rrbのブログ - 2008/12/03のエントリ
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今京都 首尾一貫 2008/12/03 12:00 am
しゅびいっかん…言動や態度が始めから終わりまで変わらず同じであること。行動に矛盾がないこと。
◇ちょっと予備知識 → 「首尾」は頭と尾。転じて、物事の最初と最後、始めから終わりまで。
「一貫」は最初から最後まで、物事のやり方を同じ方法で貫き通すこと。
類義語に終始一貫(しゅうしいっかん)・徹頭徹尾(てっとうてつび)がある。
対義語は内股膏薬(うちまたこうやく)・付和雷同(ふわらいどう)。
天の岩戸(あまのいわと) vol.2(最終回) vol.1はここ
さて、「天の岩戸」であるが、大人なら少し腰をかがめて入らなければならない。その岩穴をくぐり抜けると、心と体の1年の罪・汚れが払い清められ福を招くとされる。

(昨日の最後の写真を進むと見えてきた)
「ぬけ参り」として知られ、元旦から年の節目となる2月3日の節分までの間、特に節分祭には多くの人が天の岩戸をくぐり抜ける。

人の手でくりぬかれたであろう天の岩戸が、いつできたのかは分からない。

(ここが入口)
「京都府山科町誌」(1930年)には、伊勢松坂の野呂宗光が日ノ岡に住んでいたときに、岩戸から神が現れた夢を見て再興し、寛永年間に厄除祭が行われたと書かれているという。

(入口から奥を望む)
17世紀にはすでにあったようで、風化が進む岩肌が、長い年月を感じさせる。

(中には祭壇が…三脚を持っていないのが辛い)
天の岩戸の入口の脇には、かつて舞台が設けられた石組みが残されている。

(L字型のところで入口を振り返る)
近年まで、神話にならって舞が奉納されていたが、戦前はこの舞台を使っていたという。

(こちらは出口)
臆することなく、岩戸に入りくぐり抜けてみた。ひんやりとした空気の洞窟を通り抜けるのに時間はかからないが、どことなく心がスッキリしたようだ。

(通り抜け振り向いて見た出口)
福招く「ぬけ参り」、2回も通り抜けたが、それは少し欲張りだっただろうか…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 「首尾」は頭と尾。転じて、物事の最初と最後、始めから終わりまで。
「一貫」は最初から最後まで、物事のやり方を同じ方法で貫き通すこと。
類義語に終始一貫(しゅうしいっかん)・徹頭徹尾(てっとうてつび)がある。
対義語は内股膏薬(うちまたこうやく)・付和雷同(ふわらいどう)。
天の岩戸(あまのいわと) vol.2(最終回) vol.1はここ
さて、「天の岩戸」であるが、大人なら少し腰をかがめて入らなければならない。その岩穴をくぐり抜けると、心と体の1年の罪・汚れが払い清められ福を招くとされる。

(昨日の最後の写真を進むと見えてきた)
「ぬけ参り」として知られ、元旦から年の節目となる2月3日の節分までの間、特に節分祭には多くの人が天の岩戸をくぐり抜ける。

人の手でくりぬかれたであろう天の岩戸が、いつできたのかは分からない。

(ここが入口)
「京都府山科町誌」(1930年)には、伊勢松坂の野呂宗光が日ノ岡に住んでいたときに、岩戸から神が現れた夢を見て再興し、寛永年間に厄除祭が行われたと書かれているという。

(入口から奥を望む)
17世紀にはすでにあったようで、風化が進む岩肌が、長い年月を感じさせる。

(中には祭壇が…三脚を持っていないのが辛い)
天の岩戸の入口の脇には、かつて舞台が設けられた石組みが残されている。

(L字型のところで入口を振り返る)
近年まで、神話にならって舞が奉納されていたが、戦前はこの舞台を使っていたという。

(こちらは出口)
臆することなく、岩戸に入りくぐり抜けてみた。ひんやりとした空気の洞窟を通り抜けるのに時間はかからないが、どことなく心がスッキリしたようだ。

(通り抜け振り向いて見た出口)
福招く「ぬけ参り」、2回も通り抜けたが、それは少し欲張りだっただろうか…今京都。

