rrbのブログ - 2008/01/04のエントリ
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今京都 理路整然 2008/01/04 3:32 am
りろせいぜん…話の筋道が立っていること。考えや主張がきちんと秩序立っていること。
◇ちょっと予備知識 → 「理路」は考えや話の筋道。「整然」は、きちんと秩序正しく整っているさま。
類義語に順理成章(じゅんりせいしょう)がある。
対義語は支離滅裂(しりめつれつ)・乱雑無章(らんざつむしょう)。
箱根駅伝、駒大が往路優勝の早大を抜き、逆転で3年ぶり6度目の総合優勝。こういう長丁場の闘いにはドラマが潜んでいるのかな。早大は残念だったけれど、駒大はおめでとう…だね。
駆け抜ける都大路 vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)
さて、都大路のマラソン・駅伝の続き。調べてみると、日本で初めての駅伝は、今から90年前の1917(大正6)年4月27日、第1回駅伝である「東海道駅伝徒競争」がはじまり。京都の三条大橋からスタートし、めざすゴールは東京の上野・不忍池。上野は当時、東京遷都50周年記念博覧会の真っ最中。この駅伝は、実は、この博覧会にあわせて行われたのだという。

三条大橋をスタートするとき、このレースが何日間続くのか、わからなかったのではないだろうかと思う。結果的には丸3日間走り、4日めの5月1日、東京・上野にゴールした。4日間をかけて、京都から東京まで東海道を走破するという壮大な駅伝が、記念すべき第1回の駅伝であった。

京都から東京までをマラソンコースにしてしまうとは、そのスケールの大きさに驚くばかりである。毎年、お正月に行われている箱根駅伝をすごいと思っていたが、箱根駅伝ですら小さいものに思えてしまう。現在もそんな駅伝があったら楽しいかもしれないね。
東海道五十三次を歩いて移動していた時代の名残というのか、昔の人は長距離を走る・歩くことをいとわないところがあったように思う。

京の三条大橋にある「駅伝の碑」。丸三日間をかけて走りぬいた第1回駅伝にちなんで、京都に建てられた。その4日後に、東京・上野不忍池にも建てられたそうである。

こうして都大路を駆け抜ける駅伝・マラソンが始まったのである。ちなみに箱根駅伝は1920(大正9)年2月に明大、早大、慶大、東京高師(現・筑波大)の4大学によって日比谷箱根4大校駅伝として始まった。
いずれにしても「あぁ〜ここにも京都がルーツとなるものがあったのね」という感じ。ちょっと「写真休め」の…今京都。
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箱根駅伝、駒大が往路優勝の早大を抜き、逆転で3年ぶり6度目の総合優勝。こういう長丁場の闘いにはドラマが潜んでいるのかな。早大は残念だったけれど、駒大はおめでとう…だね。
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さて、都大路のマラソン・駅伝の続き。調べてみると、日本で初めての駅伝は、今から90年前の1917(大正6)年4月27日、第1回駅伝である「東海道駅伝徒競争」がはじまり。京都の三条大橋からスタートし、めざすゴールは東京の上野・不忍池。上野は当時、東京遷都50周年記念博覧会の真っ最中。この駅伝は、実は、この博覧会にあわせて行われたのだという。

三条大橋をスタートするとき、このレースが何日間続くのか、わからなかったのではないだろうかと思う。結果的には丸3日間走り、4日めの5月1日、東京・上野にゴールした。4日間をかけて、京都から東京まで東海道を走破するという壮大な駅伝が、記念すべき第1回の駅伝であった。

京都から東京までをマラソンコースにしてしまうとは、そのスケールの大きさに驚くばかりである。毎年、お正月に行われている箱根駅伝をすごいと思っていたが、箱根駅伝ですら小さいものに思えてしまう。現在もそんな駅伝があったら楽しいかもしれないね。
東海道五十三次を歩いて移動していた時代の名残というのか、昔の人は長距離を走る・歩くことをいとわないところがあったように思う。

京の三条大橋にある「駅伝の碑」。丸三日間をかけて走りぬいた第1回駅伝にちなんで、京都に建てられた。その4日後に、東京・上野不忍池にも建てられたそうである。

こうして都大路を駆け抜ける駅伝・マラソンが始まったのである。ちなみに箱根駅伝は1920(大正9)年2月に明大、早大、慶大、東京高師(現・筑波大)の4大学によって日比谷箱根4大校駅伝として始まった。
いずれにしても「あぁ〜ここにも京都がルーツとなるものがあったのね」という感じ。ちょっと「写真休め」の…今京都。
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