rrbのブログ - 2008/12/27のエントリ
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今京都 心機一転 2008/12/27 12:00 am
しんきいってん…あることを契機に気持ちを入れ替えて、新たに出直すこと。気分一新。
◇ちょっと予備知識 → おもによい方向に進むときに使われる。「心機」は心の働きや気持ち。
「心気」「新機」などと書くのは誤り。
タバコ vol.2(最終回) vol.1はここ
食事に出かけて、席に案内される。そのとき周りに目をやる癖がついて久しい。「タバコ状況」を見定めるためだ。隣卓から煙が上っていれば、違う席に座らせてもらう。この自衛策を誤ると、食事はときに台無しになる。だが、あとから隣に座った人にスパスパやられることがある。これには打つ手がない。吸いながらも同席者には気をつかうのか、顔をこちらに向けて煙を吐く人もいる。
「嫌煙権」の運動が始まって今年で30年になるそうだ。当時は、地下鉄のホームにも規制はなく、煙がいやならご勝手に、とばかりに新幹線の禁煙車は自由席の1両だけ。いつでもどこでも吸っていい。それが当たり前だったという。
いまや立場は逆転した。だが飲食店は多くが例外だ。受動喫煙は、癌や喘息などのリスクを高める。厚生労働省の調査では糖尿病にもなりやすいことが分かったという。客はいやなら席を立てるが、従業員の方はいや応なしだ。辛い人も多いだろう。
タバコ好きだった芥川龍之介に、その伝来をめぐる『煙草と悪魔』という短編がある。宣教団にまぎれた悪魔が、タバコの種を耳の穴に隠して日本に持ち込み、栽培する。だが、そのうち正体がばれて追放される。かくて悪魔は、日本人の肉体と魂を奪うのには失敗する。その代わり、タバコを広めるのに成功。そんな、タバコの誘惑と害を隠しテーマにした話である。
くゆる紫煙は、好きな者には天使の香りでも、嫌いな人には悪魔さながらだ。天使と悪魔は、同じ場所で穏やかには暮らせない。しかし、人の心には天使と悪魔が時には同居する。タバコを吸う人も吸わない人も、、天使しか住んでいない人になれば共存できるのではないかと思う…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
◇ちょっと予備知識 → おもによい方向に進むときに使われる。「心機」は心の働きや気持ち。
「心気」「新機」などと書くのは誤り。
タバコ vol.2(最終回) vol.1はここ
食事に出かけて、席に案内される。そのとき周りに目をやる癖がついて久しい。「タバコ状況」を見定めるためだ。隣卓から煙が上っていれば、違う席に座らせてもらう。この自衛策を誤ると、食事はときに台無しになる。だが、あとから隣に座った人にスパスパやられることがある。これには打つ手がない。吸いながらも同席者には気をつかうのか、顔をこちらに向けて煙を吐く人もいる。
「嫌煙権」の運動が始まって今年で30年になるそうだ。当時は、地下鉄のホームにも規制はなく、煙がいやならご勝手に、とばかりに新幹線の禁煙車は自由席の1両だけ。いつでもどこでも吸っていい。それが当たり前だったという。
いまや立場は逆転した。だが飲食店は多くが例外だ。受動喫煙は、癌や喘息などのリスクを高める。厚生労働省の調査では糖尿病にもなりやすいことが分かったという。客はいやなら席を立てるが、従業員の方はいや応なしだ。辛い人も多いだろう。
タバコ好きだった芥川龍之介に、その伝来をめぐる『煙草と悪魔』という短編がある。宣教団にまぎれた悪魔が、タバコの種を耳の穴に隠して日本に持ち込み、栽培する。だが、そのうち正体がばれて追放される。かくて悪魔は、日本人の肉体と魂を奪うのには失敗する。その代わり、タバコを広めるのに成功。そんな、タバコの誘惑と害を隠しテーマにした話である。
くゆる紫煙は、好きな者には天使の香りでも、嫌いな人には悪魔さながらだ。天使と悪魔は、同じ場所で穏やかには暮らせない。しかし、人の心には天使と悪魔が時には同居する。タバコを吸う人も吸わない人も、、天使しか住んでいない人になれば共存できるのではないかと思う…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。