rrbのブログ - 2008/11のエントリ
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今京都 一長一短 2008/11/15 12:00 am
いっちょういったん…何事にも良い点もあれば悪い点もあるということ。また長所もあれば短所もあって、完全な物事はないということ。
◇ちょっと予備知識 → 「一」は「あるいは〜」の意。「一短一長」ともいう。
類義語に一利一害(いちりいちがい)・一得一失(いっとくいっしつ)がある。
プール地蔵
あまり怠けすぎるとブログ復帰ができなくなるのでは…と考え、奮起して今日はこのお話。
紅葉のライトアップで知られる京都市左京区の圓光寺に、頭部が欠けた地蔵がまつられている。

立て札も説明書きもないが、上京区の元西陣小の卒業生には「プール地蔵」として知られている。花こう岩の表面は風化が進み、顔はわずかに鼻の隆起がわかる程度。

しかし、地中から掘り出され、同小が休校するまでの約30年、子どもの水難よけを願う親の祈りを一身に受けてきた。プール地蔵のエピソードは、1995(平成7)年発行の「西陣小学校学譜」に詳しい。

それによると、1966(昭和41)年、3年後に創立100周年を迎える西陣小で、記念事業のプール建設が始まった。校庭が手狭だった同小は、隣接する大宮児童公園の東側が用地にあてられた。翌年6月、工事現場から頭部が欠けた地蔵が掘り出される。当時の教頭が引受先を探したが見つからず、教頭が守り本尊としていた圓光寺に回向を頼んだ。1968(昭和43)年、プールは完成。

同年8月、真新しいプールで泳いでいた3年生児童が、水底にあった自動浄化装置の吸水口に頭部を吸い付けられる事故が起こった。プール地下の機械室にいた先生が浄化装置を操作し、児童は危うく一命を取り留める。翌年以降、PTA役員や先生が、プール開きの前に圓光寺の地蔵を参るのが習わしになった。

同小ではプール開設後も、大正時代から続く臨海学習の伝統は続いていた。プール地蔵のお参りは、福井県の臨海学舎を事前下見する日に、留守役の保護者らによって営まれた。夏の間、子どもが水の事故から守ってもらえるようお祈りをし、臨海学舎の下見とセットだったから、自然と水の安全全般を祈るようになったのではないかと想像する。1995(平成7)年、同小が休校すると、その習わしも途絶えたという。

今も圓光寺の檀家の手で毎年新しい前掛けが用意され、西方延命地蔵尊のお堂で大切にまつられている。同寺は徳川家康が開いた学問所に始まり、明治以降は長く尼僧道場だった学びの寺。ゆかりが分からない地蔵にも、願主の思いが込められている。巡り合わせを感じるような気がするのは気のせいだろうか。

元西陣小のプールは今も開設当時の姿で残り、市の審議会では「地域の特徴をいかした産業、観光施設」の方向で跡地利用が検討されているという…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 「一」は「あるいは〜」の意。「一短一長」ともいう。
類義語に一利一害(いちりいちがい)・一得一失(いっとくいっしつ)がある。
プール地蔵
あまり怠けすぎるとブログ復帰ができなくなるのでは…と考え、奮起して今日はこのお話。
紅葉のライトアップで知られる京都市左京区の圓光寺に、頭部が欠けた地蔵がまつられている。

立て札も説明書きもないが、上京区の元西陣小の卒業生には「プール地蔵」として知られている。花こう岩の表面は風化が進み、顔はわずかに鼻の隆起がわかる程度。

しかし、地中から掘り出され、同小が休校するまでの約30年、子どもの水難よけを願う親の祈りを一身に受けてきた。プール地蔵のエピソードは、1995(平成7)年発行の「西陣小学校学譜」に詳しい。

それによると、1966(昭和41)年、3年後に創立100周年を迎える西陣小で、記念事業のプール建設が始まった。校庭が手狭だった同小は、隣接する大宮児童公園の東側が用地にあてられた。翌年6月、工事現場から頭部が欠けた地蔵が掘り出される。当時の教頭が引受先を探したが見つからず、教頭が守り本尊としていた圓光寺に回向を頼んだ。1968(昭和43)年、プールは完成。

同年8月、真新しいプールで泳いでいた3年生児童が、水底にあった自動浄化装置の吸水口に頭部を吸い付けられる事故が起こった。プール地下の機械室にいた先生が浄化装置を操作し、児童は危うく一命を取り留める。翌年以降、PTA役員や先生が、プール開きの前に圓光寺の地蔵を参るのが習わしになった。

同小ではプール開設後も、大正時代から続く臨海学習の伝統は続いていた。プール地蔵のお参りは、福井県の臨海学舎を事前下見する日に、留守役の保護者らによって営まれた。夏の間、子どもが水の事故から守ってもらえるようお祈りをし、臨海学舎の下見とセットだったから、自然と水の安全全般を祈るようになったのではないかと想像する。1995(平成7)年、同小が休校すると、その習わしも途絶えたという。

今も圓光寺の檀家の手で毎年新しい前掛けが用意され、西方延命地蔵尊のお堂で大切にまつられている。同寺は徳川家康が開いた学問所に始まり、明治以降は長く尼僧道場だった学びの寺。ゆかりが分からない地蔵にも、願主の思いが込められている。巡り合わせを感じるような気がするのは気のせいだろうか。

