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rrbのブログ - 2009/07のエントリ

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天を仰いで思うこと あめさん 2009/07/20 12:00 am

めさん
飴。食べ物にも「サン」を付ける。芋を「オ芋サン」と「オ〜サン」を付けて丁寧にいう。粥を「オかいサン」、豆を「オ豆サン」、揚げ豆腐を「オあげサン」、卵を「オたまサン」 飴は母音アで始まり「オあめサン」と言いにくいのでアメサンである。しかし、昔は京都御所では「鮎」に「御」をつけて「御鮎」の表記が多く見られた。アメサンをアメチャンというのはより親愛の気持ちが移ったのであろう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(67) ちょっと気になる「ことば」の話
っていうか



A K子、来るんだろうか?
B うーん、っていうかちょっとこれ見て、変だよ、これ。
AはK子が来るかどうかを気にしている、しかし、Bは別のことに夢中。こんな「っていうか」の使い方は確かに気になる。
本来「っていうか」は「XっていうかYっていうか」のように自分の言葉をあれこれ吟味してよりよい表現を探すときに用いるものだ。
A 朝ご飯もみんないっしょだったんだ。
B うん、なんか、こう陽気に食べるっていうか、楽しく食べるみたいな、そんな感じだった。
のように本来は自分の言葉を吟味する表現である。
A 今までに習った助動詞なんて覚えてないさ。
B 覚えてない、っていうか今まで習った助動詞なんてあんのかよって感じだよ。
この場合、言葉を吟味しているというより、相手とは言いたい内容が異なっているということ、つまり「あなたの言いたいことはともかく、私の言うことを聞いて」という気持ちを表している。このように、最近では言葉を吟味するという用法からズレた言い方が多く使われるようになってきた。



冒頭の会話は、上の空のBはAの話を聞いているのやらいないのやら、軽く受け流して自分が気になることに話をもっていってしまう。このような使い方が最近の若年層に増えてきているという。
話題を転換したいのなら「それより」や「ところで」を使えばいい。そうすれば話題を転換することがはっきり伝わる。それを避けて「っていうか」を使う背景にはその明瞭さを嫌う気分があるのかもしれない。ふと思いついたことを相手に配慮することなく気ままに述べるという気安さが感じられる。このような使い方に対して「子どもっぽい」とか「教養がない」という感じを受ける人は少なくない。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

話題転換の「っていうか」にしても、断定を避ける「っていうか」にしても、仲間うちのくだけた会話で気楽に話をするときに用いるものだ。その限りで使っていれば問題ないのかもしれないが、ひとつ間違えると相手に悪い印象を与えてしまう。使うのならそのあたりのことをきちんとわきまえて使いたいものだ…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)


 

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天を仰いで思うこと かんがえときまっさ 2009/07/17 12:00 am

んがえときまっさ
「考えておきますよ」の意で、他人に物事を依頼しに行ったとき「カンガエトキマッサ」と言われる。しかし、相手が実際に依頼の用件について、親身に考えてくれているものと期待するわけにはいかない。「京のお口別嬪」といって、口先では穏やかに婉曲の表現をすることがある。買い物に行って、店で「またにしまっさ」と言うのも、相手を傷つけない配慮であろう。実際は次に買ってくれる保証はない。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(66) きょうの京
7月17日は祇園祭山鉾巡行



太刀を左、右、もう一度左に振り、最後に真上から注連縄を一刀両断。観客の拍手がわくなか、ふたつに切られた注連縄が道路に落ちる。長刀鉾の生き稚児により神域との境界が開かれ、いよいよ祇園祭山鉾巡行が始まる。
午前9時、四条烏丸に長刀鉾を先頭に32基の山鉾が巡行順に集結、四条堺町にもうけられた関所で「くじ改め」がおこなわれ、くじ取らずの山鉾以外は奉行役の京都市長に各々くじを提示して、くじ順どおりにしたがっていることを示す。そのあとに四条麩屋町で斎竹(いみたけ)の注連縄切りが行われ巡行が始まる。
扇を手にした音頭取りの「ヨーイヨーイ、ヨーイトセー」の掛け声にあわせて、曳き手が鉾につないだ綱を引っ張る。直径約2mの木の車輪がギシリと音をたてて動き出し、四条通を東へゆっくりとすすむ。豪華な懸装品をまとった山鉾が、つぎつぎに長刀鉾にしたがってゆく。



