rrbのブログ - 2008/12のエントリ
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今京都 針小棒大 2008/12/31 12:00 am
しんしょうぼうだい…針の頭ほどの小さなことを、棒のように大げさに話すこと。話に尾ひれをつけること。
◇ちょっと予備知識 → 「棒大」を「膨大」とするのは誤り。「針小棒大に話す」などと使う。
大晦日
大晦日といえば「除夜の鐘」。昨日の梵鐘を読んでいただき、京都にお住まいの皆さん、今夜、いっせいに鳴り響く各寺院の梵鐘に耳を傾けてみては? 平安の都のサウンド設計を聞くことができるかもしれないよ。また、その他の地域でも同じような設計がなされているかもしれないので、耳を傾けるのも一興かと。大晦日ぐらい除夜の鐘に耳を傾ける余裕が欲しいね。

さて、今年も今日で終わり。いつも拙いブログをご愛顧いただきありがとうございます。今年一年の感謝と来年もよろしくという思いを込めて、よいお年を!…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 「棒大」を「膨大」とするのは誤り。「針小棒大に話す」などと使う。
大晦日
大晦日といえば「除夜の鐘」。昨日の梵鐘を読んでいただき、京都にお住まいの皆さん、今夜、いっせいに鳴り響く各寺院の梵鐘に耳を傾けてみては? 平安の都のサウンド設計を聞くことができるかもしれないよ。また、その他の地域でも同じような設計がなされているかもしれないので、耳を傾けるのも一興かと。大晦日ぐらい除夜の鐘に耳を傾ける余裕が欲しいね。

さて、今年も今日で終わり。いつも拙いブログをご愛顧いただきありがとうございます。今年一年の感謝と来年もよろしくという思いを込めて、よいお年を!…今京都。


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今京都 神出鬼没 2008/12/30 12:00 am
しんしゅつきぼつ…たちどころに現れたり消えたりすること。不意に現れたり見えなくなったりして、居場所がつかめないこと。
◇ちょっと予備知識 → 鬼神のように自在に出没することから。
類義語に鬼出電入(きしゅつでんにゅう)・神出鬼行(しんしゅつきこう)・
神変出没(しんぺんしゅつぼつ)がある。
京の梵鐘
京都はお寺が多い。当然、梵鐘も多い。それらがいっせいに鳴ったらどうなるのだろうと気になる。『徒然草』第220段に「鐘の音は黄鐘調(おうじきちょう)なるべし、これ、無常の調子」と出てくる鐘が右京区花園の妙心寺にある。698年の作で、銘ある梵鐘の中では最古だという。

その響き(調子)は兼好法師も書いている通り「黄鐘調の鐘」と呼ばれて、余韻が長く心に響く無常の調べとして古来より名高いという。世にいう「天下の三鐘」とは、調べのよい妙心寺の鐘、装飾模様の美しい平等院の鐘、そして銘で知られる神護寺の「三絶(さんぜつ)の鐘」のこと。

神護寺のその銘は、学者・橘広相(たちばなのひろみ)が序を考え、菅原道真の父・是善(これよし)が銘を選び、歌人であり書家と知られる藤原敏行(ふじわらのとしゆき)が序と銘を書いた。三人の優れた技芸が揃ったとして「三絶の鐘」と讃えられるのだそうである。

お寺ではこれらの鐘を、昔は1日に6回、晨朝(じんちょう・午前6時頃)、日中、日没、初夜、中夜、後夜に撞いて、都の人々に時を告げていた。「やはり、音の洪水が…」と思いきや、その音は御所を中心に京の都全体で音の設計がなされているという。

つまり、サウンドスケープという発想。「平安の昔から、そんな壮大な音楽宇宙を都に演出した人がいるのだろうか」、また、「どういうことなんだ」とさらに気になる。よくよく調べると、京都市内に伝わる古い鐘の音の振動数を測定した結果というものを見つけることができた。

その結果によると、鐘の多くは唐古律(とうこりつ)という中国唐代の音の調べに合わせて調律されているということだ。そして、それらは御所を中心にして、寺院のある方角と鐘の調べに関連性があるということだった。

つまり、鐘の調べは北の大徳寺は「盤渉調(ばんしきちょう)」、東山の高台寺・清水寺は「上無調(かみむちょう)」、知恩院は「下無調(したむちょう)」、南の西本願寺は「壱越調甲(いちこつちょうこう)、そして西の神護寺の「三絶の鐘」は「平調(ひょうじょう)」という結果が得られたという。

さらに、これらの音は平安時代後期の音楽理論のもとで陰陽五行説と結びついているという。すなわち、北に玄武(げんぶ)、東に青龍(せいりゅう)、南に朱雀(すざく)、西に白虎(びゃっこ)という獣神を想定し、それによって平安の都は守護されていると同時に、東西南北にはそれぞれの調べがあって、これらの寺院の鐘があてはまるというのである。

