rrbのブログ - 2008/01/10のエントリ
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今京都 青天霹靂 2008/01/10 12:07 am
せいてんのへきれき…思いもよらないような、突然に起こる事件。突然の返事。寝耳に水。
◇ちょっと予備知識 → 雲ひとつない快晴に、突然に雷が鳴るということから。
初ゑびす。今日は十日ゑびす大祭だ。京都のゑびす神社も賑わうことだろう。人の多いところはあまり好きではないけれど、こういう行事ごとには一度は行ってみたい。
玄武神社 平安京 北の鎮護神
昔の人々は、各方角に神々がいると考えた。そして中国漢代では東西南北には、それぞれに「青竜」「白虎」「朱雀」「玄武」の四神を祀った。
国の政治をつかさどった平安時代の平安京は、四神相応の地形であると云われている。
すなわち、東に流水のあるのを青竜(青)、西に大道のあるのを白虎(白)、南に窪地のあるのを朱雀(朱)、北に丘陵のあるのを玄武(黒)として最も貴い地相であるといわれ、まさに「京都」がこれに適合しているとみられたことから遷都されたといわれている。

玄武神社は、まさに、京都の北方に位置して、王城(平安京)北面の鎮護神として祀っている。玄武の図柄は亀に蛇が絡むもので、「亀」は長寿に「蛇」は商売繁盛に尊ばれている。

ご祭神の「惟喬(これたか)親王」は、道康親王(第55代文徳天皇)の第1皇子で、844(承和11)年1月25日にご誕生。母は紀名虎(きのなとら)の娘で紀静子(きのしずこ)。

惟喬親王は聡明な方で、父の愛情もことのほか深く、皇太子になる筈のところ、当時、権勢高い藤原良房の娘で藤原明子が、第4皇子惟仁親王を誕生すると、天皇は良房をはばかられて、生後9ケ月の惟仁(これひと)親王を皇太子とされた。この方がのちの第56代清和天皇。

また、惟喬親王といえば『伊勢物語』が有名。『伊勢物語』はそれ以後の古典作品に大きな影響を与えた歌物語であり、もちろん『源氏物語』もその例外ではない。
『源氏物語』には『伊勢物語』からの引き歌が多く、内容的にも『伊勢物語』を意識して書かれている箇所が見受けられる。
その『伊勢物語』で「むかしおとこ」として語られる主人公在原業平が心からお仕えしていた方こそが惟喬親王。

時の人々は、親王を「水無瀬の宮」「小野の宮」などと称す。御在世中、小椋庄に金竜寺、雲ケ畑字中畑に高雲寺(惟喬般若)、大森字東河内に安楽寺、長福寺を建立されて、東河内で897(寛平9)年に逝去。

親王の母方(紀氏)の末裔である星野市正紀茂光が、紀名虎(祖父)の蔵していた御剣を親王が御寵愛されていたので、これを御霊代として奉祀したと伝えられている。

今では背後にマンションが迫り肩身の狭い雰囲気であるが、北の鎮護神は健在である…今京都。
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玄武神社 平安京 北の鎮護神
昔の人々は、各方角に神々がいると考えた。そして中国漢代では東西南北には、それぞれに「青竜」「白虎」「朱雀」「玄武」の四神を祀った。
国の政治をつかさどった平安時代の平安京は、四神相応の地形であると云われている。
すなわち、東に流水のあるのを青竜(青)、西に大道のあるのを白虎(白)、南に窪地のあるのを朱雀(朱)、北に丘陵のあるのを玄武(黒)として最も貴い地相であるといわれ、まさに「京都」がこれに適合しているとみられたことから遷都されたといわれている。

玄武神社は、まさに、京都の北方に位置して、王城(平安京)北面の鎮護神として祀っている。玄武の図柄は亀に蛇が絡むもので、「亀」は長寿に「蛇」は商売繁盛に尊ばれている。

ご祭神の「惟喬(これたか)親王」は、道康親王(第55代文徳天皇)の第1皇子で、844(承和11)年1月25日にご誕生。母は紀名虎(きのなとら)の娘で紀静子(きのしずこ)。

惟喬親王は聡明な方で、父の愛情もことのほか深く、皇太子になる筈のところ、当時、権勢高い藤原良房の娘で藤原明子が、第4皇子惟仁親王を誕生すると、天皇は良房をはばかられて、生後9ケ月の惟仁(これひと)親王を皇太子とされた。この方がのちの第56代清和天皇。

また、惟喬親王といえば『伊勢物語』が有名。『伊勢物語』はそれ以後の古典作品に大きな影響を与えた歌物語であり、もちろん『源氏物語』もその例外ではない。
『源氏物語』には『伊勢物語』からの引き歌が多く、内容的にも『伊勢物語』を意識して書かれている箇所が見受けられる。
その『伊勢物語』で「むかしおとこ」として語られる主人公在原業平が心からお仕えしていた方こそが惟喬親王。

時の人々は、親王を「水無瀬の宮」「小野の宮」などと称す。御在世中、小椋庄に金竜寺、雲ケ畑字中畑に高雲寺(惟喬般若)、大森字東河内に安楽寺、長福寺を建立されて、東河内で897(寛平9)年に逝去。

親王の母方(紀氏)の末裔である星野市正紀茂光が、紀名虎(祖父)の蔵していた御剣を親王が御寵愛されていたので、これを御霊代として奉祀したと伝えられている。

今では背後にマンションが迫り肩身の狭い雰囲気であるが、北の鎮護神は健在である…今京都。
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