見せ場は四条河原町、河原町御池、新町御池の角で方向転換する「辻回し」である。囃子方などを乗せて重さが10tにもなる鉾を青竹を車輪の下に入れ、音頭取りの「ヨーイトセー、エンヤラヤー」の掛け声に、綱を引く人、車輪を押す人が満身の力を入れるとギュルギュルと音をたてながら、少し方向がかわる。また青竹を入れなおし、掛け声にあわせて、方向を変える。ようやく方向転換がすみ、お囃子が涼やかな音を奏でるなか、すすみだす。山は、神輿のように担ぎ手が轅(ながえ)をもって担いで方向転換する。
新町通を前に稚児は長刀鉾からおりて、八坂神社へ授かった位を戻しに詣る。新町通から山鉾は各町へ帰っていく。新町通は鉾一基が通るといっぱいになってしまう狭さなのだが、目の前にそびえ立つ山鉾は迫力満点である。町内に戻った山鉾は邪気がつかないようにすぐさま解体され、保存庫にしまわれ、来年の出番を待つ。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

午後6時、八坂神社西後門の石段下に白い法被を着た男衆約1500人が勢ぞろい。かなりの熱気がすでにあふれている。祇園祭の神幸祭は「おいで」とも呼ばれ、素戔鳴尊(すさのおのみこと)を「中御座(なかござ)」、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)を「東御座」、八柱御子神(やばしらみこがみ)を「西御座」の神輿で四条寺町の御旅所に迎える。974(天延2)年にはじまったという、祇園祭でもっとも重要な神事である。神輿の重さは約2t、担ぎ棒は約10m。担ぎ手は神輿を高々と担ぎ上げて神への敬意を示す「差し上げ」ののち神職からお祓いをうけ、つぎに「ホイット、ホイット」の掛け声にあわせて、神輿にくくりつけられた大きな鈴がジャランジャランと賑やかな音をたてるなか時計回りに回転させる「差し回し」を披露すると見物客から歓声がわきおこる。三基はそれぞれ氏子区域をめぐって午後9時半ころ御旅所に到着し、24日の還幸祭で八坂神社に戻る。


(おまけ)

祇園祭の山鉾巡行、一度はゆっくりと見たいと考えつつも、できないでいる。来年の7月17日は土曜日。見物客のひとりになりたい…と、天を仰いで思うこと。
★前回の「きょうの京」はここ(←クリック)


 

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天を仰いで思うこと くちなわ 2009/07/15 12:00 am

ちなわ
蛇。「このごろは都会で、クチナワ見かけんようになったな」 クチチとも。クチは朽ちること。クソヘビのクソ(糞)と同じように、クチ(朽ち)は、ののしり、憎む意味の接頭辞。クチナワのナワは古語「ナブサ(青大将)」が変化し存続した形である。江戸時代後期の辞書『丹波通辞(たんばつうじ)』には、茶色の蛇を「なぶそ」というとある。クチナワは、もと有害な蛇を指したが、後に蛇の総称となった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(65) きょうの京
7月15日は祇園祭の宵々山



この日の早朝、古来この役を担ってきた東洞院高辻上ルの高橋町の人たちによって四条麩屋町に斎竹(いみたけ)が立てられ、注連縄が張られる。斎竹は神域との結界をあらわし、山鉾巡行前に生き稚児が太刀で注連縄を切り、その結界を開く。



梅雨が明けきれず、蒸し暑い宵を迎えた午後6時、烏丸通から八坂神社までの四条通は歩行者天国となり、午後11時ころまで人波は絶えない。2007(平成19)年には土曜日と重なったので42万人の人で溢れかえったが、2008(平成20)年は火曜日ということもあって28万人。過去の宵々山の人出数は2000(平成12)年の58万人を最高に1995(平成7)年の46万人、1992(平成4)年の45.5万人となる。天気と曜日に左右される人出数というところだろう。また、午後8時からは八坂神社で三基の神輿に神霊を遷す宵宮祭が、境内の灯かりをすべて消し暗闇のなかで厳粛に行われる。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

月鉾は今年から駒形提灯の電球を蛍光灯からLED電球へ変更するという。昨年、32基の山鉾は一斉に駒形提灯の電球を白熱灯から省エネ型の蛍光灯へ交換したらしい。今回はさらに「環境に優しいエコな山鉾」づくりをめざしているといえる。浴衣を着たカップルや親子連れ、カメラを持った人々がそぞろ歩く宵々山。その裏では祇園祭の行事が粛々と進められている…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと いもとのよめいり 2009/07/13 12:00 am

