rrbのブログ - 2009/03のエントリ
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天を仰いで思うこと 数寄屋 2009/03/06 12:00 am
すきや…茶の湯のために建てた茶室。または茶室風の建物。
◇ちょっと予備知識 → 茶席、勝手、水屋などを一棟に備え、独立して庭園に建てたもの。「数奇屋」とも書く。
話のネタ雑学(13)
1月2日にちなんだネタを少々。 (旧フォトヴィレッジ 2007年1月2日掲載)

(ありゃりゃ、うまく捉えられなかった…)
初夢の日 1月2日の夜から3日の朝にかけて見る夢を初夢とする。「一富士、二鷹、三なすび」。
書き初め 年が明けて初めて書や絵をかく行事。書き初めで書いたものを左義長で燃やし、その炎が高く上がると字が上達すると言われている。
初山入り、山初め 山村での仕事始め。
舟の乗り初め、初舟 漁村での仕事始め。

姫初め 由来は諸説がある。正月の「強飯」(蒸した固いご飯=おこわ)から、初めて「姫飯」(柔らかいご飯)を食べる日。飛馬初め=乗馬初めの日。 火水初め=火や水を初めて使う日。 女伎初め=衣服を縫い始める日。 秘め初め=夫婦が初めて秘め事をする日。 姫糊初め=女性が洗濯・張物を始める日。など、姫初めに関連する内容はたくさんある。
農初め 農村での仕事始め。
初売り、初商 商店等は2日に店を開けて初売りを始める。最近では元日から店を開ける所も多い。

(神戸 生田神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
というように1月2日は「初」ものづくしだ…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
★前回はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → 茶席、勝手、水屋などを一棟に備え、独立して庭園に建てたもの。「数奇屋」とも書く。
話のネタ雑学(13)
1月2日にちなんだネタを少々。 (旧フォトヴィレッジ 2007年1月2日掲載)

(ありゃりゃ、うまく捉えられなかった…)
初夢の日 1月2日の夜から3日の朝にかけて見る夢を初夢とする。「一富士、二鷹、三なすび」。
書き初め 年が明けて初めて書や絵をかく行事。書き初めで書いたものを左義長で燃やし、その炎が高く上がると字が上達すると言われている。
初山入り、山初め 山村での仕事始め。
舟の乗り初め、初舟 漁村での仕事始め。

姫初め 由来は諸説がある。正月の「強飯」(蒸した固いご飯=おこわ)から、初めて「姫飯」(柔らかいご飯)を食べる日。飛馬初め=乗馬初めの日。 火水初め=火や水を初めて使う日。 女伎初め=衣服を縫い始める日。 秘め初め=夫婦が初めて秘め事をする日。 姫糊初め=女性が洗濯・張物を始める日。など、姫初めに関連する内容はたくさんある。
農初め 農村での仕事始め。
初売り、初商 商店等は2日に店を開けて初売りを始める。最近では元日から店を開ける所も多い。

(神戸 生田神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
というように1月2日は「初」ものづくしだ…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
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今京都 素寒貧 2009/03/05 12:00 am
すかんびん…非常に貧乏なこと。またその人。
◇ちょっと予備知識 → 持っていたものをなくしてしまったときにも使う。「寒貧」は甚だ貧しいこと。
「すっかんびん」ともいう。
類義語に無一文(むいちもん)・貧者(ひんじゃ)・極貧(ごくひん)がある。
対義語は金満家(きんまんか)・富者(ふしゃ)・富豪(ふごう)。
七つの子(童謡物語第1弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年10月11日掲載)
旧フォトヴィレッジの再掲の三つめは「童謡物語」。あまり多くは掲載していないが、せっかく調べたのだから再掲しておきたい。
「七つの子」
作詞:野口雨情 作曲:本居長世
からす なぜなくの からすは やまに かわいい ななつの こが あるからよ
かわい かわいと からすは なくの かわい かわいと なくんだよ
やまの ふるすへ いって みて ごらん まるい めを した いい こだよ
の「ななつのこ」が七羽の子か七歳の子かというお話。

