rrbのブログ - 2009/03/05のエントリ
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今京都 素寒貧 2009/03/05 12:00 am
すかんびん…非常に貧乏なこと。またその人。
◇ちょっと予備知識 → 持っていたものをなくしてしまったときにも使う。「寒貧」は甚だ貧しいこと。
「すっかんびん」ともいう。
類義語に無一文(むいちもん)・貧者(ひんじゃ)・極貧(ごくひん)がある。
対義語は金満家(きんまんか)・富者(ふしゃ)・富豪(ふごう)。
七つの子(童謡物語第1弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年10月11日掲載)
旧フォトヴィレッジの再掲の三つめは「童謡物語」。あまり多くは掲載していないが、せっかく調べたのだから再掲しておきたい。
「七つの子」
作詞:野口雨情 作曲:本居長世
からす なぜなくの からすは やまに かわいい ななつの こが あるからよ
かわい かわいと からすは なくの かわい かわいと なくんだよ
やまの ふるすへ いって みて ごらん まるい めを した いい こだよ
の「ななつのこ」が七羽の子か七歳の子かというお話。

結論的にはどちらでもなく、「七」は日本語特有の「たくさん」とか「いくつか」とか「ある程度」という意味で、一定の数ではないとされている。また野口雨情は「ななつのこ」を人間の七歳の子にだぶらせて書いたともいわれている。確かに人間の七歳の子供なら自分で食事を作って食べることもままならないだろう。
さらに、この歌には七五三の風習が隠されているともいわれている。昔は医学が発達していなかったため、抵抗力のない子供の死亡率は非常に高かった。神様の加護により三歳まで生きられた、五歳まで育った、七歳を無事に迎えられたという喜びとお礼参り、今後も元気に生きていけますようにという願いが七五三を生み、育んできた。

七歳の女児には帯解き式という風習があって、子供の着物にそれまでつけられていた紐を外し、着物を着るときに初めて帯を用いる儀式。つまり七歳を迎えると、抵抗力もついてよほどのことがない限りすくすくと育っていけるという特別の意味があり、子供から大人への扱いの第一歩でもあったという。そういう背景から「ななつのこ」になったという説が有力視されているそうだ。

この説が正しいかどうかわからない。けれど、病気になって慌てたり、弱虫過ぎる、腕白過ぎると心配したり、親にとって苦労のタネはつきないもの。七歳の子になってやっと胸をなでおろすのは、親から見て昔も今も変わりない七歳ではないだろうか、という童謡物語第1弾(改訂・再掲)…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

◇ちょっと予備知識 → 持っていたものをなくしてしまったときにも使う。「寒貧」は甚だ貧しいこと。
「すっかんびん」ともいう。
類義語に無一文(むいちもん)・貧者(ひんじゃ)・極貧(ごくひん)がある。
対義語は金満家(きんまんか)・富者(ふしゃ)・富豪(ふごう)。
七つの子(童謡物語第1弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年10月11日掲載)
旧フォトヴィレッジの再掲の三つめは「童謡物語」。あまり多くは掲載していないが、せっかく調べたのだから再掲しておきたい。
「七つの子」
作詞:野口雨情 作曲:本居長世
からす なぜなくの からすは やまに かわいい ななつの こが あるからよ
かわい かわいと からすは なくの かわい かわいと なくんだよ
やまの ふるすへ いって みて ごらん まるい めを した いい こだよ
の「ななつのこ」が七羽の子か七歳の子かというお話。

結論的にはどちらでもなく、「七」は日本語特有の「たくさん」とか「いくつか」とか「ある程度」という意味で、一定の数ではないとされている。また野口雨情は「ななつのこ」を人間の七歳の子にだぶらせて書いたともいわれている。確かに人間の七歳の子供なら自分で食事を作って食べることもままならないだろう。
さらに、この歌には七五三の風習が隠されているともいわれている。昔は医学が発達していなかったため、抵抗力のない子供の死亡率は非常に高かった。神様の加護により三歳まで生きられた、五歳まで育った、七歳を無事に迎えられたという喜びとお礼参り、今後も元気に生きていけますようにという願いが七五三を生み、育んできた。

七歳の女児には帯解き式という風習があって、子供の着物にそれまでつけられていた紐を外し、着物を着るときに初めて帯を用いる儀式。つまり七歳を迎えると、抵抗力もついてよほどのことがない限りすくすくと育っていけるという特別の意味があり、子供から大人への扱いの第一歩でもあったという。そういう背景から「ななつのこ」になったという説が有力視されているそうだ。

この説が正しいかどうかわからない。けれど、病気になって慌てたり、弱虫過ぎる、腕白過ぎると心配したり、親にとって苦労のタネはつきないもの。七歳の子になってやっと胸をなでおろすのは、親から見て昔も今も変わりない七歳ではないだろうか、という童謡物語第1弾(改訂・再掲)…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

