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rrbのブログ - 2009/07のエントリ

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天を仰いで思うこと おくない 2009/07/08 12:00 am

くない
おくれ、くださいの意。「おかあさん、そこのハサミ取ってオクナイ」「きれいな色紙欲しいな、オクナイナ」 オイナイはオイナハイ(おいでなされ)から変わった。18世紀前半に花街で使った。ミトイナハイ(見ていらっしゃい)はミトイナイに、オクナハイはオクナイとなった。「ぎょうさんオクナハレ」は東京では「どっさりください」 オクナイは、子どもがねだるときにいい、甘い感じがする。関連はおくれやす。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(63)
誰でもよかったから思うこと



随分以前に、茨城県土浦市の8人殺傷事件後、面識のない人が突然襲われる「通り魔」的な凶行事件が全国で続発しているという掲載をした。



その時の記事は、逮捕された犯人に共通しているのは、「誰でもよかった」という無差別殺人をほのめかす動機。8人殺傷事件で逮捕された犯人は警察の取り調べに「人を殺したかった」と供述している。事前に凶器を購入するなど計画的な犯行だが、逮捕前には「早く捕まえてごらん」と2度にわたり警察を挑発しており、ゲーム感覚で人を襲った異常な言動も明らかになっている。この事件後、千葉や愛知、福岡県でも通行人らが見知らぬ人に刃物で刺されるなど、通り魔事件が続発。岡山の事件で逮捕された少年も「人を殺せば刑務所に行ける」と供述、同じように「誰でもよかった」と無差別殺人をうかがわせる動機を話しているから恐い。一連の事件を専門家たちは、社会が閉塞状態だと不満を爆発させるような事件が起きる。少年など社会の弱者がストレスに一番反応しやすく、茨城県土浦市の8人殺傷事件に触発された可能性もある。テレビゲームや映画などで人を簡単に殺すシーンに日常的に接しており、殺人への罪の意識が希薄になっている。と指摘している。さらに、こうした殺人予備軍ともいえる人は相当数いるとみられ、凶悪事件が起きればせきを切ったように表に出てくる。つまり連鎖的に犯行が続くことが懸念されるということだ。個人的な恨みとは違い、通り魔事件は繰り返される傾向があり、過去にも多くの同種事件が起きている。若い人の自我が確立していないことが背景にあり、こうした事件は日常生活で多くのストレスを抱える現代社会を反映しているともいわれている、というものだ。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

今回、大阪のパチンコ店放火の犯人も、「通り魔みたいに人を殺したかった」と供述している。4人が死亡、19人が重軽傷を負った大阪のパチンコ店の放火殺人事件。「誰でもいいと思ってやった」と供述したというが、犠牲者の家族はいたたまれない。少し前の秋葉原の無差別殺傷事件もそうだが、世の中が病んでいるのか、人間が本来の常識を失ってしまったのか。よいことはよい、悪いことは悪いと公正に物事を判断する能力は失いたくない…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと おぶー 2009/07/06 12:00 am

ぶー
お茶。ブブともいう。ブブは、熱い湯茶を吹くときの擬声語に基づく。祇園花街では「お茶を挽く」とは仕事がないことなので、「お茶」の語を嫌って、ブブとかオブーという。お茶漬けはブブヅケ・オブヅケ。「しばづけでブブヅケにおしやすか」「なんにもおへんけどブブヅケでも食べていっとくれやす」という「京のお茶漬け」は、実際には振る舞うつもりはない。口先だけの世辞のよいのをそしることば。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(62)
ステキなシーンに思うこと



電車の乗車マナーの悪さにしばしば閉口することがある。痴漢行為もさることながら、携帯電話の迷惑使用やヘッドホンからの音漏れ、駆け込み乗車。所かまわず座り込む高校生。挙句の果ては、深夜の車内では酔客が目につく。



ほろ酔い機嫌も度が過ぎれば傍若無人の振る舞いとなる。ここまで酔いつぶれなくてもと内心あきれつつ、床にぐったりと座り込んだ年配男性の様子をうかがっていると、どうも変。傍らの乗客が異変に気づき非常ボタンで乗務員に知らせる。最寄り駅で急停車すると、乗り合わせた乗客の一人が自分の上着を掛けて救護を率先した。どうも救急救命士らしい。駅員らに「救急車の手配を」「AED(自動体外式除細動器)を用意して」とてきぱきと指示する。その行動につられるように周りの乗客らも担架での搬出を手伝い始めた。家路を急ぐ乗客が多いはずだが、大幅に遅れた運行再開にも不満の声は聞かれなかった。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

その数日後の出来事。朝のラッシュを過ぎても車内は混雑していた。盲導犬同伴の女性が慌てて席を立とうとする。降車駅が近づき、不安になったのだろう。居合わせた男性が「停車してからでいいですよ。ゆっくり降りられるように誘導します。ご安心を」。さりげない行動や言葉に、優しさや思いやりがきらりと光る。こんな場面に出合うと、乗車マナーの悪さへの腹立ちも雲散霧消。慌ただしい日常生活にしばし心洗われた、という話を聞いた。こんなシーンに出くわしてもちゃんと振る舞えるだろうか、と話を聞きながら考えた。こういう行動ができるおとなになりたい…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと たしない 2009/07/03 12:00 am