結論的にはどちらでもなく、「七」は日本語特有の「たくさん」とか「いくつか」とか「ある程度」という意味で、一定の数ではないとされている。また野口雨情は「ななつのこ」を人間の七歳の子にだぶらせて書いたともいわれている。確かに人間の七歳の子供なら自分で食事を作って食べることもままならないだろう。
さらに、この歌には七五三の風習が隠されているともいわれている。昔は医学が発達していなかったため、抵抗力のない子供の死亡率は非常に高かった。神様の加護により三歳まで生きられた、五歳まで育った、七歳を無事に迎えられたという喜びとお礼参り、今後も元気に生きていけますようにという願いが七五三を生み、育んできた。

七歳の女児には帯解き式という風習があって、子供の着物にそれまでつけられていた紐を外し、着物を着るときに初めて帯を用いる儀式。つまり七歳を迎えると、抵抗力もついてよほどのことがない限りすくすくと育っていけるという特別の意味があり、子供から大人への扱いの第一歩でもあったという。そういう背景から「ななつのこ」になったという説が有力視されているそうだ。

この説が正しいかどうかわからない。けれど、病気になって慌てたり、弱虫過ぎる、腕白過ぎると心配したり、親にとって苦労のタネはつきないもの。七歳の子になってやっと胸をなでおろすのは、親から見て昔も今も変わりない七歳ではないだろうか、という童謡物語第1弾(改訂・再掲)…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

◇ちょっと予備知識 → 持っていたものをなくしてしまったときにも使う。「寒貧」は甚だ貧しいこと。
「すっかんびん」ともいう。
類義語に無一文(むいちもん)・貧者(ひんじゃ)・極貧(ごくひん)がある。
対義語は金満家(きんまんか)・富者(ふしゃ)・富豪(ふごう)。
七つの子(童謡物語第1弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年10月11日掲載)
旧フォトヴィレッジの再掲の三つめは「童謡物語」。あまり多くは掲載していないが、せっかく調べたのだから再掲しておきたい。
「七つの子」
作詞:野口雨情 作曲:本居長世
からす なぜなくの からすは やまに かわいい ななつの こが あるからよ
かわい かわいと からすは なくの かわい かわいと なくんだよ
やまの ふるすへ いって みて ごらん まるい めを した いい こだよ
の「ななつのこ」が七羽の子か七歳の子かというお話。

結論的にはどちらでもなく、「七」は日本語特有の「たくさん」とか「いくつか」とか「ある程度」という意味で、一定の数ではないとされている。また野口雨情は「ななつのこ」を人間の七歳の子にだぶらせて書いたともいわれている。確かに人間の七歳の子供なら自分で食事を作って食べることもままならないだろう。
さらに、この歌には七五三の風習が隠されているともいわれている。昔は医学が発達していなかったため、抵抗力のない子供の死亡率は非常に高かった。神様の加護により三歳まで生きられた、五歳まで育った、七歳を無事に迎えられたという喜びとお礼参り、今後も元気に生きていけますようにという願いが七五三を生み、育んできた。

七歳の女児には帯解き式という風習があって、子供の着物にそれまでつけられていた紐を外し、着物を着るときに初めて帯を用いる儀式。つまり七歳を迎えると、抵抗力もついてよほどのことがない限りすくすくと育っていけるという特別の意味があり、子供から大人への扱いの第一歩でもあったという。そういう背景から「ななつのこ」になったという説が有力視されているそうだ。

この説が正しいかどうかわからない。けれど、病気になって慌てたり、弱虫過ぎる、腕白過ぎると心配したり、親にとって苦労のタネはつきないもの。七歳の子になってやっと胸をなでおろすのは、親から見て昔も今も変わりない七歳ではないだろうか、という童謡物語第1弾(改訂・再掲)…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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天を仰いで思うこと 真善美 2009/03/04 12:00 am
しんぜんび…人間の求める最高の理想のこと。
◇ちょっと予備知識 → 認識上の「真」と、道徳上の「善」と、審美上の「美」を合わせていう。普遍的な価値のこと。
話のネタ雑学(12)
元日にちなんだネタを少々。 (旧フォトヴィレッジ 2006年12月1日掲載)

