それこそ失礼の極みとなりかねないはずだ。反対にお嫁に行くとなればどうだろう。良家に嫁ぐということになる。たとえば、「華族様の元に、お嫁にいらしたのです」。こういう使い方はしないでもない。
昔は、女は男があってこそ、という考え方が今の時代よりはるかに一般的だった。封建的な男尊女卑がまだまだ貫かれていた。良家に嫁ぐことになった娘や姉に対し、「あのお家にお嫁にいらっしゃる」というのは、嫁ぎ先をあがめ、今後の血のつながった姉だとしても自分の家の者ではなく、嫁ぎ先の人間になることから尊敬語を使うことがあった。ましてや、人形にたとえるのだから自分の本当の身内でなくてはならない。それならば皇后様と同格ではなく、官女と格下げしてたとえていることも、当然といえば当然である。サトウハチローはミスどころか、わざわざ「行く」の尊敬語を使ったはずなのである。しかも「お嫁にいらした姉様」とは実在した姉のことをモデルにしていたのではないかと思う。



ハチローは、幼いとき腰に大やけどを負って、いつつも家の中で遊んでいるような子どもだった。そんな彼をいつもかばい、励まし、やさしく面倒を見てくれたのが4歳年上の姉だった。姉は歌詩のとおり、白い顔した瓜ざねが尾の美人だったとされる。ハチローは、姉から読み書きを教わり、詩心を授けられた。ピアノを教えてくれたのも、心やさしき立派な男になれと説いてくれたのも姉だった。そんな誰よりも大好きな姉が嫁ぐことになった。ハチローは少し悲しかった。夜、家からこっそり抜け出して星を仰いでいるといつの間にか星が涙でうるんできた。
嫁ぐ少し前だった、姉が胸を患ったのは…。当時、肺結核は不治の病だった。周りに感染するからと、療養所に隔離されるのが常だった。姉の嫁入りは相手側から一方的に破棄された。ハチローはくやしかった。お嫁に行くことが決まったときの悲しみとはまた違う悲しみだった。「ボクが心の中で反対したから、お姉さんは病気になったのかもしれない」。ハチローは悔いていた。その夜お姉さんは息を引き取った。18歳だった。


(カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4)

 ♪ お嫁にいらした 姉様に
尊敬語の「いらした」を使うのなら、位の高い所に嫁がねばならない。いや姉さまは嫁ぐことなく逝ってしまったのだ。ひょっとしてこの表現は、黄泉の国へ嫁ぐ、いわば亡くなってしまったことをそのまま指しているのではないだろうか。そんな気がしてならない。亡くなった後は、浄土の国、すなわち神の国である。そう解釈すればお姉さんは若くして天に選ばれて神の元へいった。イヤ、神の元へ「いらした」のではないか。
今日は「ひな祭り」。ちょっと想いを馳せた「ひな祭り」にしてみてはどうだろうか…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第13弾「お猿のかごや」はここ (←クリック)


 

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