しない
少ない。不十分な。もらい物の菓子などをおすそ分けするときに、「タシナイもんどすけど、おあがりしとくれやす」のようにいう。「足し無し」から。反対に、「よその店にはない、タシナイもんや」のように貴重なの意味にもなる。求めにくいこと、足りなくて貴重なことにいう。「お客さんに出さんならんし、タシナイもんやしな」と母親に言われると、子どもは納得して手をださない。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(61)
漫画から思うこと



「宇宙戦艦ヤマト」の話に触れる機会があった。物語は、時は西暦2199年。地球は、「人類の奴隷化か死か」を要求するガミラス帝国の侵略を受け、遊星爆弾による無差別攻撃を受けていた。海は蒸発、放射能汚染で地上の生物は死滅する。地下都市を建設し人類は必死の抵抗を続けていたが、圧倒的な科学力の差の前になす術もなく、地下にも放射能汚染が進行。人類の絶滅まであと1年余りと迫っていた。最後の地球防衛艦隊が冥王星空域でのガミラス宇宙艦隊と交戦で壊滅、人類生存の希望は完全に潰えたかに見えたが、この海戦の最中に外宇宙から飛来した一隻の宇宙船が火星に不時着、通信カプセルが回収される。その中にはイスカンダルから、「放射能除去装置・コスモクリーナーDを受け取りに来るように」との救援メッセージと、航海に必要な波動エンジンの設計図が納められていた。極秘裏に改造中だった、宇宙戦艦ヤマトに波動エンジンが搭載され、目的が地球脱出から放射能除去装置・コスモクリーナーDの受け取りに変わる。14万8千光年の彼方、大マゼラン星雲のイスカンダル星に向け、1年以内に帰還しなければ人類滅亡という状況下、宇宙戦艦ヤマトは人類最後の希望を託されて発進する。ガミラス帝国との壮絶な死闘を繰り広げ、未知なる宇宙空間に翻弄されながら、一路イスカンダル星を目指す。



さて、このヤマトの第2作めに登場する「アンドロメダ」という戦艦がある。この戦艦は、地球防衛艦隊最大にして最強の10万トン級宇宙戦艦で、ヤマト以上の巨躯と威容を誇り、強力な武装を持ち、艦の自動制御化を進めている。艦の自動制御化を進めたため、ヤマト級戦艦の8割程度、95名と少ない。しかし、この自動制御化の傾向に疑念を持つ者もいた。というものである。
ヤマトの話を熱く語る方の印象は強いが、その中でも、「このアンドロメダの艦長が土方であるが、その艦長の言葉」を聞いた時のほうが印象的だ。それは「ヤマトには愛がある」という言葉。この場合の「愛」とは、「人の心」を表わしているのであろう。今の時代、ともすれば人との係わり合いを嫌い、孤立する傾向にあるが、ヤマトは互いに信頼しあい、支えあうという人間関係がある。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

漫画とはいえ、そのテーマは人間関係だったのか…。もし、そうならば、単に戦いを描いたものだけではない、ということになる。漫画とはいえ、教訓めいているのはステキなことだ。話を聞いていて、今の時代に本当に必要なものは、「人間関係による個人の力量をさらに伸ばす」ことだろう…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと しるい 2009/07/01 12:00 am

るい
雨が降って道がぬかっていること。「道がしるいし、長靴履いて行きなはれ」 泥深いことにも使う。「汁」に「い」をつけて形容詞化したものか。京都府北部ではジルイ、ジュルイとも。『物類称呼』には「道路のぬかりを、関西にてしるい、東国にてぬかりといふ」とある。雪が解けるとシルイ道になる。室町時代、「しるい」は粥など水気の多いもののさまをいった。京都ではヌカルミは泥深い所を指す。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

月。今日から7月だ。早いものだ。京都の街では、祇園祭のお囃子が聞こえている。

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方山話(60)
日常品について思うこと



起源は定かではないが正倉院の所蔵物にそれらしきものがある。古くは衣包(ころもつつみ)、平包(ひらつつみ)と呼ばれていた。これは「風呂敷」のこと。風呂敷と呼ばれるようになったのは室町時代末期に大名が風呂に入る際に、平包を広げその上で脱衣などして服を包んだ、あるいは足拭きにしたなどの説による。言葉自体の記録としては、駿府徳川家形見分帳の記載が最初のものとされる。その後、江戸時代になり銭湯の普及とともに庶民にも普及。なお平包の言葉は風呂敷の包み方の一つとして残る。



一枚の布ではあるが様々の形状、大きさのものを包むことができるため広く普及。風呂敷自体、様々な大きさのものが作られ強度を上げるため刺子を施すなどもされた。サイズの大きいものは大風呂敷といい布団を包めるようなものもある。明治時代以降、西欧から鞄類が入り風呂敷の利用は減っていき、現代、街中で見ることは希。しかし近年、環境問題により、レジ袋に代わるものとして利用を提案する意見がある。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

この風呂敷も先日の手ぬぐいと同様にいくつか持っている。「風呂敷」はとても便利なものだ。手提げ袋や鞄で持ち手のついているタイプに慣れきっている方には使いづらいかも。使いづらいというより、持ちにくいかもしれない。エコ・バックなどが世間でもてはやされているが、一番のエコ・バックは「風呂敷」だと思う。小さくたたんでおけば、鞄の中に入れていても邪魔にならない。また、物を包む使用だけでなく、様々な用途にも展開できる。アイデアひとつでとてもお洒落なアイテムだといえる。エコ・バックの変わりにひとつ鞄の中に入れておくのもお洒落ではないか…と、天を仰いで思うこと。


 

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