初詣 年が明けてから、初めて神社仏閣に参拝すること。氏神様やその年の恵方に当る方角の社寺にお参りをして、その年の無事と平安を祈る。「恵方」とは、その年の福徳を司る神「歳徳神」の所在する方角のことで、何事をするにも最も良いとされる方角のこと。昔は大晦日の夜に社寺にお参りして一度家に戻り、元日の朝になって再び参詣していたが、今では大晦日の夜から出かけて行って、社寺の境内で元旦を迎えるという形もみられる。
年賀 新年の挨拶を述べる為、親戚や知人、上司、近所の人々等を訪れる。現在では年賀状でその代りをするようになっている。

若水 元日の早朝に井戸から水を汲んで神棚に供えること。またその水のことも「若水」という。朝早く、まだ人に会わないうちに汲みに行き、もし人に会っても口をきかないしきたりだった。若水は一年の邪気を除くと信じられ、神に供えた後その水で家族の食事を作ったり、口を漱いだりお茶を立てたりする。
新年 1948(昭和23)年までは「新年」という祝日で、四大節(新年・紀元節・天長節・明治節)の一つとされていた。

(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
元旦 「旦」は「日の出・朝」の意味で、「元旦」とは1月1日の朝を指す。
若潮または若潮迎え 元日の早朝、潮水を海から汲んで来て神に供える。
元日にちなんだお話も結構あるのだね…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
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◇ちょっと予備知識 → 認識上の「真」と、道徳上の「善」と、審美上の「美」を合わせていう。普遍的な価値のこと。
話のネタ雑学(12)
元日にちなんだネタを少々。 (旧フォトヴィレッジ 2006年12月1日掲載)

初詣 年が明けてから、初めて神社仏閣に参拝すること。氏神様やその年の恵方に当る方角の社寺にお参りをして、その年の無事と平安を祈る。「恵方」とは、その年の福徳を司る神「歳徳神」の所在する方角のことで、何事をするにも最も良いとされる方角のこと。昔は大晦日の夜に社寺にお参りして一度家に戻り、元日の朝になって再び参詣していたが、今では大晦日の夜から出かけて行って、社寺の境内で元旦を迎えるという形もみられる。
年賀 新年の挨拶を述べる為、親戚や知人、上司、近所の人々等を訪れる。現在では年賀状でその代りをするようになっている。

若水 元日の早朝に井戸から水を汲んで神棚に供えること。またその水のことも「若水」という。朝早く、まだ人に会わないうちに汲みに行き、もし人に会っても口をきかないしきたりだった。若水は一年の邪気を除くと信じられ、神に供えた後その水で家族の食事を作ったり、口を漱いだりお茶を立てたりする。
新年 1948(昭和23)年までは「新年」という祝日で、四大節(新年・紀元節・天長節・明治節)の一つとされていた。

(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
元旦 「旦」は「日の出・朝」の意味で、「元旦」とは1月1日の朝を指す。
若潮または若潮迎え 元日の早朝、潮水を海から汲んで来て神に供える。
元日にちなんだお話も結構あるのだね…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
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今京都 真骨頂 2009/03/03 12:00 am
しんこっちょう…本来の姿。
◇ちょっと予備知識 → 「真」は偽りがないこと。まこと。「骨頂」は程度が甚だしいこと。この上なく悪いこと。
「骨張」とも書く。「骨長」と書くのは誤り。
類義語に真価(しんか)・真面目(しんめんもく)・本領(ほんりょう)がある。
対義語は虚飾(きょしょく)・虚栄(きょえい)。
うれしいひなまつり(童謡物語第14弾) vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)
次に、この童謡ができたいきさつを見てみる。この詩を作ったのは、サトウハチロー。童謡作家として「ちいさい秋みつけた」などを書く一方で、歌謡作家としても大きな足跡を残した人だ。とくに終戦後、焦土の中の日本人に明るい希望を与えた「リンゴの歌」や、長崎の原爆をモチーフとした「長崎の鐘」などは人々に深い感銘を与えた。この「うれしいひなまつり」を書いたのは1935(昭和10)年だった。実はこの年の前年、ハチローは最初の夫人と離婚して、上の女の子二人と男の子の三人の子どもを引き取っていた。上の子がまだ小学生だったというから、まだまだ母親が恋しい年頃である。せめてものつぐないのつもりだったのだろう。立派なひな飾りの人形をプレゼントしたのである。子どもたちは大喜びし、人形を一日中ながめながら、寂しさをまぎらわせていた。子どもたちの様子を見て、ハチローは心の中で「すまない」と何度も頭を下げながら、この「うれしいひなまつり」を書き上げたという。