もとのよめいり
イモトノヨメイリ(妹の嫁入り)とは、値段と相談すること。西陣織の職人ことば。妹の嫁入りには、姉と相談して決める習慣があるのでいう。姉をネーというから値段の値(ネー)とかけた。京都ではネをネーと長く、妹をイモトと短く言う。弟はオトトである。西陣織職人がデッチノウナギというのは「鰊(にしん)」のこと。昭和初期に丁稚は粗食に耐え、月の一日・十五日に出された鰊をウナギと思って食べたという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(64)
砂時計に思うこと


珍しく縦画角

銭湯のサウナや、カップラーメンのお供や、ゼルダの伝説などで今でも使われている砂時計。砂時計は、約1000年前から使われていたといわれているが、そこには、現代科学をもってしても解明できていない、様々な謎が隠されているという。そんな、砂時計にまつわる謎が紹介されている本がある。タイトルはずばり、『砂時計の七不思議』(中央公論社)。著者は中央大学教授の田口善弘教授(執筆当時は東京工業大学助手)である。なんともロマンあふれるタイトルにいざなわれ、読んでみた。といっても、今では絶版で、おいてある図書館を探した。



本には、タイトルの通り、砂時計にひそむ七つの不思議が紹介されている。例えばこんなものだ。「砂時計の砂が流れ出る速さは、砂時計の上半分に残っている砂の量によらない」 これ、一見すると当たり前のように見えるが、これが水だとこうはいかない。紙パックの牛乳の底近くの側面に穴を開けたとする。最初はいきおいよく牛乳が出てくるが、最後の方はちょろちょろとしか出なくなる。これは、パックに残っている牛乳が多いほど、勢いよく出るからだ。お風呂にためた水を排水溝から流すときも同じ。砂時計の場合、このようなことは起こらず、どんなに残りの量が少なくなってきても、砂が落ちる量は一定である。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

このような現象が起きるのは、砂が、ある程度の大きさをもったつぶつぶ(粉粒体)であるからだそうだ。つぶつぶであるがゆえに、水などの液体とはまた違った性質をもっているという。このつぶつぶをよく調べると、砂時計がくびれの部分で目詰まりをしないのはどうしてか、ということもわかってくる。七不思議の一つに、「くびれ部分の直径が、砂粒の6倍よりも小さいと砂が流れなくなる」というものがあり、砂時計はそうならないよう、きちんと設計されている。本には、砂時計の七不思議にとどまらず、つぶつぶにまつわる様々な現象が紹介されている。1995年に執筆された本であるが、トピックが幅広く、今でも新鮮さが失われていない。専門的な内容もあるが、全体としては読みやすくまとまっている。砂時計、いくつか持っているが、なんとなく癒されるアイテムだ…と、天を仰いで思うこと。


おまけ


 

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天を仰いで思うこと ほたえる 2009/07/10 12:00 am

たえる
戯れる。「兄弟二人で、ホタエテホタエテ困ります」「天井裏でネズミがホタエテル」 戯れ、じゃれ合って暴れるさまをいう。江戸時代は、ふざける、おどける、甘えるの意だった。「ほたゆ」に由来する。京丹後市ではホーザエルという。度の過ぎたいたずらはワルボタエである。いたずらする子はヤンチャ。幼児がむずかるときに言うイヤジャ(嫌だ)が訛ったとの説がある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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のネタ雑学(45)
辛いものを食べると汗が出るのはなぜ?



日本人はカレー好きというが、本場インドのカレーの辛いことといったら、汗がドーッと出て、目の玉が飛び出しそうだという。日本のカレーも辛さを選べる店も増えてきた。



ところで、カレーにつきもののというより、辛いものにつきものの汗、寒い冬に食べても必ず汗が出てくる。
調べてみると、辛いものが入った胃は刺激を受けてカッと熱くなる。これは胃壁が刺激に対して反応したため。反応すると、体は発熱する。すると、それを冷却するために、毛細血管が拡張し、新陳代謝が激しくなり、汗を出すことで蒸散放熱が行われ体温を冷ますという図式である。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

まだ足用の使い捨てカイロがなかった頃、靴の中にトウガラシを入れていたといい、効果としてはヒリヒリするくらいよく効いたらしい。カレーが入った胃と同じことが足でも起こったためである…と、天を仰いで思うこと。
★前回はここ(←クリック)


 

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