なんでも調査した鐘は京都市内の15点で、あてはまらないものもあるということだが、半分の7点は関連性をもつという。陰陽五行説に基づいて、御所を中心に方位に見合った鐘の調べが都大路に鳴り渡っているということになる。

平安京の造営では方位が重んじられたことがわかっているが、そこには方位に見合った音という発想まで含まれていた。そして、その調べに合わせて設計された京のお寺の鐘がいっせいに鳴り響けば、京の都全体が音舞台に変身する。静寂に包まれた平安の都の諸行無常のコンサートといえる。

それはまさに、お寺の鐘が美しい雅楽を奏でる平安の都はサウンド設計された音舞台ということだ。明日は大晦日。いっせいに鳴り響く各寺院の梵鐘に耳を傾けて欲しい…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

◇ちょっと予備知識 → 鬼神のように自在に出没することから。
類義語に鬼出電入(きしゅつでんにゅう)・神出鬼行(しんしゅつきこう)・
神変出没(しんぺんしゅつぼつ)がある。
京の梵鐘
京都はお寺が多い。当然、梵鐘も多い。それらがいっせいに鳴ったらどうなるのだろうと気になる。『徒然草』第220段に「鐘の音は黄鐘調(おうじきちょう)なるべし、これ、無常の調子」と出てくる鐘が右京区花園の妙心寺にある。698年の作で、銘ある梵鐘の中では最古だという。

その響き(調子)は兼好法師も書いている通り「黄鐘調の鐘」と呼ばれて、余韻が長く心に響く無常の調べとして古来より名高いという。世にいう「天下の三鐘」とは、調べのよい妙心寺の鐘、装飾模様の美しい平等院の鐘、そして銘で知られる神護寺の「三絶(さんぜつ)の鐘」のこと。

神護寺のその銘は、学者・橘広相(たちばなのひろみ)が序を考え、菅原道真の父・是善(これよし)が銘を選び、歌人であり書家と知られる藤原敏行(ふじわらのとしゆき)が序と銘を書いた。三人の優れた技芸が揃ったとして「三絶の鐘」と讃えられるのだそうである。

お寺ではこれらの鐘を、昔は1日に6回、晨朝(じんちょう・午前6時頃)、日中、日没、初夜、中夜、後夜に撞いて、都の人々に時を告げていた。「やはり、音の洪水が…」と思いきや、その音は御所を中心に京の都全体で音の設計がなされているという。

つまり、サウンドスケープという発想。「平安の昔から、そんな壮大な音楽宇宙を都に演出した人がいるのだろうか」、また、「どういうことなんだ」とさらに気になる。よくよく調べると、京都市内に伝わる古い鐘の音の振動数を測定した結果というものを見つけることができた。

その結果によると、鐘の多くは唐古律(とうこりつ)という中国唐代の音の調べに合わせて調律されているということだ。そして、それらは御所を中心にして、寺院のある方角と鐘の調べに関連性があるということだった。

つまり、鐘の調べは北の大徳寺は「盤渉調(ばんしきちょう)」、東山の高台寺・清水寺は「上無調(かみむちょう)」、知恩院は「下無調(したむちょう)」、南の西本願寺は「壱越調甲(いちこつちょうこう)、そして西の神護寺の「三絶の鐘」は「平調(ひょうじょう)」という結果が得られたという。

さらに、これらの音は平安時代後期の音楽理論のもとで陰陽五行説と結びついているという。すなわち、北に玄武(げんぶ)、東に青龍(せいりゅう)、南に朱雀(すざく)、西に白虎(びゃっこ)という獣神を想定し、それによって平安の都は守護されていると同時に、東西南北にはそれぞれの調べがあって、これらの寺院の鐘があてはまるというのである。

なんでも調査した鐘は京都市内の15点で、あてはまらないものもあるということだが、半分の7点は関連性をもつという。陰陽五行説に基づいて、御所を中心に方位に見合った鐘の調べが都大路に鳴り渡っているということになる。

平安京の造営では方位が重んじられたことがわかっているが、そこには方位に見合った音という発想まで含まれていた。そして、その調べに合わせて設計された京のお寺の鐘がいっせいに鳴り響けば、京の都全体が音舞台に変身する。静寂に包まれた平安の都の諸行無常のコンサートといえる。

それはまさに、お寺の鐘が美しい雅楽を奏でる平安の都はサウンド設計された音舞台ということだ。明日は大晦日。いっせいに鳴り響く各寺院の梵鐘に耳を傾けて欲しい…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 人事不省 2008/12/29 12:00 am
じんじふせい…昏睡状態に陥り、意識を失うこと。気絶すること。
◇ちょっと予備知識 → 「人事」は人としての意識。
類義語に意識不明(いしきふめい)・前後不覚(ぜんごふかく)がある。
町並み



地蔵物語(232)


◇ちょっと予備知識 → 「人事」は人としての意識。
類義語に意識不明(いしきふめい)・前後不覚(ぜんごふかく)がある。
町並み



地蔵物語(232)