では、問題視している「いらした」は、字数の関係でたまたま起きた、単純なミスだったのだろうか。いや、そうではあるまい。ここには必ず隠された何かがあるはずだ。この「いらした」の本質は何なのだろう。兄などに嫁いで来た義理のお姉さんが、白い顔の官女に似ているというのか。はたまた他家に嫁いでいってしまった姉が、官女に似ているというのだろうか。「いらした」「いらっしゃる」は「来る」の尊敬語。「近くにいらした節には、どうぞ、お寄りください」といった具合に使われる類だ。しかしそれと同時に「行く」の尊敬語でもある。つまり「あちらの方面にお出かけの際は、是非富士山にいらしてください」などのときだ。どちらも身内の者にこういった使い方をするのは通常おかしい、ありえない。もし兄に嫁いで来た姉に尊敬語を使うとすれば、たとえば天皇家や華族など位の高い家から娶らなければならない。それならばつじつまがあう。しかし、その場合、いただくほうもそれなりの家柄でなくてはならくなる。それならば良家から嫁いできた新しい姉のことをいくら美しいといえども、人形などにたとえたりするだろうか? 恐らくしないだろう。

♪ お内裏様と おひな様 二人ならんで すまし顔
お内裏さまとは天皇のことで、お雛様は皇后の姿を型どっている。位の高い良家からお輿入れしたお姉さまなら、もし人形にたとえるのであっても、お雛様、つまりお姫様でなくてはならないだろう。宮仕えの官女では、それこそ失礼の極みとなりかねないはずだ。反対にお嫁に行くとなればどうだろう。良家に嫁ぐということになる。たとえば、「華族様の元に、お嫁にいらしたのです」。こういう使い方はしないでもない。
昔は、女は男があってこそ、という考え方が今の時代よりはるかに一般的だった。封建的な男尊女卑がまだまだ貫かれていた。良家に嫁ぐことになった娘や姉に対し、「あのお家にお嫁にいらっしゃる」というのは、嫁ぎ先をあがめ、今後の血のつながった姉だとしても自分の家の者ではなく、嫁ぎ先の人間になることから尊敬語を使うことがあった。ましてや、人形にたとえるのだから自分の本当の身内でなくてはならない。それならば皇后様と同格ではなく、官女と格下げしてたとえていることも、当然といえば当然である。サトウハチローはミスどころか、わざわざ「行く」の尊敬語を使ったはずなのである。しかも「お嫁にいらした姉様」とは実在した姉のことをモデルにしていたのではないかと思う。

ハチローは、幼いとき腰に大やけどを負って、いつつも家の中で遊んでいるような子どもだった。そんな彼をいつもかばい、励まし、やさしく面倒を見てくれたのが4歳年上の姉だった。姉は歌詩のとおり、白い顔した瓜ざねが尾の美人だったとされる。ハチローは、姉から読み書きを教わり、詩心を授けられた。ピアノを教えてくれたのも、心やさしき立派な男になれと説いてくれたのも姉だった。そんな誰よりも大好きな姉が嫁ぐことになった。ハチローは少し悲しかった。夜、家からこっそり抜け出して星を仰いでいるといつの間にか星が涙でうるんできた。
嫁ぐ少し前だった、姉が胸を患ったのは…。当時、肺結核は不治の病だった。周りに感染するからと、療養所に隔離されるのが常だった。姉の嫁入りは相手側から一方的に破棄された。ハチローはくやしかった。お嫁に行くことが決まったときの悲しみとはまた違う悲しみだった。「ボクが心の中で反対したから、お姉さんは病気になったのかもしれない」。ハチローは悔いていた。その夜お姉さんは息を引き取った。18歳だった。

(カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4)
♪ お嫁にいらした 姉様に
尊敬語の「いらした」を使うのなら、位の高い所に嫁がねばならない。いや姉さまは嫁ぐことなく逝ってしまったのだ。ひょっとしてこの表現は、黄泉の国へ嫁ぐ、いわば亡くなってしまったことをそのまま指しているのではないだろうか。そんな気がしてならない。亡くなった後は、浄土の国、すなわち神の国である。そう解釈すればお姉さんは若くして天に選ばれて神の元へいった。イヤ、神の元へ「いらした」のではないか。
今日は「ひな祭り」。ちょっと想いを馳せた「ひな祭り」にしてみてはどうだろうか…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
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◇ちょっと予備知識 → 「真」は偽りがないこと。まこと。「骨頂」は程度が甚だしいこと。この上なく悪いこと。
「骨張」とも書く。「骨長」と書くのは誤り。
類義語に真価(しんか)・真面目(しんめんもく)・本領(ほんりょう)がある。
対義語は虚飾(きょしょく)・虚栄(きょえい)。
うれしいひなまつり(童謡物語第14弾) vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)
次に、この童謡ができたいきさつを見てみる。この詩を作ったのは、サトウハチロー。童謡作家として「ちいさい秋みつけた」などを書く一方で、歌謡作家としても大きな足跡を残した人だ。とくに終戦後、焦土の中の日本人に明るい希望を与えた「リンゴの歌」や、長崎の原爆をモチーフとした「長崎の鐘」などは人々に深い感銘を与えた。この「うれしいひなまつり」を書いたのは1935(昭和10)年だった。実はこの年の前年、ハチローは最初の夫人と離婚して、上の女の子二人と男の子の三人の子どもを引き取っていた。上の子がまだ小学生だったというから、まだまだ母親が恋しい年頃である。せめてものつぐないのつもりだったのだろう。立派なひな飾りの人形をプレゼントしたのである。子どもたちは大喜びし、人形を一日中ながめながら、寂しさをまぎらわせていた。子どもたちの様子を見て、ハチローは心の中で「すまない」と何度も頭を下げながら、この「うれしいひなまつり」を書き上げたという。

では、問題視している「いらした」は、字数の関係でたまたま起きた、単純なミスだったのだろうか。いや、そうではあるまい。ここには必ず隠された何かがあるはずだ。この「いらした」の本質は何なのだろう。兄などに嫁いで来た義理のお姉さんが、白い顔の官女に似ているというのか。はたまた他家に嫁いでいってしまった姉が、官女に似ているというのだろうか。「いらした」「いらっしゃる」は「来る」の尊敬語。「近くにいらした節には、どうぞ、お寄りください」といった具合に使われる類だ。しかしそれと同時に「行く」の尊敬語でもある。つまり「あちらの方面にお出かけの際は、是非富士山にいらしてください」などのときだ。どちらも身内の者にこういった使い方をするのは通常おかしい、ありえない。もし兄に嫁いで来た姉に尊敬語を使うとすれば、たとえば天皇家や華族など位の高い家から娶らなければならない。それならばつじつまがあう。しかし、その場合、いただくほうもそれなりの家柄でなくてはならくなる。それならば良家から嫁いできた新しい姉のことをいくら美しいといえども、人形などにたとえたりするだろうか? 恐らくしないだろう。

♪ お内裏様と おひな様 二人ならんで すまし顔
お内裏さまとは天皇のことで、お雛様は皇后の姿を型どっている。位の高い良家からお輿入れしたお姉さまなら、もし人形にたとえるのであっても、お雛様、つまりお姫様でなくてはならないだろう。宮仕えの官女では、それこそ失礼の極みとなりかねないはずだ。反対にお嫁に行くとなればどうだろう。良家に嫁ぐということになる。たとえば、「華族様の元に、お嫁にいらしたのです」。こういう使い方はしないでもない。
昔は、女は男があってこそ、という考え方が今の時代よりはるかに一般的だった。封建的な男尊女卑がまだまだ貫かれていた。良家に嫁ぐことになった娘や姉に対し、「あのお家にお嫁にいらっしゃる」というのは、嫁ぎ先をあがめ、今後の血のつながった姉だとしても自分の家の者ではなく、嫁ぎ先の人間になることから尊敬語を使うことがあった。ましてや、人形にたとえるのだから自分の本当の身内でなくてはならない。それならば皇后様と同格ではなく、官女と格下げしてたとえていることも、当然といえば当然である。サトウハチローはミスどころか、わざわざ「行く」の尊敬語を使ったはずなのである。しかも「お嫁にいらした姉様」とは実在した姉のことをモデルにしていたのではないかと思う。

