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rrbのブログ - 2009/07/28のエントリ

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今京都 しょぼくさい 2009/07/28 12:00 am

ょぼくさい
貧相な。「また、ショボクサイ格好してるな」 ショボは、雨露に濡れて、ぐっしょりしたさまをいう「しほしほ」から。クサイは不快を示す接尾語。俳人安原貞室の『片言』(かたこと)には「袖袂などの雨露にぐっしょりぬれたるを、しほしほといふはよろしけれど、しぼしぼぞ、じっぽりぞなど云は如何」とある。「又しょぼくさなどは如何。但草といふはこと葉の縁にて侍れば、苦しかるまじきにや」と解説している。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

抜地蔵(石像寺) (旧フォトヴィレッジ 2007年3月23〜25日掲載)



ここは京都市上京区の千本今出川を北へ上がったところにある釘抜地蔵。819(弘仁10)年に真言宗の開祖・空海(弘法大師)が開創したと伝わる。境内には空海手掘りといわれる京都三井の一つや、平安時代の歌人・藤原家隆、定家、定長の供養塔がある。



道沿いの門をくぐり、30mほどの参道の脇には、大きな釘と釘抜きのようなものが設置されている。境内に入る第二の門から本堂を臨む。中央には先ほど参道にもあった釘と釘抜きのようなものが…。参拝者はまずここで手を合わせる。このお地蔵さまは苦しみや痛みを抜き去る御利益があるといわれ、「苦抜(くぬき)地蔵」とも呼ばれている。





それは戦国時代のことだった。紀の国屋道林(40歳)という都でも有数の商人がいた。ある日突然、何の前触れもなく両手が痛み出す。痛みに耐えかね、治療を尽くしたけれど、そのかいもなく痛みが続く。おまけに病名も分からない。そこで頼るは「神仏」と霊験あらたかなお地蔵さまに願掛けした。その願掛けの満願の夕べに、お地蔵さまが夢に現れお告げがあった。
そのお告げとは、
「この痛みは病ではない。おまえの前世が人をうらみ、人形を作って両手に八寸の釘(くぎ)を打ってのろった。その罪が返ってきて、おまえの身に苦しみを与えている。」
夢のお告げはさらに続く。
「幸いにもおまえはわたしのところに来た。神力をもって、そのうらみの釘を抜き取ってやろう。」
というもの。
夢から覚めると、両手の痛みは消えていた。驚いた道林は急いで寺に向かい、お地蔵さまが安置された厨子(ずし)の前に伏して拝んだ。すると朱に染まった二本の八寸釘が置いてあるのが目に入った。それからというもの、道林は百日を期して日参し、少しでも恩に報いたという。お地蔵さまを安置する本堂の外壁には、八寸釘が二本と釘抜きを取り付けた絵馬が、すき間なく張り付けられている。





八寸釘が二本と釘抜きを取り付けた絵馬は、言い伝えにちなみ、お地蔵さまにお参りした後、御利益があった時だけ奉納が許されるという。「苦しみは釘のようなもの。悩んだり、苦しんだりすると、釘が刺さったような気持ちになる。お地蔵さまとのかかわりのなかで、願いが成就した方だけに奉納していただく」という考えのもとだという。お千度で本堂をぐるぐるとまわったり、仏具の五鈷杵(ごこしょ)をなでて手を合わせたりする人々。科学万能の今の時代にも、信仰心はしっかりと生きているという証ね。釘抜地蔵のある石像寺は現在、浄土宗の寺院で、毎月24日が縁日となっている。





次から次へと参拝者が絶えない。「苦抜(くぬき)地蔵」とも呼ばれている通り、何かの苦痛・苦悩を取り除きたいのか!? そういえば現代は苦痛・苦悩だらけ。そしてどの時代にも必ず存在するのが「現代病」という病気だ。お若いお二人も参拝。突然、ひとりのおばあちゃんが、お二人に話しかけていた。
「あんたら、お参りの仕方を知ってるかぁ。知らんやろ、教えたろ。」と。
「あんなぁ、まず手を清めてなぁ。清めたらな…」と説明が続く。



傍でお話を聞いていると、おばあちゃんは20年近く毎日毎日欠かさず奉仕しているという。ご住職のお話を聞くより、おばあちゃんのお話のほうが楽しいかも知れない。それは、そこにあるのは難しいお経とか教義とかではなく、信徒の純朴な心だからだろう。そして、その純朴な心こそが今の時代でも地蔵信仰を支えている要因なんだと感じた。



「あんたも、そんなことばかりしてんと、お参りしとき!」
その言葉に慌てて参拝。「まずは手を清めてから」…今京都。


 

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