元西陣小のプールは今も開設当時の姿で残り、市の審議会では「地域の特徴をいかした産業、観光施設」の方向で跡地利用が検討されているという…今京都。


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今京都 主客転倒 2008/11/14 12:00 am
しゅかくてんとう…物事の位置づけや立場などが逆になること。順序が逆になること。重要なものとそうでないものを取り違えること。
◇ちょっと予備知識 → 「主客」は「しゅきゃく」とも読む。
類義語に本末転倒(ほくまつてんとう)・釈根灌枝(しゃくこんかんし)・
舎本逐末(しゃほんちくまつ)がある。
羅漢



ん〜、さっぱりとブログネタを書く気にならない。困ったものだ。寒さの影響なのか、はたまた、ブログに興味がなくなってきたのか、全くの謎である。自分のことなんだけれど、サッパリわかんない。教えて!羅漢さん…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 「主客」は「しゅきゃく」とも読む。
類義語に本末転倒(ほくまつてんとう)・釈根灌枝(しゃくこんかんし)・
舎本逐末(しゃほんちくまつ)がある。
羅漢



ん〜、さっぱりとブログネタを書く気にならない。困ったものだ。寒さの影響なのか、はたまた、ブログに興味がなくなってきたのか、全くの謎である。自分のことなんだけれど、サッパリわかんない。教えて!羅漢さん…今京都。


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今京都 一朝一夕 2008/11/13 12:00 am
いっちょういっせき…非常に短い時間。ひと朝やひと晩のような極めてわずかな期間のたとえ。
◇ちょっと予備知識 → 「一朝」は「一旦」ともいう。「旦」は朝のこと。「一夕」は「いちゆう」と読むのは誤り。
類義語に一旦一夕(いったんいっせき)がある。
羅漢



かなん! かなん! ブログの記事を書く時間が無いでかなん! イヤイヤ、仕事が忙しいとかで、時間が無いのではなく、書く気がおこんないのが本当の理由。しばらくは羅漢頼りだ…今京都。


◇ちょっと予備知識 → 「一朝」は「一旦」ともいう。「旦」は朝のこと。「一夕」は「いちゆう」と読むのは誤り。
類義語に一旦一夕(いったんいっせき)がある。
羅漢



かなん! かなん! ブログの記事を書く時間が無いでかなん! イヤイヤ、仕事が忙しいとかで、時間が無いのではなく、書く気がおこんないのが本当の理由。しばらくは羅漢頼りだ…今京都。




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今京都 自由奔放 2008/11/12 12:00 am
じゆうほんぽう…何の気兼ねもなく、自分の思う通りに振る舞うこと。慣習などにとらわれず、好きなようにすること。
◇ちょっと予備知識 → 「奔放」は伝統や慣習にとらわれずに思うがままに振る舞うこと。
類義語に自在奔放(じざいほんぽう)・奔放不羈(ほんぽうふき)がある。
対義語は自縄自縛(じじょうじばく)。
羅漢



今日も羅漢をお楽しみください…今京都。


◇ちょっと予備知識 → 「奔放」は伝統や慣習にとらわれずに思うがままに振る舞うこと。
類義語に自在奔放(じざいほんぽう)・奔放不羈(ほんぽうふき)がある。
対義語は自縄自縛(じじょうじばく)。
羅漢



今日も羅漢をお楽しみください…今京都。




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今京都 一知半解 2008/11/11 12:00 am
いっちはんかい…少し知っているだけで、十分に理解し自分のものにしていないこと。半端な知識しかないこと。生かじり。
◇ちょっと予備知識 → 一つのことを知っているが半分しか理解していないということから。
類義語に言者不知(げんしゃふち)・半知半解(はんちはんかい)がある。
羅漢
少し趣向を変えて「羅漢」を掲載したい。
「羅漢」とは「阿羅漢」の略。(梵) arhat 応供(おうぐ)・殺賊(せつぞく)などと意訳される。

悟りを得て人々の尊敬と供養を受ける資格を備えた人。
小乗仏教では修行者の到達しうる最高の位とする。

大乗では、小乗の修行者として否定的に用いる場合と、最高の修行者として肯定的に用いる場合がある。

如来の十号の一としても数える。

色々な羅漢がある。お寺によってその形はマチマチだ。

対峙していると心が落ち着く。時には羅漢のごとく座して語らずというのもいいかも。
これからは「今京都」の小休止として撮りためた「羅漢」を掲載しよう…今京都。


◇ちょっと予備知識 → 一つのことを知っているが半分しか理解していないということから。
類義語に言者不知(げんしゃふち)・半知半解(はんちはんかい)がある。
羅漢
少し趣向を変えて「羅漢」を掲載したい。
「羅漢」とは「阿羅漢」の略。(梵) arhat 応供(おうぐ)・殺賊(せつぞく)などと意訳される。

悟りを得て人々の尊敬と供養を受ける資格を備えた人。
小乗仏教では修行者の到達しうる最高の位とする。

大乗では、小乗の修行者として否定的に用いる場合と、最高の修行者として肯定的に用いる場合がある。

如来の十号の一としても数える。

色々な羅漢がある。お寺によってその形はマチマチだ。

対峙していると心が落ち着く。時には羅漢のごとく座して語らずというのもいいかも。
これからは「今京都」の小休止として撮りためた「羅漢」を掲載しよう…今京都。