ハチローは、幼いとき腰に大やけどを負って、いつつも家の中で遊んでいるような子どもだった。そんな彼をいつもかばい、励まし、やさしく面倒を見てくれたのが4歳年上の姉だった。姉は歌詩のとおり、白い顔した瓜ざねが尾の美人だったとされる。ハチローは、姉から読み書きを教わり、詩心を授けられた。ピアノを教えてくれたのも、心やさしき立派な男になれと説いてくれたのも姉だった。そんな誰よりも大好きな姉が嫁ぐことになった。ハチローは少し悲しかった。夜、家からこっそり抜け出して星を仰いでいるといつの間にか星が涙でうるんできた。
嫁ぐ少し前だった、姉が胸を患ったのは…。当時、肺結核は不治の病だった。周りに感染するからと、療養所に隔離されるのが常だった。姉の嫁入りは相手側から一方的に破棄された。ハチローはくやしかった。お嫁に行くことが決まったときの悲しみとはまた違う悲しみだった。「ボクが心の中で反対したから、お姉さんは病気になったのかもしれない」。ハチローは悔いていた。その夜お姉さんは息を引き取った。18歳だった。

(カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4)
♪ お嫁にいらした 姉様に
尊敬語の「いらした」を使うのなら、位の高い所に嫁がねばならない。いや姉さまは嫁ぐことなく逝ってしまったのだ。ひょっとしてこの表現は、黄泉の国へ嫁ぐ、いわば亡くなってしまったことをそのまま指しているのではないだろうか。そんな気がしてならない。亡くなった後は、浄土の国、すなわち神の国である。そう解釈すればお姉さんは若くして天に選ばれて神の元へいった。イヤ、神の元へ「いらした」のではないか。
今日は「ひな祭り」。ちょっと想いを馳せた「ひな祭り」にしてみてはどうだろうか…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
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天を仰いで思うこと 序破急 2009/03/02 12:00 am
じょはきゅう…始め・中・終わりの三段構成。そこから、調子の緩急。物事の展開の仕方。
◇ちょっと予備知識 → もとは舞楽などの演出上の三区分をいった。
類義語に起承転結(きしょうてんけつ)がある。
話のネタ雑学(11)
大晦日にちなんだネタを少々。 (旧フォトヴィレッジ 2006年12月31日掲載)

大晦日といえば、年越しそば。年越しそばを食べる習慣は江戸時代中期から始まったもの。これは元々月末にそばを食べる習慣があり、大晦日のみにその習慣が残ったもの。金箔職人が飛び散った金箔を集めるのにそば粉を使ったことから、年越しそばを残すと翌年は金運に恵まれないと言われているんだよ。だから残さずに食べようね!

次に除夜の鐘。除夜の鐘は108回撞かれる。この108回というのは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のそれぞれに、苦楽・不苦・不楽があって18類、この18類それぞれに、浄・染があって36類、この36類を、前世・今世・来世の三世に配当して108となり、これは人間の煩悩の数を表すとされているんだよ。

(神戸 生田神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
また、月の数の12、二十四節気の数の24、七十二候の数の72を足した数が108となり、1年間を表しているという説もある。これからは色々な願いを込めて一年の締めくくりの除夜の鐘を撞こう…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
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◇ちょっと予備知識 → もとは舞楽などの演出上の三区分をいった。
類義語に起承転結(きしょうてんけつ)がある。
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大晦日にちなんだネタを少々。 (旧フォトヴィレッジ 2006年12月31日掲載)

大晦日といえば、年越しそば。年越しそばを食べる習慣は江戸時代中期から始まったもの。これは元々月末にそばを食べる習慣があり、大晦日のみにその習慣が残ったもの。金箔職人が飛び散った金箔を集めるのにそば粉を使ったことから、年越しそばを残すと翌年は金運に恵まれないと言われているんだよ。だから残さずに食べようね!

次に除夜の鐘。除夜の鐘は108回撞かれる。この108回というのは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のそれぞれに、苦楽・不苦・不楽があって18類、この18類それぞれに、浄・染があって36類、この36類を、前世・今世・来世の三世に配当して108となり、これは人間の煩悩の数を表すとされているんだよ。

(神戸 生田神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
また、月の数の12、二十四節気の数の24、七十二候の数の72を足した数が108となり、1年間を表しているという説もある。これからは色々な願いを込めて一年の締めくくりの除夜の鐘を撞こう…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
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