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今京都 深山幽谷 2008/12/28 12:00 am
しんざんゆうこく…人の気配を感じさせないような、静かな自然のたたずまい。奥深い山ふところ。
◇ちょっと予備知識 → 「幽谷」は人里はなれた山奥の静かな谷のこと。
類義語に窮山通谷(きゅうざんつうこく)・窮山幽谷(きゅうざんつうこく)・
深山窮谷(しんざんきゅうこく)がある。
町並み



地蔵物語(231)


◇ちょっと予備知識 → 「幽谷」は人里はなれた山奥の静かな谷のこと。
類義語に窮山通谷(きゅうざんつうこく)・窮山幽谷(きゅうざんつうこく)・
深山窮谷(しんざんきゅうこく)がある。
町並み



地蔵物語(231)



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今京都 心機一転 2008/12/27 12:00 am
しんきいってん…あることを契機に気持ちを入れ替えて、新たに出直すこと。気分一新。
◇ちょっと予備知識 → おもによい方向に進むときに使われる。「心機」は心の働きや気持ち。
「心気」「新機」などと書くのは誤り。
タバコ vol.2(最終回) vol.1はここ
食事に出かけて、席に案内される。そのとき周りに目をやる癖がついて久しい。「タバコ状況」を見定めるためだ。隣卓から煙が上っていれば、違う席に座らせてもらう。この自衛策を誤ると、食事はときに台無しになる。だが、あとから隣に座った人にスパスパやられることがある。これには打つ手がない。吸いながらも同席者には気をつかうのか、顔をこちらに向けて煙を吐く人もいる。

「嫌煙権」の運動が始まって今年で30年になるそうだ。当時は、地下鉄のホームにも規制はなく、煙がいやならご勝手に、とばかりに新幹線の禁煙車は自由席の1両だけ。いつでもどこでも吸っていい。それが当たり前だったという。

いまや立場は逆転した。だが飲食店は多くが例外だ。受動喫煙は、癌や喘息などのリスクを高める。厚生労働省の調査では糖尿病にもなりやすいことが分かったという。客はいやなら席を立てるが、従業員の方はいや応なしだ。辛い人も多いだろう。

タバコ好きだった芥川龍之介に、その伝来をめぐる『煙草と悪魔』という短編がある。宣教団にまぎれた悪魔が、タバコの種を耳の穴に隠して日本に持ち込み、栽培する。だが、そのうち正体がばれて追放される。かくて悪魔は、日本人の肉体と魂を奪うのには失敗する。その代わり、タバコを広めるのに成功。そんな、タバコの誘惑と害を隠しテーマにした話である。

くゆる紫煙は、好きな者には天使の香りでも、嫌いな人には悪魔さながらだ。天使と悪魔は、同じ場所で穏やかには暮らせない。しかし、人の心には天使と悪魔が時には同居する。タバコを吸う人も吸わない人も、、天使しか住んでいない人になれば共存できるのではないかと思う…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

◇ちょっと予備知識 → おもによい方向に進むときに使われる。「心機」は心の働きや気持ち。
「心気」「新機」などと書くのは誤り。
タバコ vol.2(最終回) vol.1はここ
食事に出かけて、席に案内される。そのとき周りに目をやる癖がついて久しい。「タバコ状況」を見定めるためだ。隣卓から煙が上っていれば、違う席に座らせてもらう。この自衛策を誤ると、食事はときに台無しになる。だが、あとから隣に座った人にスパスパやられることがある。これには打つ手がない。吸いながらも同席者には気をつかうのか、顔をこちらに向けて煙を吐く人もいる。

「嫌煙権」の運動が始まって今年で30年になるそうだ。当時は、地下鉄のホームにも規制はなく、煙がいやならご勝手に、とばかりに新幹線の禁煙車は自由席の1両だけ。いつでもどこでも吸っていい。それが当たり前だったという。

いまや立場は逆転した。だが飲食店は多くが例外だ。受動喫煙は、癌や喘息などのリスクを高める。厚生労働省の調査では糖尿病にもなりやすいことが分かったという。客はいやなら席を立てるが、従業員の方はいや応なしだ。辛い人も多いだろう。

タバコ好きだった芥川龍之介に、その伝来をめぐる『煙草と悪魔』という短編がある。宣教団にまぎれた悪魔が、タバコの種を耳の穴に隠して日本に持ち込み、栽培する。だが、そのうち正体がばれて追放される。かくて悪魔は、日本人の肉体と魂を奪うのには失敗する。その代わり、タバコを広めるのに成功。そんな、タバコの誘惑と害を隠しテーマにした話である。

くゆる紫煙は、好きな者には天使の香りでも、嫌いな人には悪魔さながらだ。天使と悪魔は、同じ場所で穏やかには暮らせない。しかし、人の心には天使と悪魔が時には同居する。タバコを吸う人も吸わない人も、、天使しか住んでいない人になれば共存できるのではないかと思う…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

