rrbのブログ - 2008/12/10のエントリ
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今京都 生者必滅 2008/12/10 12:00 am
しょうじゃひつめつ…生ある者は、やがては必ず死に至るものであるということ。この世の儚さをいったことば。
◇ちょっと予備知識 → 仏教語。人生の無常をいったことば。「生者必滅、会者定離」と対にして使う。
類義語に会者定離(えしゃじょうり)・盛者必衰(じょうしゃひっすい)・
是生滅法(ぜしょうめっぽう)がある。
京の寒さ・暑さ
北国の冬もたいそう厳しいが、京都の冬の厳しさは北国の寒さとは少し異質なものがある。大雪にこそ見舞われないが、体の芯から冷えてくるような感じの寒さだ。おまけに空気に突き刺される感じの冷たさがある。「京の底冷え」とは本当にうまく表現されていると思う。

さらに夏の暑さはまた大変。30度を超えた程度でも、「じとっ」と汗ばみ、空気が体にまとわりつくような蒸し暑さである。

この京都独特のきびしい暑さ寒さを、京都人はネガティブに考えなかった。春夏秋冬、このはっきりした四季の移り変わりがあったからこそ、鴨川の床などに見られるような涼しく過ごす知恵や、他の地域にはない四季折々のさまざまな風情が生まれてきた。これがもう少し過ごしやすい気候の地ならば、独特の色を持たない、何のおもしろみもない都になっていたかもしれない。

寒い冬の夜、ひとつの「おこた」(炬燵)を真ん中に置き、両方から足を差し入れて寝るのが京都の子どものあたりまえだった。
暑い夏の日は、家の障子を取り外して簾をかけたり、夕方には庭に打ち水をし、行水をすませて浴衣に着替え、床几(しょうぎ)を表に出して夕涼み。こんな京の風情も今では見ることがめっきり少なくなったが、京都人はきびしい夏と冬をこのようなさまざまな知恵と工夫でしのいできた。

それはちょうど京都の町がいろいろな戦乱の時代をくぐりぬけてきた姿と似ているといわれる。きびしい状況を克服することで、京都の伝統に新しい味を付け加え、独特の個性や、情報を発信していくための文化のソフトを持つようになったというのが京都の町ではないかと思う。

これから先は、今までにないスピードで、いろんな感性やいろんな文化が京都に押し寄せてくるに違いない。それは底冷えする冬よりも、蒸し暑い夏よりも、もっときびしいものかもしれない。そのきびしさの中からまた新しい独特のソフトをつくっていかねばならない。そのためにはこれから先も確かな知恵と工夫を持ち続けなければならないのではないかという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

◇ちょっと予備知識 → 仏教語。人生の無常をいったことば。「生者必滅、会者定離」と対にして使う。
類義語に会者定離(えしゃじょうり)・盛者必衰(じょうしゃひっすい)・
是生滅法(ぜしょうめっぽう)がある。
京の寒さ・暑さ
北国の冬もたいそう厳しいが、京都の冬の厳しさは北国の寒さとは少し異質なものがある。大雪にこそ見舞われないが、体の芯から冷えてくるような感じの寒さだ。おまけに空気に突き刺される感じの冷たさがある。「京の底冷え」とは本当にうまく表現されていると思う。

さらに夏の暑さはまた大変。30度を超えた程度でも、「じとっ」と汗ばみ、空気が体にまとわりつくような蒸し暑さである。

この京都独特のきびしい暑さ寒さを、京都人はネガティブに考えなかった。春夏秋冬、このはっきりした四季の移り変わりがあったからこそ、鴨川の床などに見られるような涼しく過ごす知恵や、他の地域にはない四季折々のさまざまな風情が生まれてきた。これがもう少し過ごしやすい気候の地ならば、独特の色を持たない、何のおもしろみもない都になっていたかもしれない。

寒い冬の夜、ひとつの「おこた」(炬燵)を真ん中に置き、両方から足を差し入れて寝るのが京都の子どものあたりまえだった。
暑い夏の日は、家の障子を取り外して簾をかけたり、夕方には庭に打ち水をし、行水をすませて浴衣に着替え、床几(しょうぎ)を表に出して夕涼み。こんな京の風情も今では見ることがめっきり少なくなったが、京都人はきびしい夏と冬をこのようなさまざまな知恵と工夫でしのいできた。

それはちょうど京都の町がいろいろな戦乱の時代をくぐりぬけてきた姿と似ているといわれる。きびしい状況を克服することで、京都の伝統に新しい味を付け加え、独特の個性や、情報を発信していくための文化のソフトを持つようになったというのが京都の町ではないかと思う。

これから先は、今までにないスピードで、いろんな感性やいろんな文化が京都に押し寄せてくるに違いない。それは底冷えする冬よりも、蒸し暑い夏よりも、もっときびしいものかもしれない。そのきびしさの中からまた新しい独特のソフトをつくっていかねばならない。そのためにはこれから先も確かな知恵と工夫を持ち続けなければならないのではないかという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

